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歌姫ベルセフォネ



「兄さん、王女は?」



伯爵家次男バンテートが、兄の部屋に顔を出して尋ねた。


尊敬する兄だが18歳と年頃特有の照れもあり、口調は素っ気ない。



一足先に立ち寄った王女フレアは部屋に姿がなく、それ故の質問だった。



長男カーラントも小首を傾げる。つい1時間前までこの部屋で対話をしていたフレアは、その後どこかへ行ったようだ。



「おや、どちらに行かれたのか」


「王子も見当たらない」



どうやら昼食前にふたりで屋敷を出たらしい。カーラントは整った顔立ちをふっと崩して鼻で笑った。



「外出は控えろと言ったのに困った方々だ」



内容とは裏腹、表情も声も楽しそう。


やんちゃな双子の行動は活気に満ちていて知らず笑みを誘うのだ。



とはいえ心配なのも確か。不慣れなこの都で事件に巻き込まれては一大事。


そんな理由から弟に街への外出を依頼した。王女たちを探しながら遊んでこい、と。


そして素直に頷く8歳年少の剣士見習いに、親しみをこめた愛称で呼びかけると新たな話題をふった。



「バーンは寮へは戻らないのかい?」



まだ学生のバンテートは週末で帰宅しただけ。明日からは学校で、いつもなら前日昼には戻っているはずなのだ。



慌てる必要のない場面。けれどバンテートは明らかに動揺を見せた。視線は兄の背後をあちこちさまよう。



「え?えっと、たまには家から通うのも悪くない気がしてさ」


「王女たちは3日後に戻るらしいよ」


「えっ!早い!」



なぜここで急に王女たちの話題が出たのか疑問も持たず、バンテートは初耳の現実に驚いた。



真剣な様子が兄にすべてを確信させた。


誘導尋問で答えを探ったずるい彼はすました顔で種を明かした。



「初恋は大切に」


「気づいてたの!」



図星を指摘され、若々しい顔を真っ赤に染めてバンテートは叫ぶ。


寮に戻らない理由は王女に恋をし少しでも一緒にいたいから。それを察したカーラントは好意的にからかったのだ。



腹黒い兄の純粋な弟は、照れ隠しも込めて聞かれもしないのにたどたどしくも経緯を話し出した。



フレアとの玄関での初対面のとき、一目見て可愛いと目が離せなくなり立ち尽くした。


王女と知ってショックを受けたが、王族らしからぬ天真爛漫な振る舞いにますます惚れた。


出会ってまだ2日。昨日でしかないのに長年恋しているかのように胸が切なさに痛い。


初めての経験に戸惑いすら感じていた。



加えて決定的な壁が恋路を阻む。思春期真っ盛りの18歳は深い深い溜め息を吐いた。



「一目惚れって本当にあるんだなあ。でも相手は王女様だし」


「可能性が無なわけでもないさ。幸い我が家は伯爵家。公爵家や他国の王族にはかなわないが、お前しだいでは嫁ぎにきてくださる」


「そうかな…‥」


「王女の性格なら政略結婚より恋愛結婚を選ぶだろう。いい男になって可能性をグンと引き寄せるといい」



自慢の兄からの激励に自信は回復である。やるべきはフレアにふさわしい男になるため文武に励むこと。



「ありがと兄さん!」



すっかり機嫌のよくなったバンテート。清々しい笑顔で礼を述べると依頼遂行のため街に出発したのだった。



弟へは適切なアドバイスを送ったカーラントも、王女への言動は不適切であった。


なぜフレアが屋敷から姿を消したのか気づきもしない。



恋人の存在を意識せず口にしたカーラントに、彼を慕うフレアのショックとイライラが爆発したのだ。



「なによ!女心を理解しない無神経男!相手はどんな女よ!」



腹いせに実行したのは女の顔を見ることで、兄王子パウルを強引に連行して働いているという酒場に急行していたのだった。





そしてフレアたちの現状はというと、屋敷の使用人から聞き出したカーラント馴染みの酒場前までやって来ていた。



店先には確かに覚えるのに苦労した店名『デュオニュソス』と彫られた看板が掲げられている。加えてちょっとしたざわめきも。



どう見ても10代半ばの男女が緊張した面持ちで酒場の前に佇む様子はあまりに目立った。


周囲の大人の好奇の視線を一身に浴びていたが、本人たちは集中しきって無関心。



生涯初の酒場訪問も世話役アリウスに知られたら大目玉だろうなあ、と気にしつつまずはパウルが店内に足を踏み入れる。



店内は昼間から薄暗く、アルコール臭も凄まじかったが見かける人間はわりと普通。酔っ払いも荒くれ者も見あたらずに一安心。


ただし視線の交わった大人たちはどれも目や口をポカンと開けて驚愕している。若すぎる客に対し無理もなかった。



兄にべったり寄り添っていたフレアも店内の雰囲気に安心したのか、身を離して近くの店員にズケズケと話しかける。



「カーラントの知人なんだけど」



普段のままの振る舞いに兄は冷や汗が出る思いだった。


少しは民間人のフリをしろと腕を小突くが、彼女はどこまでも素のままだ。度胸のすわった妹にひたすら感心である。



カーラントは店員や常連客なら誰もが知るお得意様。


その彼の知人と名乗ったのは正解だったようで、疑惑なくすぐに歓迎された。



カーラントの人柄を思わせる一幕で、『気さくな貴族様』と慕われていると聞きフレアはとても嬉しくなった。



誇らしく晴れやかな気分に満足しつつ、大きな瞳で店内をキョロキョロ。


そして最奥の壁際に置かれたピアノの傍らに佇む女を発見した。



十中八九この女が目当ての人物だろう。密集するテーブルやイスの間をすり抜け王女は前進した。





お忍び衣装のフレアよりも豪華なドレスを着たスラリと細い身の美女だった。


髪は明るい茶色。年齢はアリウスと同じくらいの20代前半に見える。ふわりと芳しい香りが彼女を包んでいた。



アリウスの方が美人ね、と内心で酷評しつつ積極的な王女様は一歩足を踏み込んだ。



「あなたがカーラントの馴染みの歌姫?」


「ええ、ベルセフォネよ」



いきなり肯定の即答にはさすがのフレアも面食らった。


酒場の歌姫だけあり堂々とした態度は高貴な印象すら醸し出す。なかなかの人物であることを雰囲気が悟らせた。



ベルセフォネは若すぎる可愛らしいふたりのお客様をピアノの隣の座席に促した。


自身は一度場を外し、戻って来たときはトレイに3個のグラスを乗せていた。



無意識の緊張に喉が乾いていた王子と王女は、真っ先にグラスを手に取りヴァルゴ名物の葡萄液を一気に半分空けた。



気持ちのいい飲みっ振りを歌姫は嬉しそうに楽しそうに眺めた。冷静に見えて無邪気な一面もあるようだ。


人物像を見極める使命を担うフレアの目にそれはまず好印象を与えた。



ベルセフォネは仕事柄よくわきまえており、客の素性には干渉しない。


よってフレアたちの来店目的や身分などは疑問に思っていても質さない。そして自身も質問された内容だけに応じる。



「カーラントはあなたにとってどんな人?」


「貴族様なのに気さくで夢のある素敵な方だわ」



他の店員と似たり寄ったりの応答だが、その時は喜んだフレアもこの女の口からでは妬ましく思った。


そして歌姫は対面するフレアを見つめて言葉を続けた。



「側にいると安らげると話してくれた。とても嬉しかった」



自慢するでもなく感情をただ溢れさせる。


感激が伝わり、カーラントへ寄せる彼女の愛も真剣なのだと見る者に受け取らせた。



「お二人も貴族ね?出会いを祝して歌うわ。聞いてくださる?」



「カーラント」と当然のように呼び捨てる言動から身分ある子供たちと断定した。


だが彼女にはどうでもいいことなのでそれ以上は追求しない。立ち上がり軽く発声練習を始めた。




そして歌った曲目はファジィ国民ならほとんどが口ずさめるであろう民謡。


歓迎の場面などで披露されるステップや手拍子を添えたくなる明るい歌だ。



ただしフレアが驚いたのはアカペラの歌声だった。地声から気づくべきであったが、彼女はアルトの持ち主だった。



煩わしさを感じさせない、耳障りの良い適度な高音が心地いい。


美しい歌声は爽やかで、田舎の民族衣装を着て自由気ままに踊りだい気分にさせた。




陽気なフレアがこの場に馴染まぬはずがない。席に座ったまま一緒に声を弾ませて楽しんだ。



ヴァルゴに来て4日。これほど時間の流れが早く感じられたのは初めてだった。


チーズなど飲食物は美味しいし店内の雰囲気も和やかだしと、すっかり気に入ってしまった。


席に戻ったベルセフォネと再度の乾杯をして談笑に花を咲かせた。



「明日も来ていい!?」



帰り際にベルセフォネに尋ねたフレア。


元気のいい貴族のお嬢様が気に入った彼女は笑顔を向けて頷いた。



手を振り酒場を出る妹を見ながら、よく似た面影の兄パウルは吐息を漏らしてしみじみ思った。




コイツ絶対に目的を忘れてる




彼も楽しめたが明日も強引に付き合わされるのかと不安になった。


明日こそ趣味の釣りに興じたい。でも多分またダメなんだろうなと再び吐息の、苦労の絶えない王子であった。



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