11話 ラルの好物
「お待たせいたしました……」
注文をしてから、そのゲテモノがやってくるのに三〇秒とかからなかった。
いくらなんでもはやすぎるだろ。そう呆れていると、さっき注文をとった店員オートマタが、テーブルにアイスを置く。
流石に頼んだのは一つだ。アイスとか甘いものを食べたいとは思ったが、あんな名前のものを食べる気にはならない。
「ごゆっくりどうぞ……」
店員オートマタはどこか心配そうな視線を向けながら去っていった。
「そんなやばいものなら客に出すな……さて」
改めて例のものに目を向けてみる。
見た目だけなら普通のアイスだ。ガラス製の透明なカップに入れられた、拳大くらいの球体状のアイス。色はチョコアイスよりも少し薄い茶色ってところだろうか。
匂いはどうだろう。アイスを持ち上げて、顔を近づけてみる。アイス特有の冷気が少し気持ちいい。さて、と少し匂いを嗅いでみる。
「…………」
「りょう、や……?」
「……なんだ」
「すごい顔、してる……」
「だろうな……」
ゲホッ、と一つ咳き込んでアイスを机に置き直す。眉間に寄ったシワをほぐすように、顔に手をやった。
なんだこれは。
なんだこの、気持ち悪い匂いは。
さすがオイルというだけあって、匂いはオイルそのものだ。食べ物からする匂いじゃない。
しかもそれだけでも食う気が失せるのに、アイスの甘い匂いがほのかにするのが気持ち悪い。
匂い自体はそこまで強くないから嘔吐感まではいかないが、気持ち悪いことに変わりはなかった。
机を滑らせてアイスをラルの前に。
ラルも俺のこの表情がこのアイスのせいということくらいはわかってるだろう。アイスを眺めて持ち上げ、顔の前まで持っていく。スンスンと、彼女の小さな鼻が動く。
「……どうだ?」
「……」
「臭いか?」
「臭いは、わかんない……でも、危険じゃ、ない……」
「なんだそりゃ」
臭いも感情扱いなのか、それともこいつの鼻がぶっ飛んでるか。そもそも危険な匂いってなんだ。
水を飲もうとして、もう空になっていることに気がついた。
ラルにスプーンを渡しつつ、近くの店員に水を頼む。ちょうどその店員は、このゲテモノアイスを持ってきたオートマタだった。
「しかし、この店はオートマタが多いな」
アイスにスプーンを突き刺したラルから目を離し、店内を見渡す。
働いているオートマタは実はそこまで多くない。その理由は、国が課す税金にある。
一人が所持できるオートマタは一体までという制約もだが、責任者が自分のオートマタ以外のオートマタを働かせると、無視できない税金がかかる。それこそ人間に対する給与と何ら変わらないくらいの。
だからおいそれとオートマタを雇えない。いたとしても責任者の所持する一体のみだ。
それがどうだ。この喫茶店には少なくとも三体は見かけている。それだけ人間が働きに来てくれないということだろうか。
「ま、どうでもいいか」
オートマタをたくさん雇っている店はほとんど見かけないだけで存在はする。珍しい、ただそれだけ。
そんなことよりラルだ。
「ラル、味はどう――は?」
つい虚をつかれたような声が漏れた。
ラルの前に置かれたガラス製のカップの中には、何も入っていない。
おかしい。つい数秒前、そこにはオイルアイスなるゲテモノが鎮座していたはずだ。だが今は影も形もない。
アイスを探すかのようにラルとカップの間を視線が行ったり来たり。そんな俺を見て、ラルは首をコテンとかしげる。
「……ラル、アイスはどうした?」
「……? 食べ、た」
「速すぎるわ」
たしかに量があるわけじゃなかったが、にしても速すぎる。俺が目を逸らしたのはほんの数秒だぞ?
ラルの食べる速度は今のところどれも一定だ。このアイスでもあの速さだとしたら、食べるのに二分はかかる。
でもなくなっているのは事実。どういうことだと首を傾げつつ、とりあえずラルに問いかける。
「で、どうだった?」
ラルはまたいつも通りに首を傾げた。
「ま、そうだよな……。でもなんでそんな食うのはやかったんだ?」
「……なんと、なく……?」
「なんとなく、ねえ……」
正直、その答えはありえない。
オートマタは、中枢結晶に刻まれた魔導式に従って行動する魔動人形だ。何かの行動には、絶対に理由が存在する。
ならなぜラルは「なんとなく」といったのか。それはきっと、その理由がわからないからだ。しかも、「わからない」とは言わなかった。
つまり、今回は何かが違う。
ふと、一つの可能性が頭に浮かんだ。
――ラルはこれをおいしいと感じた。
「いやいやいやいや……」
待て待て、あのゲテモノだぞ? 正直あれが好物であって欲しくない。いかにラルが変なやつといっても、それは感情がないからだ。感情があれば、普通のオートマタのはずなんだ、たぶん。
ラルに視線を戻す。彼女は立てられたメニュー表をじっと見つめていた。あの手前のページにあのゲテモノが載っていることは偶然だと信じたい。
「ラル……?」
「……ん。な、に……?」
「何か気になるものでもあったか?」
恐る恐る、そう尋ねる。ラルはもう「興味がある」ということは理解できるはず。
ラルは、あのゲテモノを指差した。
「これ、気になる」
「…………そうか。もう一つ、食うか?」
「ん」
「はぁ……――すみません」
ちょうど近くを通りかかった店員に声をかけた。さっきオイルアイスを持ってきたのと同じやつだ。
「はい、なんでしょう」
「このオイルアイス。もう一つ頼む」
「――ッッッッ!?!?」
「驚きすぎだろ……」
「すっ、すみません!」
勢いよく頭を下げ、茶色のボブカットが小さく跳ねた。
そんなにこのゲテモノは頼まれないのか……。まあ、あの匂いからして当たり前だが。
店員が小走りで奥へと消えていき、あのアイスを持ってやってきたのは、それから約二十秒後。だから早いって。さっきより早くなってるじゃないか。
「ほら」
「ん……」
オイルアイスとスプーンをラルに渡し、じっと見つめる。
さっきは目を逸らしたからよくわからなかったんだ。だから今度はよく見てみる。
ラルはスプーンでアイスをすくい、自身の口へと運ぶ。小さな口が開いて、アイスを口の中へ。
「んっ……」
味わうようにんむんむと口をもごもごさせ――そこからは早かった。
言ってしまえば同じ動作の繰り返し。スプーンをアイスに突き刺してすくい、自身の口へと放り込む。
しかしその繰り返すスピードがすごい。いや、スピード自体はそこまでだ。頭が痛くなることを無視すれば、頑張れば俺だって同じくらいの速さで食べられる。が、今までずっとどんな食べ物でも一定の速さで食べてきたこいつからしたら、かなり早い。
結局、食べ終わるのにかかったのは十秒ほどだった。
「ごちそうさま、でした……」
「食べる速さは置いといて……うまかったか?」
「……わかん、ない」
「だがあんなに早いんだぞ? なんかあるだろ」
「…………?」
ラルは相変わらず首をかしげるだけだ。
いや、何もないはずがない。あまり信じたくはないが、このゲテモノを『おいしい』だったり『好き』だったりと感じているはずなのだ。
「……ああ、そうか」
そこで思い出した。こいつはそれがわからないのか。知らないのか。
それを、俺が教えるのか。
なら、と、気持ち体を乗り出して、俺は切り出す。
「他のものを食っていた時と、何か違うことはあるか? こう……感覚でもなんでもいい」
一応感情は擬似魂生成結晶が作り出しているはず。感情の感じ方は俺たち人間とは違うだろうが、何かしらを感じているはずなのだ。
ラルは俺の問いかけに、小さく頷くことで答えた。
「ん……ある」
「なら、何かしらの感情を抱いているってことだ。多分『おいしい』だったり『好き』だったり、そのあたりだろうな」
「……!」
珍しく、ラルの鉄仮面に感情が浮かんだ気がした。見た目上は何も変わっていない。だがなんとなく、目に力がこもった気がしたのだ。
もしかして……驚いた?
伝えようかと思ったが、言葉を飲み込む。今ちょうど感情を覚えるかもしれない時だ。混乱させてもしょうがない。
「おい、しい……?」
「ああ。何かを食べて、その味が良かった時に感じるものだ。人によって何がおいしいと感じるかはそれぞれだからな。ちなみに俺は、そのアイスを全くおいしいとは思わないと思う」
「おい、しい……おい、しい……」
また俯いて繰り返す。
なるほど。わからないことがあったら首をかしげるのと同じで、覚えるときは俯いて繰り返し呟くのも、ラルのわかりやすい行動パターンなのか。
ラルは何度も繰り返す。これが終わるのに少しだけだが時間がかかる。頬杖をつきながらラルを見ていると、ふと。
「おい、しい……おい、しい……。これが、おいしい……」
「……!」
それは、ほんのわずかな変化だった。もしかしたら気のせいかもしれない。だがしかし。
――笑った……?
常に鉄仮面を貼り付けたラルが、小さくだが笑みを浮かべた気がしたのだ。
「……ん、覚え、た」
「あ、ああ……そうか……」
顔を上げたラルに、笑みは見当たらない。幽霊でも見たような心地だ。ラルを見つめても、彼女は首をかしげるだけ。
見間違い……だろうか。
「でも、『好き』は、わかんない」
「まあ、『好き』は『おいしい』よりも複雑だからな……多分。感情のプロでもないから詳しいことはわからないが」
まったく、本当になんでこの依頼が俺に回ってきたのやら。
ため息を一つつきつつ、メニューを手に取る。オイルアイスを指差して、尋ねた。
「これが好きかも、わからないか?」
「ん……わから、ない」
「そうか……」
「でも」
「でも……?」
「…………もう一個、食べる」
「ムッチャ大好きじゃねえか」
しかしまだラルは首をかしげている。自覚がないのか、まだ足りないのか。
まあいい。とりあえず『おいしい』だけでも覚えてくれただけ、収穫はあった。
せっかくだからもう一個頼もう。
近くにいた店員を呼び寄せる。来たのはまた、あのボブカットの店員オートマタだった。こうも同じ店員になるとはなかなかの偶然だ。
「えっと、また、ハードクリームですか……?」
「まあ、そうだな……」
「……」
なぜか彼女は、少し決まづそうな顔をした。なんだろうか。もうないとか、そのあたりだろうか。
俺、そしてラルに視線を向け、恐る恐るといった調子で口を開いた。
「あのアイスの考案者の店長が、お話をしたいそうです」





