第二話:悪の種子<エヴィル・シード> (後編)
グレーの瞳の少年と魔物との戦闘は続いていた。少年が低位置から俊敏に飛びかかってくる魔物達の攻撃を時には交わし、または剣で払い除けながら、その小ぶりで的を捉えずらい肢体をどうにか捉えては剣で葬っていく。
その間、ゲアンは瞼を閉じて精神の集中に努め、時々開けては敵の様子を窺った。彼が使ったこの癒しの魔術は、“完全持続型”で魔力がある限り続けることができるが、発動者は無駄に魔力を消費しないようにそれをやめる機会も計らなねばならないのである。
「お兄さん!?」
彼が瞼を開けたまさにその時、魔物がグレーの瞳の少年の足に飛び掛かる瞬間だった。
集中力が欠けて魔力は持続せず、魔物の動きに自由を与えてしまったのだ。
「っ!」
グレーの瞳の少年は、魔物に噛み付かれた足を地面に叩き付けて振り落とす。刃には別の魔物の血液がこびり付いて固まり、その切れ味を劣らせていた。
「ごめんなさい……!」
ゲアンは自分の無力さがそうさせたのだと、自分を戒めた。
「うっっ!」
グレーの瞳の少年は苦痛に顔を引きつらせ、呻き声を上げた。魔物に噛み付かれた足が毒に蝕まれていたのだ。それは患部から細胞を死滅へと導く、死の葬送曲を奏でる。
「あぁああ……!」
激痛の呻きと脱力感の嘆きという旋律を……
「お兄さん!」
ゲアンは急いで布袋の中から小箱を取り出した。
――お兄さん、死なないで……!
そう願い、彼は言葉を紡いだ。
「この箱庭に眠りし異空の……」
「待て!」
グレーの瞳の少年の声がその詠唱を遮った。
ゲアンがそちらに目をやると、苦痛に耐え、必死の形相で地面に突き刺した剣の柄を両手で握り、かろうじて立っているグレーの瞳の少年の姿があった。
「それは使うな……! フォガードの力には頼らない。オレ達の力で蹴りを付けるんだ……」
「無理だよ! そんな身体じゃ……」
ゲアンは目に涙を浮かべて頭を降った。
もう目の前で誰かが死ぬ姿は見たくなかった。
「それを使うのは、これに失敗した時だ」
「え?」
するとグレーの瞳の少年の身体から青白い光が発生した。魔物達がその光に怯み、攻撃を仕掛けなくなる。それが魔の存在、すなわち負に反発する“正の力”を発していたからだった。
「ゲアン、オレに向けて――何でもいい、呪文を放ってくれ!」
「呪文て……そんなこと急に言われたってできないよ! 僕が知ってる治癒魔法はあれだけなんだから!」
ゲアンは混乱して身振り手振りで、そう訴える。
グレーの瞳の少年は、苦痛に冷汗を零しながら微笑した。
「攻撃系魔法でもいい。何でもいいから一番強力なやつを放ってくれ!」
「……」
ゲアンは困惑した。彼が何故この小箱を使わず、そんなにも危険を犯そうとするのか。何故自分に勝敗を分ける重大な役目を委ねるのか。何故そんなにも自分達だけで勝つことにこだわるのか。理解できず、布袋に自然と手が行ってしまう。
「ゲアン、お前ならできる!」
その間、グレーの瞳の少年から発生する光は、命の炎が燃え尽きようとしているかのようにその色味を濃淡に変化させていた。
それは魔力を吸収する変換魔術で魔力はほとんど必要とせず、本来持っている魔力の容量分だけ吸収可能だった。余った場合、余力だけが標的に向けて放出される。
身体から発している光はその媒体となるもので、色は精神力が低下すると薄くなるのだ。
「頼む、呪文を放ってくれ!」
「……分かった」
ゲアンはようやく決心した。
――僕がお兄さんを助けるんだ!
今までグレーの瞳の少年と旅する中で、彼が何度となく耳にしてきた呪文の言葉を初めて今、口にしようとする。
――今度は僕が守るんだ!
それは彼が魔物に襲われそうになった時、グレーの瞳の少年が唱えていた呪文だった。
「月よ、昼も褪め止まぬその輝きの、神秘の力を我に授けたまえ……」
彼が唱えたのは月の波<ルナティック・ウェーブ>という中級魔法だった。月のもたらす魔力が地上に降り注ぎ、詠唱者の身体を媒体として伸ばした指先から発動される。そこから波動が黄色の光の波線を描き、標的の耳から波長が脳まで伝わり揺さぶって、精神を破壊するというものだ。彼が放った魔法の波動は、大人が歩く程度の速さでじわじわとグレーの瞳の少年のもとへと流れていく。
――行けっ!……
その時すでに、グレーの瞳の少年の脚の付け根辺りまで毒の浸食は進んでいた。当然、その脚は使い物にならず彼は地面に頽れていたが、上体は起こしたまま精神力を示すその光は消えていなかった。
そしてついにゲアンの放った魔法が彼の眼前に迫った。
「……!?」
ゲアンを激しい緊張が襲う。彼が放った魔法がグレーの瞳の少年に衝突したかと思うと、その身体から発する炎に似た青白い光が激しく揺れ、黄色い光の瞬きがその中一帯に一気に広がり、喘ぐように暴れだしたのだ。
ゲアンは魔力を吸収する魔法の存在は知識としてあったが実際に見たのは初めてで、不安と驚きから彼は、瞬きも忘れるほどその様子に見入っていた。
やがて黄色い光の残滓が消え、青白い光だけが残る。グレーの瞳の少年はまだ地面に頽れた状態だった。
「お兄さん?」
ゲアンは目を潤ませた。失敗したのかもしれない、そう不安が押し寄せる。
グレーの瞳の少年は目を瞑り、地面に頽れながら沈黙していた。が、間もなく彼は立て膝になると、そこからすっと立ち上がった。
「……お兄さん!?」
驚きのあまりゲアンは駆け出すが
「来るな!」
「……?」
グレーの瞳の少年が鋭い声でそれを制し、ゲアンは立ち止まった。彼は戸惑い、寂しげな色を表情に滲ませて立ち尽くす。
するとグレーの瞳の少年の身体から発していた青白い光が消えたその刹那――
「わぁ!?」
動きが止まっていた魔物達が、グレーの瞳の少年に向かって一斉に襲いかかった。彼はそれを避けようともせず、地面に突き刺さした剣を素早く抜き取る。
断末魔の叫びが上がった。
一斉に襲いかかった魔物達が横一直線に閃いた刃になぎ払われ、悍ましい苦悶の表情の首や蛇の身体や獣に似た肢体が切断される。その血飛沫が跳ね、グレーの瞳の少年の服や顔にてんてんとした赤い染みを作った。彼の周辺には屍や瀕死の今まさに息耐えようとして痙攣する魔物が転がっていた。
それに目をやりながら凛として立つその姿から、彼が解毒作用の魔法を自分に施したと伺える。そして更に
「っ!」
背後から襲った一匹を振り向き様に突き出された剣が捕らえ、その喉を貫通した。叫ぶことさえできずに、その魔物は眼球をむき出しにした状態で絶命した。
彼が握るその剣は光を発していた。彼は変換魔術により得た魔力をその剣に付与していたのである。それにより剣の切れ味は研いだ時のそれよりも数段上がり、体液も弾いて付着しない便利な道具と化していた。
彼の周囲から動く魔物の姿がいなくなる。しかし彼はその剣を握り締め、鞘に納めようとはしなかった。
「ゲアン」
ふと名を呼ばれ、ゲアンの目が驚きで見開かれる。
「もう、終わったの?」
伺いながらもその目には、期待の色が見え隠れしていた。彼がそっと足を踏み出すと、グレーの瞳の少年は、今度はそれを止めようとしなかった。ゲアンはそのまま真っ直ぐに彼の下へと駆け寄る。
「まだ終わってないぞ」
「え……?」
グレーの瞳の少年の言葉が、無常という音をたててゲアンの耳に響いた。彼は呆然とするゲアンの小さな肩に手を乗せ、ある一点を指で示す。
「死んだんじゃないの?」
ゲアンは“それ”と少年の顔を交互に見て、不思議そうに首を傾げた。
「完全に死んだとは言えない。一時的に動きが停止しているだけで、邪念が集まればまた再生してしまう」
「じゃあ、どうすればいいの!?」
絶望し声を荒げるゲアンに、グレーの瞳の少年は僅かに目を細めて微笑した。
「魔力は残ってるか?」
「え、分からないけど……」
「そうか……では、あいつを天上界に送るためにまた魔力を分けてくれ」
「またお兄さんに向かって呪文を放つの?」
グレーの瞳の少年は首を横に振った。
「この剣に向かってだ」
彼は自分が手にしていた剣をゲアンの小さな手に握らせた。
「どうやってやればいいの?」
ゲアンは自分に取っては小剣とは言いがたいそれを持て余すように、困惑しながら握っていた。
「言葉に出して、さっき呪文を唱えた時と同じようにすればいい。だが、その剣から手を離してはだめだ。握ったまま唱えるんだ」
「……分かった。やってみる」
ゲアンはその剣を見詰め、そう宣言した。そして呪文の言葉を紡ぐ。
早くあの悪の種子を消して、この地から悪の根を葬り去れるように
初めて大事な人を自らの手で救えるように
その役に立てるように
そう願いながら……
「地、空、海……この世の自然を操る総ての精霊達の神よ、今こそ我にその力を……」
「!?」
思いも寄らぬその強力な呪文の詠唱に、グレーの瞳の少年の目は驚愕に見開かれた。
少年の青い瞳が見せたこともない凛とした輝きに変わっていた。同時に彼が握り締める剣が七色に光り輝く。
――まさか成功したのか?
それは信じられぬ出来事だった。彼ですらまだ収得していない上級魔法の一つを、このまだ幼い少年が目の前で成功させたのだ。七色の光がそれを意味している。
――どこにそんな力が……
「フォガード!?」
ふと脳裏に過ぎったその名前を口にする。しかしその名前の主である彼らの師はここから何日もかかるような遠方にいるため、その声が届くことも返事が返って来るはずもなかった。
だが、不思議と聞こえているような気がした。
全てを見ているような……
「ゲアン!?」
彼がその思考に暮れているとゲアンが卒倒した。咄嗟に手で受け止めようとした彼の手を擦り抜けるようにゲアンは反対側の地面に頽れる。その反動で頭が打ち付けられた。
「ゲアンっ……あっ!?」
その横にゲアンが握っていた剣が転がり、そこから七色の光が零れ出していた。
「まずい!」
グレーの瞳の少年は素早くそれを拾いあげ、両手に握り締めると悪の種子を見据えた。
――ゲアン、お前の力使わせてもらうぞ!
悪の種子よ……
――――――――――消え去れ――――――――――っっ!
彼の魔力とゲアンが注いだ魔力が七色の光の筋となり、その剣の切っ先から秒速を越えた速度で悪の種子のど真ん中に衝突した。
途端それが弾けるように広がり、その全貌を七色の光が包み混む。そして溶けるように緩やかにその幅が狭まっていき、やがてその面積が半分以下に達した時――光に圧縮された悪の種子の残骸が天に舞い、そこから一気に天に吸い上げられていった。
「……終わった」
それを見上げ、グレーの瞳の少年は安堵した。彼の周囲にいた魔物の屍は姿を消している。それら魔の存在は本体が死滅して天上界に還えされると共に消えるのだ。残るのはそれに関わったものの記憶だけである。
彼はゲアンの腕を交差させてその手首を握り、背中に背負うと、そこを後にした。
森を抜けるとカッシュが駆け寄ってきた。
「おい、大丈夫か!? 魔物は?」
興奮気味に急き立てる彼に、グレーの瞳の少年は静かに答える。
「魔物の魂は天上界に送ったので、もう大丈夫です」
「良かった……」
カッシュはほっと胸を撫で下ろす。
「あっ!?」
そして急にあることを思い出し、その表情から血の気が引いた。友人が先程までの異常事態のことを村人に知らせに行ってしまったのだ。きっと村は騒ぎになっていることだろう……
それから彼らが村の集落へ行くと、やはり村人達の間で騒ぎが起きていた。しかしカッシュが事情を説明するとそれは治まった。
「この子を寝かしてあげないとな」
カッシュが気を利かせ、宿屋の主人に事情を説明してくれた。すると無料で部屋を貸してもらえることになり、少年をそこに寝かせてやった。
次にカッシュがグレーの瞳の少年を連れて村長の家に行き、村長と数名の村人代表者、そして神父を前にしてその詳しい経緯を報告させた。すると村人の代表者がそれを確認して来るようにと、足の早い男性に促し、戻って来た男性が大量の魚の死骸や水の汚染、湖に巨大な穴が開いていたことを告げ、そのことが証明された。
しかしそれは、同時に彼等に不安をもたらしてしまった。
するとグレーの瞳の少年が神父に同伴を要請し、その現場へと赴いた。そして現場の湖に着くとその湖面に聖水を一瓶開け放ったあと、神父に祈りを捧げてもらった。
「これで良いのですか?」
静かな神父の問いに、グレーの瞳の少年は頷いた。
「数日でもとの状態に戻るはずです。明朝も私が状態を見にきましょう」
「それなら私も同伴させてください。私はこの村の人々の安全を見守るのが務めでもあるのです」
「分かりました」
グレーの瞳の少年が微笑で答え、彼らはその現場を後にした。
翌朝グレーの瞳の少年と神父が悪の種子が出現した現場跡の湖に行くと、濁っていた水の明度も上がり、異臭も消え、ほぼもとの状態に戻っていた。
前日から昏睡状態に陥っていたゲアンも、その日の朝には目を覚まし、その晩は二人の少年の勇姿を称えて宴が催された。
「村を脅かそうとした魔物を退治してくれた少年達と、このマドレーンの平和と安全を願って――乾杯〜〜っ!」
声の大きな道具屋の主人が代表して乾杯の音頭をとり、ガラスやら金属やらバラバラの酒杯を掲げて皆で乾杯した。あちこちでそれらを打ち合わせる渇いた音が鳴る。百人にも満たない村人全員が集い、その日捕れたての魚介類や旬の果物を使ったその村のごちそうを皆で堪能した。住宅が連ねる敷地の中間にできた空間を利用して行われたその宴は、イスなどはほとんど用意されず隅に茣蓙が敷かれるぐらいで、ほとんど皆が立ち呑みしていた。
宴の主役である二人の少年のうち朝目覚めたばかりのゲアンは、疲れからか途中で寝入ってしまった。グレーの瞳の少年は、彼を茣蓙の空きスペースにそっと寝かせてやる。
「疲れがたまってたんだろうね。まだ小さいのに、魔物を退治したんだものねぇ……」
ふと立ち止まり、初老の女性が眠る少年を見て呟いた。
「兄ちゃん達どこから来たんだ?」
顔半分が髭に囲まれた体格のいい男性が、グレーの瞳の少年に問い掛けた。
「ここから船で五日ほど離れたボシュワーズという山村からです」
「へぇ、そうかぁ……で、その坊やは兄ちゃんの弟なのかい?」
「いえ、違います。同じ師のもとで生活していましたが」
「じゃあ、今はどうしてるんだ?」
その話を耳にした人々の視線が少年に集まる。
「師のもとを離れ、彼とともに精神と技を磨く旅を始めたところです」
「こんなに小さいうちからか!?」
男性の目が驚愕で見開かれる。周辺で聞いていた人々も驚いたり、信じられないと首を横に振ったりしていた。
「この子がオレと同じぐらいの年齢になるまでは旅を続けるようにと師から命を受けたので、当分は一ヵ所に止どまらず各地を回る予定です。――いずれはどこか落ち着ける場所を見付け、そこに住むことも考えていますが……」
その回答に大人達が唸る。するとそこに甲高い声が飛んできた。
「それならこの村に住んじゃえばいいじゃん!」
ゲアンよりもっと幼い少年だった。その傍には母親らしき前掛けをした女性の姿もあった。
「アーク、邪魔しちゃ駄目よ。今はお兄さんとおじさんが話してるんだからね」
「だってぇぇ〜……」
少年がふてくされて口をへの字に曲げる。それを見たグレーの瞳の少年が彼に柔和な微笑を送った。するとアークと呼ばれた少年が素早く逃げ、母親の尻の後ろからひょっこりと顔を出す。大人達はそれがはずかしがっているからだと分かり、小さな笑いが起こった。
と、そこへ蹄が砂利を踏む音が聞こえてきたかと思うと、間もなく闇の中から三名の騎士が姿を現した。中央に設けた焚き火がその姿を朧気に映し出す。前髪をワンレングスに切り揃えた馬に、鎧姿で腰に剣を携えた男性達がまたがっている。
「この中に、前日この村で魔物を退治したという者達はおるか?」
中央の騎士が言った。村人達の間でざわめきが起きる。何事かと不穏な空気が発生した。
「はい、ここにいます」
グレーの瞳の少年が名乗り出た。傍らには熟睡して胸を上下させる小さな少年ゲアンが横たわっている。彼はその少年を守るように、凛とした態度で構えていた。
すると騎士達が、互いに顔を見合わせた後に告げた。
「王がそなた達に会いたいとおっしゃっている。明日の三時に城へ来い」
騎士は少年に通行書を渡し、少年はそれを受け取ると
「分かりました」
と躊躇うことなく承知した。
「遅れるでないぞ」
中央の騎士が馬首を巡らし、他の騎士達もそれに倣う。馬腹を蹴り、軽やかな足取で馬を駆って彼らは村の門から出ていった。
翌日、少年達のために村人が馬車を出してくれた。二人はその厚意に甘えて、城のある王都まで送迎してもら。途中、傾斜の利いた丘陵や森を抜け、ようやく王都に着いたのは出発してから三時間ほど経ってからのことだった。少年二人はそこで卸者の男性に礼を述べて下車した。
「ありがとう」
ゲアンはそう言って、運んでくれた馬達に人参を与えた。その美味しそうに食む姿を眺める彼は、表情を緩ませ、すっかり和んでいた。
「はは、良かったなぁ」
卸者の男性が馬に笑い掛け、グレーの瞳の少年も笑う。
「ゲアンは動物が好きだからな」
グレーの瞳の少年の表情が緩む。それを見ていると、昨日二人が魔物と死闘を繰り広げたということが、まるで嘘のように癒されていく瞬間だった。
平穏な暮らしをしていれば、この少年はきっとその青く澄んだ瞳の奥にも、その真っ白な心の中にも、闇を宿すことなく生きられたはずだった。それが悪夢を体験した時から、狂わされてしまった。皮肉にもそれがのちに救世主を生み出すきっかけとなり。少年の中に眠っていた確かなる才能を目覚めさせ……
「じゃあ、オレ達はそろそろ行くか」
卸者の男性が馬達を見やりながらそう切りだし、馬車を方向転換して来た道を戻って行った。
少年達はそこから徒歩で城のある方向へと進む。都の中央に立つ柱時計を見ると、午後一時を回ったところだった。早すぎても良くないだろう、そう考えた二人はその都の中を散策することにした。木造や石造りの住宅や教会の他、さまざまな店が軒を連ねている。その中の道具屋に入ると、ゲアンがあるものを見付けて
「あっ!」と声を上げ、それが置かれた台の側に駆け寄った。
「これ僕のと同じだ」
彼は自分の首に下げた首飾りとそれを見比べた。二つとも同様に、長方形の小さな金属の板に紐を通した首飾りだった。
「おじさん、これにはどんな効果があるの?」
彼はその首飾りを旅に出る時グレーの瞳の少年からもらったが、それに効力があるとは聞かされていなかったのだ。
「それは聖なる呪文を彫った“魔除け”の首飾りだよ」
「え……?」
途端彼の顔が凍り付いた。彼は自分の首から下げている物とそれを交互に眺め
「魔除け……」
呆然とそう呟く。
すると赤ら顔で恰幅のいい店の主人は、商売用のやらしい笑顔を振りまきながらさらに付け加えた。
「身に着けると中級ぐらいの魔物でも、半径10メートルは寄って来ないという優れ物だよ」
「……」
それを聞いたゲアンはすっかり意気消沈し、言葉を失った。
「ゲアン?」
急に店を飛び出したゲアンを見てもう一人の少年が声を投げかけた。しかしゲアンはそのまま振り向かずに行ってしまう。他の商品を拝見していた彼は、自分が見ていた商品を置かれていた台に戻し、自分も店を出てゲアンの後を追った。
「ゲアン、どうした!?」
宛もなく歩いていたゲアンの後ろ姿はまだ店の付近にあった。少年がすぐに駆け寄り、その小さな肩に触れるとゲアンは立ち止まった。
「お兄さん……」
その声は僅かに震えていた。振り向かずに彼は言葉を紡ぐ。
「僕がこれを身に着けていたから、お兄さんばかりを魔物の集中攻撃に遭わせてしまったんだね」
「ゲアン……」
「これはもう、いらないよ」
ゲアンは首飾りに手を掛け、頭を潜らせて抜き取るとそれをグレーの瞳の少年に突き出した。
「それは御守りだ。着けていろ」
グレーの瞳の少年は諭すようにそう言って、それを押し戻した。
「……っ!」
ゲアンの表情がみるみる歪んで行く。眉根を寄せ、彼は吐き捨てた。
「これがあったら僕は魔物と戦えないじゃないか! 僕だってお兄さんの力になりたい……お兄さんを魔物から守ってあげたいんだ!」
「ゲアン、お前は助けてくれたじゃないか。お前が力を貸してくれたから、あの悪の種子を浄化することができたんだぞ。あれはお前がいてくれたからこそできたことだ。オレ一人の力じゃない」
「でも、これを着けてたらまた、お兄さんだけが魔物に襲われる……」
「じゃあ、こうしないか」
「え……?」
グレーの瞳の少年は手を出して、ゲアンから首飾りを受け取った。
「オレが傍にいる時は、これを着けて魔物からオレを守ってくれ。そして、オレと離れている時は、これで自分の身を守るんだ」
彼が「ん?」と同意を求めて首を傾げると、ゲアンは静かに頷いた。
「じゃあ、もう少し時間を潰すか」
グレーの瞳の少年はゲアンの首に首飾りをかけると、かわいい“弟”の頭に接吻した。
時計が一時四十分を指す頃、二人の少年達はドチュール王国の城門前にいた。グレーの瞳の少年が昨晩、騎士から受け取った通行書を門番に渡すと入城を許可された。そして彼等は槍を持った兵士に案内されて降りた跳ね橋を渡り、城内に続く通路を行く。そして白一色の石に立体的な彫刻が施された立派な扉の前までやって来た。そこで兵士が立ち止まり来客が到着したことを報告すると、その扉の門番が動いた。直径三メートルはあるかと思われる巨大な観音開きの扉が、その厳つい二人の衛兵によりゆっくりと開かれる。
「うわぁぁ……」
ゲアンは感歎の声をあげた。眼前に、思わず溜め息が零れるような光景が広がっていたのである。巨大できらびやかなシャンデリアはいくつあるだろう。天井の高さは天にも昇るようだ。ここは夢の世界か? 乳白色の柔らかな光のベールに包まれた広間は、少年が見たことも聞いたこともないような芸術品の宝庫だった。
「さぁ、行くぞ」
「あ、うん!……」
グレーの瞳の少年に促され、ゲアンは気を引き締めて前進した。
二人の少年は、王の玉座の前にある赤い絨毯の上に跪き、頭を垂れた。
「面を上げよ」
すぐに王にそう促され、二人の少年は顔を上げた。
「そなた達の顔をもっとよく見せてくれ」
さらに前に来るよう促され、二人は一歩前に進み出た。
「ほぉ、噂には聞いていたが……まだ子供ではないか」
王は感心しながら少年二人を交互に見比べた。
「右の者、先に名を申せ」
グレーの瞳の少年が答える。
「はい。バドと申します、陛下」
「そのほうは」
「はい。ゲアンと申します、陛下」
続いてゲアンが緊張しながら、隣の少年に倣って受け答えをした。
「ではバド、そしてゲアンよ。そなた達の栄誉を称え、このドチュール王国の勇者として認定し、その称号とこの国の永住権を与えよう」
王は高らかにそう述べるが、少年達は困惑してしまった。
「その“称号”とは……?」
グレーの瞳の少年が尋ねる。
「ドチュール王国認定の騎士に並ぶ、“勇者”としての称号だ」
「勇者……」
「そうだ。そなた達には勇者として、この国に関わる護衛を務めてもらいたい」
その内容は少年達の行動範囲を確実に制限してしまうことを意味していた。彼等は一ヵ所に止どまることを許されない。それは道楽の旅人を気取るためではなく、束縛されぬ自由を得ることで世界各地のいたる所へも飛んで行ける環境を作り、悪の種子やあらゆる魔の存在を撲滅しに行けるようにするためである。
彼等にその任を与えたのは師のフォガードだった。その彼が悪の種子の居場所を感知する特殊な力を授けたため、少年達は悪の種子の居場所に辿り着くことができたのである。
「大変ありがたいお話なのですが、我々は魔の存在を撲滅するために、世界各地を回らなくてはならぬため、一国の守衛にあたるその称号はいただけません」
すると王は顎鬚に手を添えながら、少々思考を巡らした後こう言った。
「では、改めよう」
王は間を置いてから言葉を紡いだ。
「バド、そしてゲアンよ。そなた達に勇者としての称号ではなく――その、“勲章”を与える」
沈黙する少年達に、王はさらに言葉を継いだ。
「そなた達が今後、我が国だけではなく、この世界各国の勇者として活躍することを期待する」
朗々としたその勧告に少年達は瞳を輝かせた。
「はい、喜んでその名誉ある勲章を頂戴致します」
バドは凛とした声で謝意を述べ、少年二人は王に深くおじきした。
こうして二人の勇者が誕生した。
彼らによって悪を育てる邪悪なる存在、悪の種子が消滅し、村は安寧を取り戻し、彼らのその活躍はドチュール王国の叙事録の一つとなった。