ドールプリンセスひとみ 狐の子
夏休みも残りわずかになったある夜。
ひとみはベッドの上に横になり、天井を見上げていた。
「あ~あ、夏休みもあとちょっとで終わりかぁ」
ロックは枕元であくびをしている。
「まあまあ、ひとみちゃん、いっぱい遊んだんだからいいじゃない」
「まだ自由研究の宿題が残っているのよ~~」
ひとみはごろりとうつぶせになって、足をバタつかせた。
「あーー、どうしよう!」
「やれやれ」
ロックはあきれた。
「あれっ?」
枕に顔をうずめていたひとみはパッと顔をあげた。
「どうしたの?」
「しっ!」
ロックの問いを自分の唇に人差し指をあてて制した。
「ねぇ、なにか聞こえない?」
「えっ?」
ロックもじっとして聞き耳を立てた。
「確かに聞こえる!」
ひとみとロックは目を合わせ同時にふりかえり、窓の外を見た。
「コーン、コーン」
「ロック、あの声なんだろうね?」
「んー、きつねの鳴き声みたいだね」
ひとみは窓を開けたが、暗い街の景色が広がっているばかりだった。
ひとみとロックは耳をすました。
「コーン、コーン」
また鳴き声が聞こえた。
「なんかおかしいわね。鳴き声は聞こえるけど、ほかの音が全然しないなんて」
ひとみは不安げにあたりを見回した。
「ひとみちゃん、もしかすると、ダークゾーンかもしれない」
「えっ」
「僕、ちょっと見てくるよ!」
そう言い残して、ロックは窓から飛び出していった。
「あ、ちょっと私も行くわよ」
ひとみはあわててロックのあとを追おうとしたが、自分がパジャマのままであることに気づいた。
ロックはひとみをおいてドンドン先に行っている。
「もう、着替えるの、めんどうだわ!」
ひとみはエヘヘっといたずらっぽく笑ってプリンセスハートをかかげた。
「ひとみ・プリンセス・ドールアップ!」
すぐにロックの後を追って自分の部屋の窓から飛び出した。
窓の外はもう、普通の町並みではない。異様な空間が広がっていた。
「いったい、ここはどこなの?ドールドーンとダークゾーンがまじりあっているみたい」
ひとみは大きな声でさけんだ。
「ロック―――!どこにいるの―――?」
あたりは静まり返っていて、何も聞こえない。
「これじゃあ、どっちへ行けばいいのかわからないわ」
ひとみは慎重に歩き出した。
しばらく行くと、ひとみの進む方向からケンカをしているような鳴き声が響いてきた。
激しく身体をぶつけ合っている音もまじっている。
「どうしたの――?ロック――!聞こえる―――?」
ひとみは声をかけながら走った。
ロックが暗闇の中から戻ってきた。
「ちょっと、大丈夫?ロック!なにがあったの!」
「はあっはあっはあっ」
肩で息をしているロックの身体には傷がいくつかついていた。
「ダークドールがいたんだ。でも僕が追い払ったから、もう大丈夫だよ」
ロックは苦しそうに返事をした。ひとみはひざをおり、ロックの頭をなでた。
「一人でやっつけちゃうなんてすごいわね、ロック。でもあちこち傷があるじゃない!ほんとに大丈夫?」
「うん、平気だよ」
――ん?変ね?
ひとみは、ロックの目をじっと見た。
ロックもまっすぐに見つめ返した。
「どうしたの、ひとみちゃん」
「え、あ、なんでもないなんでもない」
「へんなの」
「ごめんごめん。帰ろ」
ひとみは、あわてて笑ってごまかした。
「それで、あの鳴き声の主はどんなダークドールだったの?」
「うん、きつねの子のぬいぐるみだったよ」
「ふうん、それでそのダークドール、どこに行ったの?」
「わかんない。僕にやられて、逃げてった。あんまり強くなかったよ」
戻る道すがら、ひとみは隣のロックをチラチラと盗み見をしていた。
ロックはそんなひとみをけげんな目で見上げた。
「やっぱりなんか変だよ、ひとみちゃん」
―――なんかおかしいけど、まあいいか!
ひとみはニコッと笑ってあやまった。
「ごめん、ほんと、悪かったわ」
ロックは肩をすくめた。
「まぁ、いいけどさ」
部屋に戻ってくると、ひとみはロックを抱き上げた。
「今日はもう遅いから、身体の傷をなおすのは明日になっちゃうけど、大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「明日きっとなおしてあげるからね」
「うん」
「じゃ、おやすみなさい、ロック」
「おやすみなさい、ひとみちゃん」
ひとみはベッドに入った。
布団をかぶり、さあ寝ましょう、と棚の方に背を向けて目をつぶった。
「あっ」
ひとみはハッと気づいて身体を起こし、棚の方に振り向いた。
ロックは普通のぬいぐるみに戻り、知らぬふりですまし顔をしていた。
―――やっぱりあのロックは本物のロックじゃない!にせものだわ。
あわてて枕元のプリンセスハートに目をやった。
プリンセスハートの輝きにかげりはない。
―――プリンセスハートに変化はないわ。それなら本物のロックも無事ということね……。
次の日の朝。
ひとみはロックを棚からおろし、机の上に置いた。
「きのうは大変だったわね。じゃあ、なおしてあげるね」
裁縫箱から針と糸をとりだし、からだの切り傷をなおしはじめた。
「傷がたくさんあるわね。かわいそうに」
ひとみは真剣な表情になり、ひと針ひと針丁寧に縫っていった。
「大変だったわね、ロック」
ときどき手を止めてはロックの目を見て微笑みかけた。
「ありがとう、ひとみちゃん」
ロックは安心して目をつぶった。
―――やさしい人間もいるんだなあ
そう思ったとき、ロックの右目からポロッとひとつぶ涙がこぼれた。
「どうしたの?」
ひとみはロックの顔をのぞきこんだ。ロックはあわてて首を振った。
「う、ううん、なんでもない」
ひとみはまた手元に目をやり、黙々と傷を縫い続けた。
「さあ、もう少しよ」
ロックはそんなひとみをじっと見つめていた。
「よし、できた!なおったよ!」
最後の玉止めをすると、ひとみはロックを抱きしめた。
「あ、ありがとう……」
ロックの目から涙があふれだした。
「どうしたの?」
「あ、あの、じつは僕、……」
ひとみはロックを見てやさしく笑った。
「わかってる」
「えっ?」
「ロックじゃないんでしょ?」
「なんでわかんの?」
ロックの化けの皮をはがして、きつねの子があらわれた。
もちろん、身体はきれいになおっている。
「くすっ、そりゃね。ロックは、私の大事なメイトだから、すぐわかったわ。私がロックをなおしたとき、左目を新しくしたの。あなたの目は右が新しくなっていたわ」
「それなのに、なんで僕をなおしてくれたの?」
ひとみはちょっと眉をあげ、肩をすくめた。
「ドールプリンセスが傷ついたドールをなおしてあげるのに、理由はいらないの」
きつねの子は、ひとみにすがった。
「じゃ、じゃあ、僕のお母さんもなおしてあげてくれる?」
「もちろんよ」
「ああ、よかった」
「お母さん、どこにいるの?」
「ほんとのロックさんが探してくれてる」
「はぐれちゃったの?」
きつねの子はうなだれた。
「うん、きのう、僕とお母さんは、人間にいじめられて、『ボロいぬいぐるみ!』って、ほっぽりだされたんだ。そしたら、どこかわからない変なところに着いて……」
顔を上げ、ひとみを見つめた。
「気がついたら、お母さんとはぐれちゃってて。お母さんを呼ぼうと思って鳴いていたんだ」
「そうなの」
「鳴いてたところにロックさんがきてくれてね、『どうしたの?』って聞いてくれて」
そう言ってきつねの子は下を向いた。
「そのとき、僕は人間にたいして憎しみを持っていたから、ダークワールドに行こうかどうしようか考えていたんだ」
「……」
「ロックさんに、ダークワールドにいかない方がいいよ、人間にもいい人がいるよ、と言われたんだけど、信じられなかった。そして、ケンカになっちゃったんだ」
「ロックさんは僕を押さえつけて、『僕に化けて、ひとみちゃんのところへいってごらん、きっと僕の言うことがわかるから』そう言ったんだ」
きつねの子はほろりと涙を流した。
「それで僕はロックさんに化けて、ひとみちゃんのところへ来たんだよ」
ひとみは、きつねの子を抱きしめた。
「大変だったわね。でも、私がいるから大丈夫よ」
「うん、ありがとう」
きつねの子は安心したように笑った。
そのとき、外から様子をうかがっていたロックがひとみの部屋の窓をたたいた。
「僕だよ、本物のロックだよ。お母さん、探してきたよ」
「お帰り、ロック」
ひとみが窓を開けると、
「ぼうや!」
きつねのお母さんがとびこんできた。
「お母さん!」
二匹は抱きあって再会を喜んだ。
「まぁ、お前、すっかりきれいになおって!」
「うん、ひとみちゃんがなおしてくれたんだ。お母さんのこともなおしてくれるって」
お母さんぎつねは、目を見開いてひとみを見た。
「本当ですか?」
ひとみは笑顔でうなずいた。
「まかせてください」
「ありがとうございます」
「じゃあ、早速傷をみせてくださいね」
「はい」
ひとみはお母さんぎつねの身体をすみずみまで調べた。
「身体中傷だらけね……。これは大変だわ。う~ん、そうだ、私のワンダースキル、ソーイングアウト、ソーイングアニューを使えば、すぐに全部きれいになおるわ」
「全部?」
「そうよ、すぐによくなるわ」
「すみません、それなら、なおしていただかなくて、結構です」
それを聞いてきつねの子が不思議そうな顔をした。
「どうして?お母さん、きれいになった方がいいじゃない」
お母さんぎつねは横腹をゆびさした。
「じつは、この横腹にある傷、なおしたところがあるでしょう?」
「そうですね。でもあまりきれいにはなおせていないみたいだけど」
「ここは、始めて私を可愛がってくれた小さな女の子がなおしてくれたところなんです」
お母さんぎつねは、やさしく微笑んだ。
「たしかにあまり上手にはなおせていないんですけれど、私は、その女の子の優しい真心が嬉しくて……」
お母さんぎつねはひとみを見つめた。
「この傷だけはその証しにとっておきたいのです。ですから、全部をきれいになおしてしまうのだったら、そんなすごい技をつかってなおしていただかなくても……」
「そうだったの。わかったわ。それなら、頑張って針と糸だけでなおしましょう!」
ひとみはうでまくりをして、きつねのお母さんを抱き上げた。
机の上に寝かせ、ほつれた糸を和ばさみで切り始めた。
―――でも、これだけ傷があると、ちょっと大変ね……。
結局ひとみはお母さんぎつねをなおすのに、まるまる1週間かかってしまった。ほぼ身体全体をなおしたようなものだった。
「さあ、終わったわ!横腹の傷はそのままにしてあるわ」
「ありがとうございます」
「ご気分はいかが?」
「とってもいいです。本当にありがとうございました」
「よかったぁ、あ、そうだ、あ――、どうしよう!」
突然、ひとみは頭を抱えた。
「どうしたの、ひとみちゃん!」
ひとみはロックに悲壮な顔を向けた。
「夏休みの自由研究の課題、何にもやってない!」
「え――っ?」
ロックも目をむいた。
「どうするの?」
「どうしよう?」
ふと、お母さんぎつねとひとみの目が合った。
ひとみは両手をあわせて頼み込んだ。
「あ、あの、お母さん、自由研究でぬいぐるみを作ったということで、宿題の提出物になってくれませんか?」
「ええ?」
「しばらくの間、教室の後ろのロッカーの上でじっとしていてくれればいいんです」
おもわずロックが叱った。
「コラッ、ひとみちゃん、それはダメ!」
「やっぱりぃ?」
眉をよせて肩をすくめたひとみを見て、ドールたちは腹をかかえて笑った。
終わり