20話 彼女に恐怖していた
「……なるほどねー」
例のモニタ室で、回転いすに座って飴を一つ咥えながら、アスカはそう口にした。
目の前の巨大モニタに映るのは、いつぞやの解析と同じようなラルの情報群だ。魔導コアの魔力生成量や、魔融血の融解度、バッテリー情報やそれぞれの部位のパラメータ。膨大な情報を彼女は「ふーん……」とこぼしながら眺めている。
「……ま、問題はないかなー」
「そうか……」
つい肩をなでおろす。アスカはモニターから視線を外すことなく、コンソールを操作した。
「フィジカル的には何の問題もなし。魔導術具がちょっと前と変わってるけど、別に異常ってほどじゃないかなー。そっちも異常はないでしょ?」
「そうだな。特にはない」
しいて言うなら、感情変換機が変換した感情の波形。前はまたったく動きがなかったのが、かすかにだが変動している。どうやら一応前には進んでいるらしい。
別に中枢結晶をいじったわけじゃないのだ。こちらに異常が出るはずもない。
一通りチェックをして、別室にいるヨネスにラルを解析装置から外すように指示を出す。コンソールを消して舐め終わった飴の棒をゴミ箱にほおり投げると、俺に気持ちいいくらいいい笑顔を向けてきた。
「ねーねー、りょーや?」
「あー……なんだ?」
「なんだ、じゃなくてねー。あたしが言いたいこと、わかるよね……?」
「うぐ……」
彼女の言う通りわかっているからこそ、気まずくてそっぽを向いた。ガンと机を蹴る音。アスカは器用に座ったまま椅子を移動させて、逃がさないとばかりに俺の正面に回り込んでくる。
「はーい、逃げない逃げなーい。なんでさ、言ってくれなかったのかなー?」
アスカはグイっと顔を近づけた。
「ラルちゃんがガン・ドールってさ」
言いたいことは言ったとばかりに、アスカは俺から距離をとって椅子にどかりと座り込む。しかし俺から視線は外さない。はやく言え、といったところか。
俺も観念して、ため息を一つ。重い口を開いた。
「ガン・ドールはストランブルランク第四位だぞ。裏に何がいるかわからない。不必要に知って消されるかもしれないだろ」
「そんなことで……?」
「いやそんなことって。十分な理由だろ……」
「およよ……あたしは悲しいよ……。仕事の情報はお互い共有するって話だったでしょ……? そんな起こるかもわからない可能性が、あたしたちの間の約束を破るほどのこと……?」
アスカはおろろんおろろんと、わざとらしい泣きまねをして見せる。騙す気もないのが丸わかり。呆れたようにため息をこぼし、机に頬杖をついて問いかける。
「で、本音は?」
「ガン・ドールなんておもしろそうな代物あたしだけ知らなかったのが悔しいッッ!!!」
思い切り机を両手でたたきつけて、簡単にアスカは白状した。
まあ予想はしていた。オートマタ含む機械類が大好きなこいつにとって、ガン・ドールは相当興味引かれるものだろう。
なんなら、彼女らしすぎて少し引いた。
「お前も相変わらずだな……。なんか安心するわ」
「だってそうでしょ!? ガン・ドールほど改造されたストランブルのオートマタいないよ!? 少しくらいなら解体させても――」
「ダメだっつってんだろ。落ち着け」
「いったあ!!」
俺の両肩をつかんできた彼女の脳天にチョップをかました。これさえなければまだマシなんだが……。
彼女は痛そうな声を出しながらもケロリと笑っていた。
「で、どうだった?」
「どうだった……? 何がだ?」
「だから、ラルちゃん。戦ってるの、見たんでしょ?」
つい不意を突かれて目を丸くした。彼女はそんな俺を見て、呆れたように肩をすくめる。
「別に不思議じゃないでしょ? いきなり検査しろっていってきたし、しかも魔導術具に変化がある。それに、気づいてる? ここに来た時の凌也とラルちゃん、距離前より離れてたよ」
今度こそ鞭でたたかれたみたいに驚いた。図星だったから。俺はあの夜あのラルを見てから、少し彼女と距離をとっていた。
といってもそれは俺だけだ。ラルはあくまでいつも通り。俺が勝手に壁を作っているだけ。
「まったく信じられないなー。あたしならラルちゃんとならずっとくっついていたいよ。かわいいじゃん、ラルちゃん」
「……ラルだぞ。ガン・ドールだぞ」
「そんなに怖かった?」
「ッッッ!!」
耳のそばで銃を撃たれたかのような気分だった。
彼女は相変わらずニコニコ笑いながら、こちらを見ている。
何かを言い返そうと口を開けて、結局なにも言葉は飛び出さないまま閉口した。
「……怖かったさ」
そう口にすれば、「へぇ」とアスカはこぼす。
正直、怖かった。俺は結局少しオートマタに詳しい機巧技師だ。そんな命のやり取りとか、喧嘩からは縁遠い人生を歩んできた。
なんとなくこいつはやばいやつなんだろうなとは、ラルが俺のもとに来た時からわかってはいた。だが実感するのとはまた違う。あの時感じた、ラルの強さ、異常さ。そして、非情さ。もうぶっ壊れたオートマタに向かって容赦なく銃弾を撃ち込むときの、あの無表情が頭から離れないのだ。
「お前もそんな気楽そうにしてるが、実際に見ればわかるぞ。あれは異質だ。危険だ」
しかし彼女はなぜか不思議そうな顔をする。顎に指をあてて「んー」とうなり。
「でも、ラルちゃんでしょ?」
そう、あっけからんというのだ。
「可愛いんだから、そんなの些細な問題じゃない?」
「いやだから……」
「可愛いんだから、そんなの些細な問題じゃない?」
「……お前、すごいなあ」
するとアスカはふふんと自慢げに笑う。
「逆に尊敬しそうだわ。言っとくけど、ほめてないからな。」
「しそうなだけでしないあたり、さすが凌也だよねー。言っとくけど、ほめてないからね」
「マスター、ラルの移動完了しました」
ドアを開けて入って生きたのはヨネスだ。アスカは片手をヒラヒラ振りながら「ありがとー」と返す。
「……じゃあ、俺も行くか」
「はーい。あたしはもう少しここですることあるから。ラルちゃんはもう大丈夫だから、このまま帰っていいからね」
「ん、ありがとうな」
いいよいいよと、軽く笑う彼女に背を向けて、俺は出口に向かう。そのドアに手をかけたその時、背後のアスカから声がかかった。
「ねえ、凌也」
振り返ると、そこにはやけに真剣な顔をしたアスカがいた。
「なんだったら、しばらくうちでラルちゃんあずかってもいいんだからね?」
声のトーンもいつもと違う。ふざけた感じも、間の伸びた感じもない。いつもと違う彼女に、こちらもなんだか不思議な気分になる。
「どうした? そんなにラルをかわいがりたいか?」
「ま、それもあるけどね。で、どう?」
「たしかに怖いとは言ったが、一緒にいたくないほどじゃない。俺がそういう状況にしなければいいんだしな」
おそらくあの時ラルが抱いていたのは、怒りだ。俺はわかっていたがラルには教えていない。なんとなく、彼女に怒りという感情を教えるのが危険に思えたからだ。
だから俺は今回実感した。彼女に感情を教えるというのは、かなり繊細で注意深くしないといけない作業だ。
もし仮に人を傷つけた時の感情を『うれしい』と教えてみろ。擬似魂生成器と感情変換機の感情がずれている場合、しばらくするとオートマタは自分で自分の感情に疑問を持ち始める。違和感のようなものがあるのだろう。だがしばらくは、その誤った感情のまま行動することになる。
難しく、危険だ。そして正直怖い。が、あんなことめったに起こることじゃないからこそ、何とか我慢はできる。
しかしアスカの言いたいことは違うようで、小さく首を振った。
「それもだけどさ。ラルちゃんをうちで預かるってのは前から言おうと思ってたんだ」
「前から? なんでだよ」
「だって凌也、特定のオートマタと長期間一緒にいるの苦手でしょ」
「それは……」
その通りだった。事実、今回のようにオートマタを預かる依頼が来たときはアスカのところに預けるか、デメリットを無視してマスターのもとにいったん返すかしていた。きっと彼女が言っているのは、そういうこと。
しかし、俺は首を横に振った。
「いや、いい」
「大丈夫なの?」
「ああ。いい加減、何とかしないとと思ってたしな」
機巧技師がオートマタと一緒にいれないなんて問題だ。これはいい機会かもしれない。
するとアスカは、珍しいものでも見たとでも言わんばかりに、目を見開いていた。
「へー、凌也がそんなこというとはねー」
「俺にだって少しくらい上昇志向ある」
「にしてもだよ。ま、困ったことあったら言ってよ。ちょうど仕事も終わったし」
「夏祭りの時言ってたやつか」
「うん、なんか、急にね。お金はもらったからいいけど」
まあ、俺たちはフリーだからそういうことも珍しくもないが。
彼女は気にした様子もない。
「何かあったら頼ってね。これでもあたし、凌也の『お姉ちゃん』だし」
ニヒヒと八重歯を見せて笑う彼女に。
まだそんなこと言ってるのかと、つい俺も笑ってしまった。





