2話 もしやこいつはポンコツなのでは
「凌也」
眠っていた俺の意識を引き上げたのは、そんな無機質な声だった。
感情をなくしたオートマタの少女、ラル。そうだ、こいつがいるんだった。
覚醒しきっていない頭でなんとか思い出す。となると、もういい時間だ。起きないと。
気だるげな気分のまま重い瞼を開ける。ぼやけた視界いっぱいに映り込んだのは、ラルの顔だった。
――しかも、ベッドで横になった俺を押し倒したような体勢で。
「おうぅわぁ!!」
思いもよらない光景に、俺はつい声を上げた。そのまま反射的に体を勢いよく起こす。しかしラルは俺の顔とほんの少ししか離れていないわけで。
—―ガン!!と重い音とともに、ラルの額と俺の額が激突した。
「いってぇえ!」
一気に覚醒する意識。しかし視界はグワングワンと揺れている。いくら人間に近い姿をしているといっても、オートマタは結局無機物の塊だ。それに激突すれば当然、痛い。
しかし予想以上の痛みだった。頭を押さえ涙目になりながら右へ左へとのたうち回り。ここが狭いベッドの上ということを思い出したのは、体が宙に浮いた時だった。
ドスン! と体を打つ衝撃。頬から感じる冷たくかたい床の感触が、なんだか虚しかった。
「……なにしてるの」
「お前のせいだろうがあ!」
飛び起きるように立ち上がり、ラルを睨みつける。
俺が寝ていたベッドに座り込みこちらを見つめるその顔には、相変わらず表情は見えない。なのにどこか呆れてるように見えるのはなんでだ。
いや、ちがう。
ふとそこで思い出した—―こいつが、何者であるか。
オートマタたちの拳闘試合、ストランブル。約千体に及ぶオートマタの中で上位一桁の強さを誇る、戦闘人形。
「……お前、何しようとした」
声を低くして、鉄仮面にそう問いかける。見た目は少女のこいつだが、大量の銃を隠し持っているのは昨日確認済みだ。
オートマタは人間を攻撃できないようになってるが、それでも危険なことに変わりはない。マスターからはそう言った命令を受けていないようだが、寝起きの俺を襲ったようにしか思えない。
俺の睨みつける視線を正面から受けても、動じた様子はなかった。代わりに、コテンと首をかしげる。
「凌也を」
「……俺を?」
「—―――起こそうと、した」
「…………は?」
つい零れた言葉は、自分で聞いても間抜けだった。きっと無機物の瞳に映る俺も、アホっぽい顔をしていることだろう。
「俺を……起こそうとした……?」
「……ん。起こしてって言ったの、凌也」
「……そういえばそうだった」
そうだ、思い出した。昨日ラルのことを知って、俺にはどうしようもできないと結論付けて、そのまま寝たんだ。ついでに明日の朝六時に起こしてくれとラルに頼んで。
一気に体の力が抜ける。なんだ、勘違いか恥ずかしい。
「いや、それにしても、それにしてもだ。なんで俺に乗っかかることになるんだ」
「……最初は、ここにいた。ここで声、かけた」
ラルはベッドから飛び降りると、一歩離れたところに立つ。
「……ああ、それで」
「凌也、起きなかった。だから、乗った」
「待て、いろいろ飛ばし過ぎだ」
「飛ばしてない。そのまま、伝えた。凌也、起きなかった」
「あー……」
なんとなく気まずくて、目を逸らす。
つまりはこういうことだろう。声をかけても起きなかったから、近くで声をかければ起きるかもしれないと判断。で、乗っかった。
正直なんで乗っかるんだと突っ込みたいが、俺が起きなかったのも悪い。自分でも朝に弱いと自覚している。
「……そうだ、な。もうちょっと起こし方考えてくれるとありがたい」
「なん、で……? 起こせって命令……完遂、した」
「確かにおかげさまで意識ははっきりしてるがり起きてすぐに顔が目の前にあると心臓に悪いんだよ。あと頭が痛い」
「……それは凌也が勝手にぶつかっただけ」
ラルの一言を聞こえないふりをして、部屋着から着替えた。タンスから適当にパンツやシャツを引っ張り出す。古ぼけた腕時計をつけ、「よし」と零す。
「でかける、の……?」
「ああ。仕事場に行こうと思ってな。ついでにあいつにもお前のこと紹介しないといけないし」
「仕事仲間、いるの……?」
「なんだ? 俺は人嫌いだからボッチだろうって? あいにく、オートマタは一人ですべてを補えるほど単純じゃないんだよ」
オートマタは間違いなく、この時代において最も精密で複雑な魔導具だ。その知識を一人で賄えるわけもないし、設備だって生半可なものではいけない。それに言ってしまえば、電力をバカみたいに食うのだ。だから仕事場はこことは違う場所にある。
ふと、ラルが視線を下げた。かと思えば、すぐに顔を上げる。
「仕事仲間って……どんな、人……?」
「……気になるのか?」
「ん……」
ついそう聞き返すと、ラルは小さくうなずいて見せた。
今こいつは、質問をした。それ自体は重要じゃない。何が重要かというと、興味を示したということだ。感情を認識できないはずの、こいつが。
ラルの状態を正確に言うと、感情がなくなったわけじゃない。感情はある。だが感情認識器、さらにいえばその変換魔導式を失ったせいで、それがどんな感情かわからなくなっているのだ。それもどうやら、完全にというわけじゃなさそうだが。
考えすぎ、だろうか。まだ寝起きで変な方向に思考が傾いているのかもしれない。
切り替えようと、頭を振って「そうだな」と返す。
「簡単に言うと……わがままお嬢様と、それに振り回される執事だな」
「お嬢様……女の、人……?」
「ああ。あいつらに、お前と仕事の内容を伝える」
一応決まりでは、お互いにどんな仕事を受けるかは自由だが、何を受けたか逐一報告しあうこと。また、必要な時は力を貸すことになっている。互いに拘束が嫌いだからこそこの決まりだが、俺はそこそこ気に入っていた。
物好きなあいつのことだ。ラルのことも気にいるに違いない。
鞄に必要なものを詰め込み、一通り用意ができたところで——「よし」と一息吐いた。
「でもま、その前に朝飯だな」
「……ん、わかった」
「待てこら」
小さくうなずいてキッチンへ歩き出したラルの頭をわし掴みにして、一八〇度回転させる。
「……なに」
「お前、今何しようとした?」
「料、理。朝ごはん……作る」
「ほほう……。まあそれはいいとして。ところであれ、何かわかるか?」
部屋の隅、一回り大きな袋を指さした。一瞬そちらに視線をやったかと思えば再びこちらに向き直り、首をかしげる。
「袋……?」
「ああ、そうだ。じゃああそこに何が入ってるかわかるか?」
「開けないと、わかるわけ、ない」
どことなく呆れたような——おそらく気のせいだろうが——表情。俺は一つ、大きくため息を吐き。
「お前が! ぶった切った机だよ!」
料理をするといってキッチンの机を真っ二つにしたのは記憶に新しい。あの時俺は確信したのだ。こいつは、ポンコツであると。
なにかさせるたびに何かしらをぶっ壊されてもおかしくない。そもそも朝起こすことすらあんな方法しか取れない時点で、十分異常だ。いくらこいつが感情の変換魔導式を消されたからといって、そこまでおかしくなることはないはずだ。
ああ、やっぱりこいつはめんどくさい。心中に浮かんだ感情を発散させるように、頭を掻きむしる。
「まったく、どれだけ脳みそいじくればこうなるんだ……」
「ラル……脳みそ、ない」
「比喩だ比喩。機巧技師舐めんな。それくらいわかってる」
とにかく、と。ラルを指させば、彼女はその先を相変わらずの無表情で見つめる。
「ひとまずお前はなにもするなよ。今後なにかやってもらうかもしれないが、今のところはだ」
「……ん、わかった」
小さくうなずいたその表情は、どことなく不満気にも見えた。
それから朝食を食べ、少ししてから家を出た。
そこそこの時間歩いて住宅街を通り。そして数十分経って到着したのは、ポツンと立つ古ぼけた一軒家だった。
「ここ……?」
「ああ、ボロイだろ」
「ん……」
ベニヤ板のツギハギとでも言おうか。二階建てでそこそこの広さはありそうだが、数少ない窓はカーテンで閉め切られ、なんとも陰鬱だ。多分普通の感覚を持つ人間なら、こんなところに住もうと思わないだろう。
だが悲しいかな、俺たちの目的地は確かにここだ。
キィイとドアを鳴らしながら中に入る。途端に鼻を衝くオイル臭に眉をしかめる。
「くそ……換気しろっていつも言ってるのに」
玄関からまっすぐ伸びる、薄暗い廊下を進んだ。突き当りにはドアが一つ、そこの隙間から光が漏れ出していた。中は見れない。耳を澄ましてみればかすかに話声も聞こえてくる。隣でラルがケホッと小さくせき込んだ。
と、その時だった。
「――ん?」
ピコンと、携帯端末が音を鳴らし、俺は足を止めた。
メッセージの着信音だ。送信者は、おそらく目の前のドアの向こうにいるあいつ。
『まだ入らないで』
「おい、ラル。まだ入るな」
「ん」
ちょうどドアノブに手をかけていたラルは、そこで動きを止めた。
まだ入るなとはどういうことなんだろうか。まさかまたお菓子のゴミで散らかしてるのか。いや、あいつも執事みたいなあいつがいてそんなことにはならないはず。
なんとなく不安でうなる俺をほおって、ラルはドアの隙間に意識を向けていた。そして不意に振り返ると——
「凌也、嘘つき」
いつもの鉄仮面でそう言った。
「は? 嘘つき? 別に嘘ついた覚えないぞ」
「仕事仲間。お嬢様、と……執事って、いった」
「まあ、確かに言ったな」
別に嘘じゃない。二人の関係や性格を表す言葉として、これほど適切なものはないだろう。自分で自分をほめてやりたいくらいだ。
しかしラルは首を傾げ、つづけた。
「執事じゃ、ない。—―メイド」
「は? それってどういう——っと。またあいつからか」
ピコンとまたメッセージが届く。
「入っていいらしいぞ。よし、行くか」
「ん」
この一軒家のリビングにつながった扉も同じ古ぼけていた。きしむ音とともに俺たちを迎えたのは——
「お、おかえりなさいませ! ご主人様!」
メイド服に身を包み、顔を真っ赤に染めキメポーズをとる——青年だった。
「…………」
「…………」
「ほら……メイ、ド」
固まった女装男と見つめあうこと、十秒ほど。ラルの言葉に反応するかのように彼はギギギ……と振り返る。
その先にいたのは燃えるような赤髪が特徴的な一人の女だ。大きなソファにふんぞり返って、ショートパンツにTシャツと無防備な服装。しかしどういうことか、下を向いてプルプル震えていた。
誰一人言葉を発しない、奇妙な静寂。
初めに耐えきれず声を上げたのは、女装男だった。
「誰も来ないって言ったじゃないですかマスタァァァァァァアアアアア!!!!!!!!!」
「あははははははははははは!!!!!」
トマトみたいに顔を真っ赤にして叫ぶ女装男。耐えきれないとばかりに腹抱えて大爆笑する女。
「何やってんだお前ら……」
あまりにカオスな状況に、俺はつい頭を抱え大きくため息をついた。