エピローグ
エピローグ
「ねぇ、お兄ちゃん! 早く!」
「遅いよ、お兄!」
二人は駆け出していく。浴衣姿という動きづらいはずの格好であるのに、いつも通り服装であるかのように走っていく姿を見送る。
病み上がりの体には彼女たちについていくだけで精いっぱいだった。ちょっとした階段でも息切れを起こすようになった体は自分の体じゃないかのように動きが鈍い。
医者の話では少しずつリハビリをすれば元の体力まで戻るそうだが、今の現状ではそれがいつの事になるか、皆目見当もつかなかった。
「ちょっと、お兄ちゃん。大丈夫? 休む?」
先に駆けていったはずのアリスが心配だったのか引き返してきた。
「大丈夫。それよりも場所は大丈夫か?」
「カナちゃんが場所取りしてくれてるよ。結構いい感じの所見つけたんだ。早く行こ」
アリスはそう言うと俺の手を掴んで、引っ張る。
それにつられるようにして俺の足ももう一度動き出した。
俺の手を握って離さない彼女の手を少しばかり熱く感じた。
七夕の祭りは七月に行われることが多い。だけど、この地方だけは少しばかり変わっていて、旧暦の七月。今でいう八月にその祭りは行われるようになった。何でも昔のその土地を治めていたお殿様の言いつけだそうだ。
そんなわけで、八月七日に七夕の祭りがあり、その前日には前夜祭が行われる。
前夜祭の目玉は花火だ。
地方の一都市でしかないそこに花火を待ち望んで市民はもちろんのこと県内外から人が集まる。
人でごった返す。
はじめのうちはまだ、人がまばらだったが、少しずつ時間が近づくにつれ、人の数は増え、気が付けば、周りは人で塊になっていた。
「早めに場所取っておいてよかったな」
とりあえず、三人が座ってみることができる程度には、場所を取ることができていた。
ブルーシートを地面に敷いただけの簡易な場所取りだったが、それでもないよりはましだろう。ただでさえ、人が多く、ゆっくりとできるような場所がないのだ。それに慣れない浴衣を着ている子が二人もいる。
「ほんとだね。こんなに人が多いと大変だもんね」
うんうんと頷くアリスを尻目に隣に彼女の隣に座っていた妹が何かを見つけたことに気がついた。
「カナ、何か見つけたか? 友達でもいたのか?」
「あ、お兄、違うよ。友達は見てない。それよりもあっちの屋台で食べ物売ってるみたい」
花火よりも、食べ物。
花より団子を地でいく妹らしさがそこにはあった。
「それじゃ、カナには何か買ってきてもらうか。頼んでも良いか?」
任せてと、元気よく言った妹に財布から抜き出した千円札を数枚渡す。
「カナちゃん、私も行くよ」
「アリスはここでお兄の相手してて」
カナはアリスの申し出を断ると一目散に屋台の方へと駆けていった。その駆けだしていく様は何度見ても浴衣を着ているそれの走りではなかった。
「なんか気使わせちゃったかな」
ぼそりとアリスがつぶやく。
それは、少しばかりあの人の口調に似ていた。
「どうだろうな」
アリスの中の彼女が消えてから、俺は何処かアリスと二人になることを避けていた。
俺自身もアリスに起こっていたことのほとんどを信じ切れていなかったからだ。それはまるで魔法のようなものだったとしか言えない。いかにアリス自身の口から、彼女の心を言葉にされても、やはりそれはアリス自身の心なんだと思ってしまった。
「お兄ちゃんは何でここに連れてきてくれたの? まだ体は本調子じゃないんでしょ?」
アリスは少し膝を崩しながら、俺の対面に座った。
そして、どうして連れてきてたのかと不思議そうに言う。
「……」
考える。
言ってしまえば、俺自身が来たかったから。そして、今年から一緒に住むことになった新たな妹にこの景色を見せたかったから。たくさんの理由がふっと湧く。だけど、そのどれもがいまいちピンと来ていなかった。
もっと相応しい理由があることに気が付いていたからだ。
「約束だったからな」
「約束?」
不思議そうにそう言う。その表情を見て、彼女はアリスに全ては語らなかったのだなと悟った。
「ああ、あいつと約束したんだ。一緒にこの花火大会に来ようって、一緒に花火を見ようって、そして」
言って、少し泣きそうになった。
彼女との約束がもう二度と果たされることはないとようやく実感した。
ようやく俺はこの恋に終止符を打つことになった。
さよならも言えず、突然去ってしまったあの人に御伽話のようにまた会い、そして今度こそ、謝って、笑顔でさよならをして、そして最後の約束をして。
自分で思っている以上にそれは、悲しくもあったけど、最後に笑顔で見送ることができたという幸せもあって。
だから、次は彼女が憑依していた少女に見せてあげたかった。
それが彼女との最後の約束。
「ああ、ようやく約束を果たせたんだなって」
ドンと大きな音がした。それと共に大輪の華が空を彩る。
華は色とりどりに変化して、そして散っていく。
大輪の華を中心に葉のように伸びていく色鮮やかな花火。
「綺麗……」
それ以上の言葉はいらなかった。
誰もが空を見上げ、暗闇を照らす華に目を奪われる。
「I were」
いつの間にか隣にいたアリスは何かを小さくつぶやいた。だけどそれは、花火の炸裂音にかき消されてしまった。
「なんて言ったんだ?」
俺が聞き直すと、笑顔で言う。
満面の、夏に咲く大輪の花のような笑顔で。
「わたしたちはここにいるよ」
その言葉は花火にかき消されることはなかった。