6話 まずは『喜』から教えよう
一進一退を繰り返し、ようやく話も進む。
「……よし、一回確認しようか」
そう言った俺の口調は、自分でもわかるくらいに疲れていた。主に正面に座る少女のせいで。
一つと指を立てた。
「喜怒哀楽をもとに教える。もちろん感情はもっと複雑だが、とりあえずな」
うんとヨネスがうなずき、アスカは「オッケー」と相変わらず軽い。ラルも横で小さくうなずくのを確認して、もう一本指を立てる。
「まずは、『喜』。なんでかっていうと……まあ、一番やりやすい気がしたからだな」
「完全になんとなくだよねー」
アスカが茶々を入れるが、実際そうなのだ。どれからなんて、なんとなくで決めただけ。機会があれば。別の感情も教えるし。
しいて言えば、好きが分かれば嫌いもわかる。そうすれば判断基準ができるという理由もある。
感情がないと、それに左右されることなく無情に選択できるとよく言われるが、実は逆。むしろ感情がないと、選択できなくなる。
好き嫌いという判断基準ができれば、それも少しは収まるかもなんて期待した結果だった。
しかしここで問題になるのが、ラルは何をすると嬉しくなるのか、何が好きなのかということだった。
ふと思い立って、俺はヨネスに尋ねてみた。
「ちなみに、ヨネスは何されると嬉しいんだ?」
「わたし、ですか?」
「ああ、同じオートマタだし、参考にな」
もちろんオートマタや起動後の環境によって何をどう感じるかは変わってくる。でも何となく聞いてみたのだ。
ヨネスは少し考えるようなしぐさを見せ。
「そうですね、私は――」
「ヨネスはー、こうされるのがうれしいんだよねー!」
「ちょっ! マスター!?」
突然飛鳥はヨネスを抱き込んだ。不意を突かれたヨネスは、なすがまま飛鳥の腕の中へ。そのまま彼女はヨネスを撫でまわす。
しかも結構乱暴だ。……なんとなく、ヨネスに同情した。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
無理やりヨネスは飛鳥の腕の中から抜け出した。不満気に口を尖らせたのはアスカだ。
「もーなんで逃げるのー?」
「なんでって、驚くじゃないですか!」
「でもうれしいでしょ?」
「ま、まあうれしいですけど……」
その言葉はどんどん小さくなっていく。
こういう時は、俺でもアスカのきもちがわからなくもない。照れている彼はどこか可愛くもある。彼女ががからかうのもわかるというものだ。
俺の視線に気づいたのか、ハッとして目を逸らしながら乱れた服をただした。
「そもそも、私たちオートマタは、マスターのことが好きになるように作られてますので」
「またまたー。照れちゃってー」
「なるほどな。じゃあこいつには無理か」
ラルのほうを向けばちょうど目が合った。ラルはちいさく首をかしげて、問いかけてくる。
「やって、みる……?」
「いや、別にやらなくてもいいだろ」
俺はこいつのマスターじゃない。こいつのことをなでても、下手したら嫌がれるかもしれない。それは避けたいものだ。こいつとの関係上でも、俺の精神衛生上でも。
でもしかし、とっかかりもないのもまた事実だった。俺はこいつのことを知らなさすぎる。何をどうすれば何を感じるのか知らないのだ。しかも表情からはわかりにくい。まさか毎回あそこにつなぐわけにもいくまい。
んー、と顎に手をやって考える。なんとなく時計に目を向けると、もう短い針は七を回っていた。
「もうこんな時間なのか」
「ん、そうだねー。もう帰る?」
「そうするか。ほらラル、帰るぞ」
「……ん」
彼女に声をかければ、のそりと立ち上がった。俺はふと首をかしげる。
ずいぶんと動き、そして反応が鈍い。
もしかしてと思い、小さな肩をゆすりつつ声をかける。
「もしかして、眠いのか?」
「あー」
代わりに応えたのは、アスカのほうだった。心当たりがあるらしい。頭をポリポリかきながら、苦笑いを浮かべる。
「ラルちゃんって、いくつかない器官あったでしょ。肺あたりもけっこうなくなってたんだけどね、オートマタのバッテリーって半分以上があそこにあるの」
「バッテリー?」
「オートマタって魔動人形だけど、完全に魔力で動いてるってわけじゃないんだよねー。魔導コアが生み出した魔力を、電気に変えてバッテリーに貯蔵してる。ま、これと同じだよ」
そう言ってアスカは、天井の照明を指差した。
この時代において、魔導コアを搭載してるのはオートマタくらいなものだ。通常は、発電所の巨大な魔導コアが生み出した魔力、それを電気に変換したものを動力にしている。
魔力は繊細だ。ちょっとした刺激で霧散する。オートマタが魔導コアを搭載できているのは、魔融血のおかげだった。
アンドロイドに睡眠は存在しない。寝るとすれば、充電の時だけだ。
でもこいつ確か昨日寝てたはず。さすがに一日もつくらいは蓄えられるはずなんだが……。
「さっさと帰った方がいいかもねー」
「そうだな。ほらラル、行くぞ」
「……ん、わか…………った」
背中を軽く押せば、目をこすりながら歩き出す。
ほんとこうしてみると子供みたいで、戦闘人形には見えないな、なんてことを考えながら。
そこでふと、飛鳥は「ああ、そうだ」と俺を呼び止める。
「さっきはあんなこと言ったけど、ちゃんと協力はするからね。メンテとか修理が必要だったら、いつでも言って」
「当たり前だ。そういう決まりだろ」
「全くツンデレだねー。素直にありがとうって言えばいいのに。なんなら凌也のメンテもしてあげよっか?」
ニヤニヤと笑みを浮かべる彼女に、俺はハッと吐き捨てる。
「必要に見えるか?」
両手を広げ見せつけるようにしてそう言えば、彼女は苦笑を浮かべ、「ま、まだいらないよねー」と言った。
まだってなんだ、まだって。俺にメンテは必要ない。
「それと、ラルちゃん」
「………………な、に?」
やはり眠いのか、ゆっくりと。
そんなラルに、飛鳥は珍しく優しげな笑みを浮かべながら。
「凌也のこと、よろしくね」
そう、告げた。
「よろしくねってなんだ。よろしくするのは俺の方なんだが」
「わかっ……た」
「お前も答えなくていいから」
そのまま俺たちは飛鳥とヨネスに別れを告げ、作業場を後にした。
飛鳥はなにが面白いのか、彼女の姿が消えるまで、ずっと手を振り笑みを浮かべていた。
◆
「こいつ本当に大丈夫なのか……?」
もう月が頭上で主張を始めたころ。住宅街の隙間を縫うような夜道をラルと二人歩きながら、俺はついそう零した。
「……だい……じょう……ぶ……」
どう考えても返答が怪しい。
行きではひたすら俺の後ろをついてきていた。しかし今はそんなことを認識もできないのか、俺の前を歩き、先導していた。さすがオートマタというか、道こそ間違えていないものの、その足取りはふらふらと危なっかしい。すこし頭も揺れているし。
「いつ倒れてもおかしくないぞ――って、おい!」
そう口にした丁度その時。
――ガンッ!
そう鈍い音を夜空に響かせ、ラルは電柱に激突した。
しかも顔からだ。顔面をコンクリートの柱に押し付けたまま、動きを止める。
「なにやってんだよ……」
顔を覆い隠すようにして呆れながら、彼女の元へ。
「おい、大丈夫か」
肩をたたくが、反応がない。
おい、まさか今ので壊れたとかないよな。
もしそうなれば大問題だ。背中に嫌な汗をかきながら体を回転させると。
「スゥ……スゥ……」
「……まじか」
目を瞑って、小さな口から漏れ出す穏やかな寝息。どう見ても寝ている。いや、オートマタには睡眠が存在しないから、そう見えるだけだが。
こいつこのタイミングでバッテリー切れ起こしやがった。
大きく、大きくため息を一つ。
みたところケガ……というか、故障はない。
まあ、起こってしまったことはしょうがない。俺にも責任はある。
「……しかたないな」
一度しゃがんでから、小さな体を背中に担いだ。ズシリとした確かな重み。柔らかな感触。しかしオートマタらしく、温かさは感じない。
アスカの言っていたことを考えると、起動に必要な魔力を作り出すまでこいつは起きない。もう自分で運ぶしかない。つまるところ、俺はラルをおんぶしていた。
誰かを背負うなんていつぶりだろうか。
なんとなくそんなことを考えながら、歩を進める。
トクントクンと背中でラルのポンプが脈打つ。体温がないはずが、その胸部だけはなぜか熱を持っている。魔導コアが魔力を作り出す時の発熱か。
耳元で彼女の寝息がこそばゆい。
背中に背負っているのはオートマタで、無機物の道具のはずなのに。人間の少女を背負っているような気すらしてきて。
「こいつの好きなものか……」
気が付けば、そんなことを考え出していた。
こいつは何が、好きなんだろうか。なにをされたら、よろこぶのだろうか。何が起これば、うれしいのだろうか。
「ああ、こりゃ確かに俺らしくない」
アスカに言われたことを思い出した。
人のことはあまり好きじゃなくて。かといってオートマタは道具と思っていて。
しかし考えても、やはりなぜかはわからない。
結局すぐ、思考を戻した。どうせわからないんだ、考えるのも無駄なこと。
戻してから脳裏によぎったのは、ヨネスが作った夜食だった。
オートマタは食事ができる。味を感じることができる。なら、その好みもあるはずで。
「飯でもつれてってみるか……」
安直かもしれないが、好きなものを食べれば幸せになれる。きっかけさえあればなんでもいい。この感じが「好き。嬉しい」って感情なんだってわかってさえくれれば。あとは自分で学習してくれる。
俺は料理が得意じゃないから外食になる。金はその分余計にかかるが、依頼主も、『必要経費は出してやる』と言っていた。
それなら存分に甘えるとしよう。
完全にヒモな思考をしていたとき、ふと。耳元で規則的だったラルの呼吸が、少し乱れた。
なんだと首をかしげる暇もなく。
「あり……が、と……」
小さな、小さな声で。ラルは確かに、そう言った。
「…………」
思わず足を止め、息を吐く。
背中の彼女に意識を向けてみても、目覚めた様子はなく、また規則的な寝息をたてていた。
聞き間違い、だろうか。
そう思いたいが、その可能性も低い。なら寝言? というか、オートマタが寝言を言うなんてことがあるのだろうか。
なんだかくすぐったくて、落ち着かない。アスカがいればよかったのにと、小さく舌打ちをして、また歩き出す。
一応。
一応だが。
「…………どういたしまして」
蚊の鳴くような声で、そう返しておく。
ああ、やっぱりむず痒い。気がつけば道の傍に並ぶ家が横を通り過ぎる速さが増していた。
「ああ、感謝って感情なんだろうか」
自分の中の何かを誤魔化すように、月夜の下一人歩く。
家に着いたのは、予定よりもずっと早い時間だった。