10.
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「アリス、お兄の事見ててあげて」
暗闇の中から声がした。
私が部屋に戻ると暗い闇の中でカナはベッドに腰掛けながら、こちらをみていた。ただ、見ているだけ。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
私は笑って誤魔化すようにそんなことを言う。
「誤魔化さないで」
少し強めの言葉が返ってきた。
「大丈夫、アリスがお兄のことを気にかけてたのは知ってたから」
少し私は驚いた。
そして、もう一人のわたしが警戒する。
「いつからそれを知っていたの?」
「アリスが私に電話を掛けてきてくれた時からだよ。だって、私に掛けてきたのに、お兄ちゃんと遊びたいってずっと言ってるんだもん。なんとなくお兄ちゃんの事を気にしているのかなって」
それは随分と前からだった。たしか去年の冬ごろ。私の両親も健在だったころだ。
そうか、その時になんとなく知られちゃってたのか。
「大丈夫、知ってるのは私だけだし、それにその頃はお兄が一番壊れそうになってた時だから。お兄にアリスの話すると笑ってくれたしね」
そう言って、その頃の事を話してくれる。
お兄ちゃんが大変なことになっていること。友達だった人が亡くなったこと。友達とケンカしたこと。そして、お兄ちゃん自身がそれを自分のせいだって自分を責めていること。
「最近はあまり無くなったけど、時々、お兄がうなされてるの聞こえてたから」
壁一枚で仕切られた部屋。だから、嫌でも聞こえてきたのだろう。
兄が苦しむ声が、ごめんと謝る声が。
「それに、ね。アリスが来てからお兄がよく笑うんだ。アリスが来たおかげだよ」
そう言って私に笑ってくれる。
彼女は知っていたんだ。お兄ちゃんの闇を。それを知りながら、隣で今まで通りに過ごしてきた。時間がお兄ちゃんを慰めてくれると願いながら。
「ねえ、カナちゃん。何でお兄ちゃんがそんな風になったのか知ってる?」
わたしはそんなことを聞いていた。
「……」
わたしの問いかけに対してカナは何も言葉にしない。
時間が止まったような気がした。
数時間にも思える、数刻が流れた。
「私ね、お兄が連れてきてくれた友達の人に嫉妬したんだ。すごい笑顔がかわいい人でね。この人はすごくいい人なんだ、この人はいろんな人を幸せにするんだろうなって」
だからと、一瞬間を置く。
「だから、お兄の隣にいた人に嫉妬した。今まで私がいた場所を奪ったあの人に嫉妬した」
それは彼女の中に今まで溜まっていた激情の塊だった。
それが、栓を開けたように流れ出る。
「今までは、お兄に甘えられたのに、それもできなくなるんだって思って、悲しくなった。なんで、私の場所が奪われるんだろうって不思議に思った。私の場所にいるその人に嫉妬した」
だけど……
だけど、と言葉を続けた。
「だけど、その人が私のお姉ちゃんになったら嬉しいなって同時に思ったの。お兄の隣はその人で私は、もう片方のお兄の隣で笑ってる。そんな風になればいいなって思った」
声はいつしか涙交じりになっていた。
「だけど、そのお姉ちゃんが死んじゃった。突然、いなくなっちゃった。ねえ、何がいけなかったのかな?」
彼女が抱え込んでいた闇はわたしが思っていた以上に深かった。
知らなかった。
一度会った時には、そんな葛藤を見せることもなかった。彼女の胸の内に気づきもしなかった。
「ごめんね」
ふいに出たのは、アリスとしての私ではなく、わたしとしての思いだった。
「何で、アリスが謝るの?」
「だってわたしがそんなことを聞いたから」
そんな風に目の前の女の子に嘘を吐く。
私の大切な子で、わたしにとって大切な人の妹にそんな風に誤魔化しの言葉を告げる。
「変なの……」
思いの丈を吐き出したためか、少しずつ彼女の瞼は閉じていく。電池が切れるように、すとんと横になった。
「おやすみ、カナ……」
「うん、おやすみ、アリス」
私もカナの隣に入る。
それほど大きくないベッドだが、女の子が二人寝るにはちょうどいいサイズだった。
こうして、誰かと寝ることが久しぶりだったと私は気が付いた。このまま、幸せであればいいのにそう思う。
だけど、それをもう一人のわたしが許してくれない。
「……謝らなくちゃ」
わたしはそう私だけに聞こえるように言葉にした。