21話 感情ノート
カチャカチャと。
俺とラル、二人しかいない朝の食卓に、食器がぶつかる音が虚しく響く。
夏祭りから数日後。俺たちはいつも通りの日常を過ごしていた。
いらないからとアスカからもらったテーブル、その上に並ぶのは、米と味噌汁。白い湯気を上げ、食欲そそる香りを頭に届かせてくる。
しかも、二人分。
「……ん……ん……」
対面に座ったラルも、一口一口、たしかに咀嚼する。それを時折観察しながら、俺も箸を動かす。
ある程度の自炊は前からしていたが、ラルが『おいしい』を学んでから彼女の分も飯を作るようになっていた。オートマタに食事は必要ないが、その感情を忘れないように。
今のところは、特に異常なし。
俺は彼女をみながらだから、必然的にラルより食べるのが遅くなる。完食したらしいラルは、箸を置いて、小さな手を合わせ「ごちそうさまでした」と。かと思えば、空色の瞳をこちらに向ける。
「……凌、也」
「ッ!」
ピクリと肩が跳ねる。体がこわばったのを感じた。
「おいし、かった……あり、がと……うれし、い……」
ラルはかすかな笑みを浮かべ、そういった。
……そうか、そうか。感謝を、伝えたかったのか。
体の力が一気に抜ける。
「どうした、の……?」
「いや、なんでもない」
どうやら、俺は相当ラルを怖がっているらしい。アスカに先日言われある程度は自覚していたが、彼女の一言にこんなに動揺するなんて。
呆れ気味に、ため息を一つ。残りの朝食を掻きこんだ。最後の一口を飲み込んでから、またため息。手を合わせ、「ごちそうさまでした」と唱えた。
「かたづ、ける……凌也の、とって……」
「ああ。頼む」
「……ん、あり、がと……うれ、しい」
ラルは俺の分の食器も持つと、トテトテと流し台へと運んでいった。
これも最近彼女がしはじめたこと。料理がダメでもせめて何かの手伝いをと、彼女にも侍従人形としての意識があるのか、頼んできたのだ。
いかにラルがポンコツでも運ぶことくらいはできるし、皿洗いくらいならできるようになった。最近は割ることもないし、子供の成長を見てるような気分に――
――ガシャン!
「あ……割っちゃっ……た」
前言撤回。そんなに成長してない。
重い体を持ち上げて立ち上がりキッチンへ。
「ラル、怪我は」
「ん……だい、じょうぶ……。心配、してくれ、て……うれしい」
「っ……じゃあ、片付けるぞ」
「ん……」
ラルは立てかけてあったホウキとチリトリを手に、手慣れた手つきで破片を片付けていく。俺がゴミ箱を運んでやれば、
「あり、がと……うれし、い……」
そう言ってガチャガチャとゴミ箱の中へと捨てていく。
ラルの依頼は順調だ。感情を少しずつだが学べているし、それを自己表現もできている。依頼内容ではないが、家事も少しずつできることが増えてきている。
だが俺はつい顔をしかめた。
ラルのことを怖がってしまっていること以外は、何も悩み事はない。だが、なんというか、むず痒いのだ。
ラルはホウキとチリトリを元の場所に戻すと、クルリとこちらに向き直り。
「手伝って、くれて……うれ、し――」
「嬉しい嬉しい嬉しい嬉しいってうるせぇぇええ!!」
俺はつい、そう叫んだ。ラルは首を傾げてこちらを見ていた。
「はぁ……はぁ……」
「凌、也……?」
いや、わかってる。この場での悪人は間違いなく俺だ。お礼を言うことも、嬉しいと伝えることと、悪いことではないのだから。
でもどうしても耐えられないのだ。
「あの日から何かあるごとに嬉しい嬉しいって! お前どれだけ嬉しいハードル低いんだ!」
「あのとき、と、似たような感覚、だから。それに……感じたら口にしろって言ったの、凌也……」
いやそうだけど! 言ったのは俺だけど!
簡単に論破され、頭を乱暴にかきむしった。
にしたって限度がある。俺がラルに何かするたびに「嬉しい」って言ってくるんだぞ。
そういうことじゃないんだ。
これをラルがわかるように、どうやって伝えればいいのか。うんうん悩んでいると。
「凌也……いや……?」
そうラルが追いかけてくる。
俺は「あー……」と視線を逸らしつつ、言葉を濁した。
いやじゃない。流石の俺も、お礼を言われて不機嫌になる程こじれているわけじゃない。ただ、小恥ずかしいだけで。
一度二度ならまだしも、何度も何度も言われると、恥ずかしくなってくる。
ただそれを口にできるわけもなく。
はぁ……なんだよこれ。これじゃほんとにコミュニケーションできない人みたいじゃないか。
大きくため息。するとそれをどう捉えたのか、ラルはまた首を傾げ、改めて問いかけてくる。
「ラル、に……嬉しいって言われるの……うれしく、ない……?」
「そういうことじゃなくてだな……あ」
どうしようかと頭を悩ませ、ふと思い出した。
「ちょっと待ってろ」
「ん……」
確かここにあったはずと、部屋の奥の引き出しを漁る。ここを開けるのもしばらくぶりだ。
目的のものを見つけ、それをちょうど後ろについてきていたラルに渡す。
「ほら、これやるから」
「ノート、と……ボール、ペン……?」
ラルに渡したのは、使っていない一冊のノートと、安物の黒のボールペンだった。ラルはそれをペラペラめくったり、じろじろ観察している。
「これからはそのノートに書け。何があってどう感じたか、とかな。なくなったら言ってくれれば新しいのやる。まあ、ずっと言わないのもアレだから、会話の流れから自然だったら言っていいぞ」
「今のラル、不自、然……?」
「不自然不自然。まあ、お前にそういう判断ができるとは思えないが……」
「ん、わかっ……た」
ラルは素直に頷いた。すると早速何かを書き始める。何を書いているかは見えない。ペンを止めると、それをじっと見つめ。
「こんな、感じ……?」
そう言ってノートを開いて見せてくる。
一番最初のページ、その頭に何か書いてあった。オートマタ……というかラルらしい、気持ち悪いくらいに整った字。読んでみると。
『凌也にノートとボールペン貰った。うれしい』
「……そんな感じだ」
手のひらで顔を覆って、そう言った。
何だか余計に恥ずかしいことになった気がするが、まあ気のせいだろう。そう思いたい。
ラルはいまだにノートを見つめている。
「ラル、どうした?」
「……ね、え……凌也」
ラルは俺に見上げ、ノートを出し抱えるようにして、口にする。
「料理……したい……」
「料理……?」
つい顔をしかめた。
ラルの料理と言われて思い出すのは、もちろん初日のことだ。机の上にまな板を乗せ、その上にニンジンを置き。直接は見ていないがおそらく刀を展開し、机ごと一刀両断。普段のこいつを見ていても、できるとは到底思えない。
「……そりゃまた、なんでだ」
「……」
ラルは口を開かない。
わかってないのか、それとも言いたくないのか。ああ、めんどくさい。肩を落としながらため息を吐く。
「侍従人形だからか? お前にはそういうのはあまり期待してないんだが」
「……うれしい、から」
「は?」
「凌也、に……食べてもらうの、考えたら……うれしい、から……」
「……」
さらにノートを抱きしめる腕に力を入れるラルを見ながら、俺は首を傾げた。
はて、俺はいつの間にラルからこれほど好かれていたのだろうか。
いや、ラルの感情自体はそれほどおかしなものじゃない。侍従人形がマスターのために家事をするのは、マスターに尽くすのが嬉しいと感じるように初めから設定されているからだ。だがそれはあくまでマスターに向けられるもの。俺はあくまでただの機巧技師で、他人だ。
嫌なわけじゃない。が、嬉しいわけでもない。どうしてもあの夜のラルがチラつくから。
俺が戸惑っていると、ラルは「だ、め……?」と首を傾げてくる。
俺は顎に手を当てて少し考え、そして頷いた。
「まあ、できて損はないだろ。どうせしばらくの付き合いになる。早いうちにできるようになってくれれば、これからが楽になる……かもしれない」
それに、そもそもこれからの予定もないし。
何となく情けなくて口にはしないが。
「あり、がと。うれし――あ」
ラルはそこで言葉を切って、いそいそとノートを開く。
「まあ、今のは別にいいけどな、言ってくれても」
「そ、う……?」
「それより誰に教わるんだ。俺も少しなら教えれるが……」
正直食べるのには困らない程度のものだ。レパートリーもないし、特別うまいわけでもない。
となると、アスカだろうか。あいつ自身はからっきしだが、ヨネスがかなりできる。
「えっ、と」
そこまで考えた時、ふとラルが声をかけてきた。
「考えて、ある……」
「へえ、珍しいな。誰だ?」
「とも、だち……」
「やっぱりアスカか。というか、ヨネスだな」
「ちが、う。別の、友達」
「まああいつ自身侍従人形だし、本職っちゃ本しょ――は?」
何だか変な言葉が聞こえた気がして、つい聞き返した。
なんて言った? アスカ以外の、友達?
「……今友達っついったか?」
「……? う、ん」
信じられなくて聞き返せば、ラルは首を傾げつつも頷いた。
「新しく、できた……友、達」
「はぁぁあああ!?」
俺はつい、そう大きく声をあげた。





