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重なる唇



剣士カインの決断力の高さは長所であり短所にもなりえる。



この日、その場に居合わせた者たちは確実に彼の性格をそう評しただろう。


そして彼を内心で非難し、アリウスに同情したはずだ。




それは皆での朝食の最中。ダイニングルームでの出来事だった。



昨日からの険悪ムードを払拭すべくカインは隣人に語りかけた。善意のつもりだった。



「アリウス殿、オレは国都へ戻るため夕刻にはここを発つ。王子たちの無事も確認できた。陛下に報告と、自分の仕事に早く復帰したい。剣士が城を空けてはいられないからな」


「え……」


「あなたは王子たちと一緒に後日の帰還を頼む。それと、道中は無理をさせた。すまない」



一方的な発言にようやく間ができた。


呆然と聞きいるアリウス。ハラハラと見つめる事情を知る面々。彼らの内に様々な思考が同居していた。



特に恋路を応援してきたフレアは同性として感情移入し、己の出来事のように切なさに苦しんだ。


片思いの相手にあんなことを言われたら自分ならどうなっただろう。


そんな思いを胸に大切な世話役の言動に注目した。




愛しい人がいなくなる。それもひとりで、何の相談もなく。


告白の返事だってもらっていない。彼にとってはただの同行者でしかなかったのだ。


そう胸中で思うアリウス。でも動揺は表面に出さぬよう平静を心がけた。



「いえ足手まといだったのでは?」


「とんでもない。あなたは従順でこれ以上ない最高の同行者だった」



昨夜とは真逆だがこちらが彼の本心だ。決してお世辞ではなく順調な日程には満足である。



ただしその賛辞がアリウスのためになるかは不明だ。


フレアなどには無神経に感じられ、抗議しかけて隣人に腕を掴まれた。その青年が小声で話しかけてくる。



「王女、ここから先は彼らに任せましょう」


「カーラント!でも!」


「恋は生き物です。介入者が増えては収拾しにくくなります」



口調から彼がアリウスの恋心を知っていたことに驚きつつ、制止には納得ができない。


逆上を見せる王女にカーラントは穏和に説得してなだめる。



「私たちが介入する問題ではありません。彼ら個人が各々考えることです。私たちは傍観者であるしかないのです。見守りましょう」



黙って意見を聞いていたフレア。


どうにか妥協したのか、顔を逸らしてポツリと気持ちを吐露した。



「アリウスが可哀想」


「彼女は強い人ですよ」


「女心は傷付きやすいわ。強い女なんていないのよ」



涙目で訴えたフレアにカーラントは少女とは異なる女らしさを認めて感心してしまった。



「おや王女、大人びた発言ですね。成長なされましたね」


「2年も経てば成長もするわ」



フレアも自身の恋愛に歯痒さを感じた。愛しい眼前の男は恋心に気付いてもくれず子供扱い。


会いに来ると言ったくせに音沙汰なしのまま2年。今回が別離以来の再会だった。


何だか腹が立ってきた。「男なんてみんな鈍感だわ!」と機嫌を損ねて頬を膨らませプイと横を向いたのだった。




そしてアリウスも動きを見せた。


引き止める権利もなく、言ったところで叶うはずもなく、困らせぬよう自我を殺して利口な女を演じた。



「わかりました。数日後には私たちも戻ると陛下にお伝え下さい。お願いします」



寂しそうに語る彼女にひたすら同情のフレアは自身まで悲しくなり皆との会話もそこそこ、食事に専念したのだった。





明るいフレアの声が響かぬ食事はとても陰気臭く、屋敷内は朝からどんよりとした嫌な雰囲気に覆われた。



それでも伯爵家の次男バンテートには楽しみにしていたカインとの剣術の時間がやって来た。王子パウルも加わり中庭での訓練である。



パウル専属の剣術指南役がカインと知り、バンテートは非常に羨ましがった。



「いいなあ王子様は。オレもカイン様に毎日稽古を付けてもらいたいな」



2歳差と年の近いパウルとバンテートはすぐに打ち解けた。


互いに剣を交えたりと身分を超えた交友を深めた。



友情を深める男たちが存在し、傍らでは憂鬱な女が存在する。


側のベンチでぼんやりと、カインを見ては何度めかの吐息を溢し、フレアは剣士たちを眺める。


浮かない顔の原因はまだアリウスの件を引きずっているからだ。


食事のあと静かに部屋に戻ったアリウス。落胆して泣いているのかもしれない。


それにカインに帰都を許可したのはフレア自身だ。罪悪感も募らせていた。



いったん休憩となり王子はバンテートと共に妹のもとに汗を煌めかせて駆け寄った。


疲れ知らずのカインは剣を手に黙々と素振りを繰返している。




3人で仲良く座るもやはり元気のないフレアに双子の兄は心配顔だ。


励ましたい一心から自身の思考を打ち明けた。憂鬱な気分の解消になればと願う。



「オレ、カインの気持ちもわかるな」



そう前置きをし、さらに照れ臭そうに「上手く言えないけどさ」と付け加えて語り出した。



「女性を悲しませるのはよくないけど、仕事も大事、自分の信念も大切にしたい、日常を壊されたくない。自由でいたい。そんな気持ちも人にはあると思うんだ」



カインにはカインの思考がある。それは本人にしかわからず、合否の付けようのない問題。他人には口を挟めない領域。


アリウスを贔屓するあまりカインだけを我が儘扱いして責めてはならない、とパウルは指摘する。



カーラントと同様の干渉を避ける傾向に、フレアは「男は誰でもそう感じるのかな」としながらも「同性に甘い!」と厳しい感想を抱いた。



幸いにも妹の手厳しい心の叫びが届かぬパウルは引き続き思案する余裕に恵まれた。


汗の滴る若々しい顔を上げて、遠く春の青空を瞳に映す。



「父上を見てたらオレも思うよ。父上は若い頃から活動的で騒動もたくさん起こしたって聞いてる。でも今は国王の責任と職務があって自由がきかない。羽を伸ばしたい時もあるんだろうなって」



この例えはフレアにもわかりやすく同調しやすかった。


王族の立場では束縛だらけ。彼女自身今回街に買い物にも出られない。


束縛を常に抱えているからこそ自由という時間の貴重さが実感できる。個人の自由を優先させたい行為には同感だ。


そしてそれとは別にフレアは兄が父王をそのように見ていたことに感心した。



「私そんなの考えたこともなかったわ」


「オレも今ふっと思っただけだよ。次期国王だし、何となく遊べるのは今だけなんだろうな。だから今は好きなことをしたいなあって」


「パウルは大人だね。……次期国王かあ。私はそのとき何をしてるのかなあ」



バンテートはふたりの会話を黙って聞いた。なんて思いやりに溢れた王子王女であることか。


将来パウルが国王となった際には伯爵家の一員として補佐がしたい。近衛兵になってフレアを守りたいと胸が熱くなった。



そのためには剣術だけでなく今まで疎かにしていた学業も大事。


卒業の年で進路は父母が勤める役所の守衛と内定しているが進学を希望したくなった。


でも今からの猛勉強では遅く、ちょっぴりの後悔と、文武両道の兄カーラントを羨ましく思う次男坊であった。




休憩を経て男たちはまた張り切って汗を流し、午前中いっぱいを費やした。


その稽古もやがて終了。午後は予定通りカインの帰都となった。





日没を前に剣士は行動し、屋敷の玄関前で王子たちは見送りに姿を出した。



このヴァルゴ目前の関所に停めていた馬車で帰ると伝え一同を安心させたカイン。


ひとりずつと挨拶を交わして、最後にアリウスと言葉を交えた。



「お気をつけて……」



苦悩を抱え、ほぼ1日を部屋で過ごしたアリウス。ランチ時間にも姿を現さなかった。


いま尚そう呟くのがやっとで、旅立つ剣士の顔をまともに見ることも困難だった。



絡まることのない視線への言及は避けて、カインは彼女の一言に善意を感じ温かく返答した。



「先に城で待ってる。あなたも気をつけて」


「カイン様……」



安心して出立させるつもりが声は震えて態度に出てしまった。


せっかく身近に感じられてきた彼との別離は今生の別れであるかのように深い悲しみだけをアリウスにもたらした。



愁いな表情をカインとて見過ごすはずがない。


昨日から悲しませていること、だけど無力であることを自覚していた。



でもこの儚く美しい顔を見て心はグラリと揺らめいた。


こんな自分を愛し、このような表情を浮かべてくれる彼女に酬いてあげたくなった。



何をするかはやはりの即決だった。これしか考えられなかった。



両手で彼女の頬を包むと頭部を上向かせた。上体を少しだけ前屈させて自分の顔を近づける。


ハッと強張る女の仕草に無視をして、唇を重ねた。



驚きに息を止める彼女の物言えぬ唇に、ぎゅっと己の身勝手な唇を押し付ける。



柔らかな赤い唇と甘い体臭にはっきりと女を感じて、剣士は途端に身を離した。



「すまない」



数秒であろうと強引な行為に、男らしく潔い謝罪を述べた。


口に付いた口紅は無造作に手の甲で拭う。




周囲の10代3人組は間近で見るキスシーンに唖然とドキドキを同居させてポカンとしている。


彼らを視線で一撫でし、カインは臣下らしく特に王子王女に深く一礼すると傍らの友人には苦笑を披露した。



「王子たちとアリウス殿を頼む」


「最高のもてなしはするが、壊れた心は私では治せない」



カーラントは立ち尽くすアリウスにチラリと視線を送る。


同じ方向を見つめカインは口を真一文字に結び、その口を開くと「頼む」とだけ再び告げて広い背中を向けた。



長身が視界から消えたと同時に嗚咽を漏らして、アリウスはカーラントを潤んだ瞳で見上げた。



「きっと振られたんだわ。口づけは手切れ金みたいなもの。謝罪も忘れてほしいって意味だわ」



言葉半ばでこらえきれぬ涙が頬を伝わる。


発言内容を認めたくない気持ちの方が大きく、でも何を信じていいのかわからぬ状態だった。



カーラントも理由は別にあると推測したが、宙ぶらりんな友人の不器用さを歯痒く思った。


相思相愛の男女ですら時に軋轢が生じる。片思いなら尚更だ。


アリウスの悩みはより大きくなり苦しむのだろう。



脳裏にもうひとりの女が浮かんだ。馴染みの酒場の歌姫。愛を交わす人。


彼女は気丈だが身分の違いに悩んでいる。自分も言動ではっきり安心させてやらねばと気づかされた。



『強い女なんていない』



王女フレアの言葉が胸に響く。アリウスを見て実感のカーラント。女心は何より難しい。



女性たちの暗雲漂う先行きに幸あれと願いつつ、ままならぬ現実に昨夜同様重い吐息を漏らすのだった。



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