それって遺言?
星屑による星屑みたいな童話。よろしければお読みいただけるとうれしいです。
ひだまり童話館第19回企画「ぺたぺたな話」 参加作品。
奈美の父、誠司が肺にできた癌で亡くなってから、二回目の冬が来た。
あとひと月も経てば、年の瀬だ。
夕飯を済ませ、ぼんやりとテレビを眺めていた奈美がそろそろ宿題をしなくちゃとソファーから立ち上がった、そのときだった。
「そろそろ我が家も年賀状を用意しなくちゃね……。奈美、頼める?」
台所でかちゃかちゃと夕飯の食器を洗いながらでそう言ったのは、奈美の母、絵美だった。
少し大げさな感じで水道の冷たい水に顔をしかめる、絵美。
それは絵美が一人娘に何か頼み事をするときの、いつものやり口だった。
(えっ、私が作るの?)
思いがけない言葉を受けた奈美が、母親をじっと見入る。
かつて、この家で年賀状作りをしていたのは亡くなった誠司だった。年末になると書斎にあるノートパソコンをかちゃかちゃとやり始め、家族の画像を貼ったり近況を綴ったり、ああでもないこうでもないと楽しそうに三人家族の年賀状を作っていた父の姿を、奈美は思い出す。
「私が作らなくても、印刷屋さんに頼むって方法もあるよね……」
「そうなんだけどさ、やっぱりお父さんと同じやり方で作りたいのよ」
「いっそ、もう年賀状を出すのを辞めるってのもありかもよ。今はメールとかSNSとかで済ませるっていうのも普通になって来てるし」
「それは味気ないと思う。お母さんは、年賀状がいいの!」
はっきり言って、中学二年生の奈美にとって家の年賀状を作ることは重荷だった。
でも、母に面と向かって嫌とは言えなかった。
なぜなら奈美には判っていたからだ。絵美が、誠司の使っていたパソコンを見て時折涙していることを――。
奈美は、洗い物を続ける母親に向かってため息混じりに言った。
「……わかったよ。じゃあ、今年の年賀状は私が作るね」
「うん、ありがとう。よろしくね」
そうは言ってみたものの、奈美にとってはやはり勇気がいることだった。
誠司が亡くなってから一度も使われていない書斎のパソコンの画面を開き、恐る恐る電源を入れてみる。
カリカリと音を立てながら、久しぶりに動き出したパソコン。
長い昼寝から覚めたときのような動きの鈍さを、パソコンに対して奈美が感じたときだった。キーボードのあたりから何だか懐かしい匂いが漂ってきた。
お父さんの匂い――病気になる前、よく吸っていた煙草の匂いだと奈美は思った。
その瞬間、奈美の頭の中に蘇った記憶――。
「なあ、奈美。お父さんがいなくなったら、家の年賀状のこと、頼むな」
それは、亡くなる少し前、病院を見舞った奈美に向かって白いベッドに横たわりながら誠司が言った言葉だった。
(そういえばお父さん、そんなこと言ってたっけ……)
奈美は、急に腹立たしい気持ちになった。なぜって、自分に掛けられた父の最後の言葉が、年賀状の事だったのだから!
(あれは私にとって遺言のようなものだったんだし、普通、もっと大事なことを話すでしょ。そんなに、年賀状って大事?)
そう思ったら、何だか無性にパソコンをひっぱたいてやりたい気持ちになった。けれど、それをぐっと我慢した奈美。深呼吸してキーボードに手をやると、再びお父さんの懐かしい匂いが奈美の鼻を包み込んだのがわかった。
途端、奈美の両眼に涙があふれ、こぼれ落ちていった。
思わず声も出てしまいそうになる。けれど、それを母親に感づかれてなるまいと、わざとキッチンにいる絵美に聞こえるような大声で鼻唄を唄いだした奈美。そして、何事もなかったかのように、カチャカチャとパソコンをいじり始めた。
が、ここにきてひとつ、心配事が発生した。考えてみれば、奈美はこのパソコンを初めてさわるのだ。
(年賀状ソフトなんて使ったことないし……本当に私に作れるのかしら)
でも、意外とすぐにその心配事は収まった。
誠司の残したパソコンの画面の真ん中に、まるで誠司が「ここをさわればいいんだよ」と教えてくれようとしているように、年賀状を作るソフトを起動するためのアイコンがあったからだ。
ソフトの使い方も、何となくイケそうな気がしてきた。
(とにかく、やってみよう)
葉書の絵の付いたアイコンをクリックしてソフトを動かしてみる。すると、二年前に誠司が最後に作った年賀状のデザインが画面に現れた。
(お父さん、結構ちゃんと作ってたんだな)
保存されていた過去のデザインを、まずは眺めてみた。それが、上達への一番の近道だと思ったからだ。が、しばらく感心しつつそれらを見ていた奈美が、急にしばしばと目を瞬いて、首をかしげた。
保存されていたファイルの中に、妙なデザインのものがあったからだ。
「あれ? これって……今年用の年賀状だよね」
間違いなかった。
開いたデザインの中に、来年の西暦の数字が書かれた年賀状があったのだ。奈美は、ぷうと頬を膨らませ、台所の絵美の所へと駈け寄った。
「ちょっと、お母さん! 来年の年賀状、もうできてるじゃん。お母さんが作ったんじゃないの?」
「え、どういうこと?」
「どういうことって……じゃあ、ちょっと見てよ」
奈美は、洗い物で手を濡らしたままのお母さんをパソコンの所まで引っ張っていき、画面に映された年賀状デザインを指差した。
「あら、本当ね! 来年の西暦が書いてあるわ。でもこれって、もしかして……」
「もしかして?」
「これって、もしかしてお父さんが作ったんじゃないの?」
「ええっ!?」
よく見ると、西暦の書かれた部分の下に文章が書いてある。
母の絵美が、ゆっくりと声を出して読みだした。
『絵美、奈美。あけましておめでとう! 二人とも元気にしてるかな? お父さんは、天国で楽しく暮らしているから心配しないで。ときどきでいいから僕のことを思い出してくれたらうれしいな。では、また来年!』
さっきは気付かなかったけれど、保存されている年賀状の中には、再来年もその次の年も、十年先までのものまであった。どの年賀状にも、家族三人で笑う、大きめの写真が貼りついている。
「お父さんたら……。ずっと一緒に居たかったんだね」
「うん……きっと、そうだよ」
母と娘、もともと似ている二つの顔が、しわくちゃになってますますそっくりになった。
――年が明け、元日を迎えた。
お母さんが作ってくれたお雑煮を食べ終え、お腹いっぱいになった奈美が自分の部屋の勉強机に向かう。
筆ペンを手に持った奈美が「よし」と気合を入れて、机と同じくらいの大きさの紙に何やら書き始めた。それは――手書きの年賀状だった。
文章を書き終えた奈美が、その横に教科書くらいの大きさに印刷した家族三人の写真を、糊でぺたぺたと貼っている。
『お父さん、あけましておめでとう。お母さんと私は元気よ。お父さんのことは絶対に忘れないから、心配しないで!』
天国のお父さんへ、と宛名が書かれた大きな年賀状。
奈美はそれを、天国からも見えるよう、四隅をセロテープでとめるようにして勉強部屋の窓硝子にぺたぺたと貼り着けた。その作業は、お雑煮を食べ終えた絵美も手伝った。
「これなら、お父さんからも見えるよね」
「うん、きっと見えてる。今頃、喜んでるに違いないよ」
奈美の肩を抱きながら、絵美が優しく頷く。
雲の切れ間から射しこんだ陽射しが、窓の年賀状を明るく照らしていた。
(おわり)
お読みいただき、ありがとうございました。