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第一話:悪の種子<エヴィル・シード> (前編)

 海に面した大陸に位置するその国は、一年を通して暖かく穏やかな気候にともない住む人々の気質も穏やかで、戦とはほぼ無縁の楽園であった。その平和に包まれた国のとある村で災厄が起こった。それは今から約七年前のこと。森の奥地にある泉から異質の存在が出現したのである。

「なんだあれは!?」

 最初その異変に気付いたのは、漁を終えて漁船で帰港した漁師だった。森の中から見たこともない何かが頭を出している。そこまで数キロほどの距離があったが、それでもはっきりと見て取れるほどそれは巨大だった。暗色でありながら木々などの景色にも同化せず、違和感を禁じ得ない。彼は港に着くなり、同行していた他の漁船の猟師達にそのことを話してみた。

「オレも見たぜ」

「怪しいな、誰か見に行くか?」

「誰が行く」

「オレは遠慮するぜ、気味が悪い」

 そこにいた誰もがそれに近付くことを拒み、結局その話を持ち出した男性が見に行くことにした。とはいえ彼自身も気が引けていたので、彼は猟師仲間の一人に同伴を頼んだ。




 森へやってくると真っ先に発見者の男性が、その中に足を踏み入れた。彼は林立する木々の間の獣道を早足で進んでいき、その後ろに連れの男性が続く。船上から見えていた位置を考えるとこの辺だろう、そう思いながら進んでいくと、ある地点でその足が止まった。

 湖の畔である。

「なんだこれは……!?」

「うわっ、でけぇ! 何かの卵か?」

 森から頭を出していた物の正体がそこにあった。その大きさは計り知れなかった。泉の水面から楕円形に伸びた頭を覗かせ、その下にまだ身が隠れている。二枚の蓋を合わせたような形状は、植物の種子か動物の卵にも見えた。

 前日まではなかったはずだ。これほどまでに巨大な物を見落とすわけがない。では、たった一晩にしてこんな物が出現したというのか。

 目の前の超現実的光景を二人は凝視した。泉に長らえる主のようなその姿は、異様でしかない。そこに息づく何かを感じるが、生命の宿る温かさとは違う。そこに向かって集結した重苦しい何かが、その中で蠢いている――そんな気配がしていた。

「おい、気を付けろよ!」

「ああ……」

 発見者の男性は警戒しながら、それに触れてみた。

「どうだった?」

「固い。岩みたいだ」

 それはごつごつとして冷たく、どす黒い岩肌のようだった。

「おい、見ろよこれ!?」

 すっかりその物体に気を取られていた彼に、連れの男性があるものを指差して叫んだ。

 それが彼をさらなる恐怖へと引きずり込む。

「こ、これは……!」

「みんな死んでるぞ!?」

 泉の水面に死んだ魚がぷかぷかと浮かび上がってきたのだ。

 彼の喉にすっぱいものが込み上げる。

「何でこんな……こんなにたくさんの魚が死んでるんだ……」

「なんか水の色も変じゃねぇか?」

 二人は泉の前にしゃがんで顔を近付け、水の臭いや色を調べてみた。

「なんか、嗅いだことのない臭いだな」

 それは名状しがたい異様なものだった。色はどこか濁って見える。しかし、はっきりとした違いはそれだけではよく分からなかった。とはいえ魚が死んでいる以上、有害である可能性が高い。――そしてはっとした。

「まずいぞ!」

 これがもし、川や海に流れ出したら……

「おい!?」

 連れの男性の呼び止めるその声を背に 彼は駆け出し、森を後にした。




 その数十分ほど前、付近海域を進む一艘の船の姿があった。海を渡るにしてはあまりに華奢な造り。その小舟に乗った二人の人影。一人はまだあどけなさが残り、青い瞳でベージュ色の髪をした天使のようにかわいらしい少年。もう一人は彼より頭一つ分ほど背丈があるが、こちらもまだ少年と言ったほうが当てはまるだろう。どこか華奢な線が身体に残っていた。容姿端麗で、見方によっては美少年にも美少女にもなりうる姿をしている。切れ長でグレーの瞳が印象的だ。

「あの島?」

「そうだ」

 青い瞳の少年が船体の縁に手を掛け、身を乗り出して景色を眺めている。その瞳は好奇心に満ち溢れていた。グレーの瞳の少年は操舵席に立ち、舵を握っている。動力となっているのはこの船に宿した“見えない力”によるものだった。

「なんだろう?」

 青い瞳の少年は進行方向の大陸にある森林から、怪しげに飛び出た物体を発見した。緑や茶系色の自然を背景に、それに溶け込まぬ異質の存在を示す、どす黒い塊が見える。

「“あれ”かな?」

 しかし、それを見た彼に驚きはあまり見られなかった。操縦中の少年も同じで、それどころかそこにあるべくしてあったものを見るような目をしていた。




 やがて彼らの乗った船が港に到着した。それを停泊させ、二人が下船すると

「おい」

 ふいに声を掛けられた。振り向くと猟師らしき風貌の男性がいた。周辺にも似たような服装の男性がいて、何やらこそこそと話しながら、時々首を傾げたりしている。

「ここへ来る途中、何か怪しい物体を見なかったか?」

「見ました」 

 グレーの瞳の少年が躊躇わずにほぼ即答したので、男性は少し面食らった。

「おぉ、そうか……」

 次の言葉に詰まってしまう。

 少年が冷静な声音で言葉を紡いだ。

「私は魔物ハンターで、彼とともにその物体を始末するためにここへ参りました。その物体は……」

 続きを言おうとした時、別の声が飛んできた。  

「何だって……!?」

「カッシュ、戻ってきたか」

 声の主を見るなり男性が言う。先程その物体を発見して見に行った男性の連れだった。その男性カッシュが駆け寄って来た。息を切らし、額からは汗が流れ、深刻な表情をしている。

「どうだった?」

 カッシュと呼ばれた男性は肩を上下に揺らし、乱れた呼吸の合間に答える。

「ああ、詳しい説明は後だ。……それより今言ってたことは本当か!?」

 彼はグレーの瞳の少年の肩を掴み、危機迫るように問い質した。

「はい」

「じゃあ、来てくれ。オレが案内する!」

 カッシュが二人の少年にそう促し、彼ら三人は駆け出した。港を抜け百メートルほどの短い石畳を通り抜けると、集落から外れた舗装がされていない道が続く。その道幅が開けた地点の脇に、青々とした木々が生い茂る森があった。カッシュが先頭を行き、その間隙を突き進む。少年たちが後に続いた。雑草や岩、折れた小枝などが転がり、足場の悪い獣道を行くこと数分。終始無言だったカッシュが突然言葉を発した。

「あれだ!」

 彼は遠くを見やりながら、何かを指差した。

「え……どこ?」

「目の前にあるだろ」

 ぽかんとしていた青い瞳の少年に、グレーの瞳の少年は冷静にそう言った。とはいえ外見上は落ち着いていた彼も、内心では驚愕していた。話に聞いて想像していたものよりも、実物ははるかに驚異的だったのだ。思わず背筋に悪寒が走る。

「……」

 一方、青い瞳の少年は、じわじわとその衝撃を味わうこととなった。それがどれなのかが分かった時、彼の目は見開かれたままになった。まだ小柄な少年の目に映ったのは絶壁かその類いで、彼はこれほどまでに巨大なものを見たことがなかった。

「あれが……“悪の種子<エビル・シード>”?」

「そうだ」

 グレーの瞳の少年は泰然としてそう答え、泉の水面から頭を出した異質の物体を見据えた。

「……エビルシード?」

 初めて耳にするその怪しげな名前に、カッシュは訝しげに眉を潜めた。彼にグレーの瞳の少年が促す。

「危険なので、あなたは森から出ていてください」

「離れて見ていても駄目なのか? オレもその化け物がどうなるかを確認しておきたい」

「それではあなたを巻き込んでしまう危険性があり、闘いにも集中できないので、森の外に出ていてください」

 少年の切迫したその言い分に、カッシュは一瞬渋い表情を見せるが

「じゃあ、オレは森の前で待ってる。終わったら知らせに来てくれ!」

 そう言い残し、彼は来た道を逆方向に駆けていった。

 その後ろ姿が森の奥に消えると、グレーの瞳の少年は、青い瞳の少年に指示を出した。

「あいつを浄化魔法で天上界へ送る。それに使う魔方陣を書くのを手伝ってくれ」

「分かった!」

 青い瞳の少年は威勢のいい返事を返す。

 彼らは作業に取り掛かった。グレーの瞳の少年が指導のもと、落ちている小石などを使って、二人で地面に巨大な魔方陣を描きあげる。

「いいか。もしもの時は、“そいつ”を飛ばすんだぞ」

「うん、分かってる。任せといて!」

 青い瞳の少年は肩に斜め掛けした布袋の中から、銀色の小箱を取り出した。それは蔓草のような模様の細工が施されており、一見オルゴールかジュエリーボックスを思わせるものだった。大きさも十五cmほどで、丁度少年の掌に乗るサイズだ。

「使い方は分かってるな?」

「うん」

 青い瞳の少年は頷き、それを乗せた掌を顔前に掲げた。

「この箱庭に眠りし、異空の移動者よ。今こそ目覚め……」

「おっと! そこまででいい。名前を呼ぶと本当に出てきてしまうからな」

 詠唱を中断させ、グレーの瞳の少年は微笑した。

 その小箱の中には凝縮された小さな森が存在していた。そこに時間の生じない異空間の空を飛んで、瞬時に目的地に移動することができる不思議な鳥を住まわせてあった。それは呼び出さぬ限り延々と眠りに着いており、起こすと同時に主人のもとへと飛んで行く、いわば伝書鳩のようなものだった。可能な行き先はそれを持って訪れたことのある場所に限られるが、何しろ瞬間移動ができるため、緊急時には大変重宝するものだった。

「まだ出番じゃないからね」

 青い瞳の少年は小箱にそう語りかけ、それをまた布袋にしまった。出番が来ては困るのだが……

「始めるぞ」

「はいっ!」

 二人は魔方陣から出た。するとグレーの瞳の少年が、その魔方陣に向けて呪文の詠唱を始めた。

「天を彩る精霊よ。大地に描いたこの魔方陣をその天に映し出し、それをあの邪悪なる悪の種子に複写せよ……」

 彼は反射魔術<ミラー・トリック>の呪文を言い終える。

「何!?……」

 その時、突然轟音が唸り、大地を震わせ始めた。その正体は今彼が唱えた呪文とは関係なく、別の存在がもたらしたものだった。

「うわぁぁ……」

 青い瞳の少年はその揺れに体勢を崩し、地面に尻餅を着く。

「くそっ!……遅かったか」

 グレーの瞳の少年は舌打ちした。彼が目をやったその先は、あの湖面に頭を出していた悪の種子だった。

 いや、それはこの時すでに楕円形の全身を地上に出して二つに割れ、その中に詰まっていた物を地上に散布していた。湖面が一気に押し上げられた爆発的な音の後に、小さな隕石が連続して落下するような光景が続く。その衝撃が、短く、重く地面を叩く。

「うわ、何だあれ……!?」

 青い瞳の少年は珍しさと、未知なる存在に対する恐怖心に身震いした。

 悪の種子から飛び出した物とは、魔物の細胞そのものだった。鉛色した楕円状の物体が、次々と軋むような音をたてて破れていく。そのなかから青白い人面と蛇、もしくは獣の肢体を持った異形の物体が姿をさらけ出し、その顔に怒りや憎悪、悲痛な色を滲ませていた。

「うっ……」

 その光景を見た青い瞳の少年は、吐き気と悪寒に見舞われた。足が竦み表情、身体ともに強張ってしまう。だが、それでも彼に『逃げよう』という気は起こらなかった。彼はあることを誓っていたのだ。

 もう二度と逃げないと……二年前の“あの時”のように。

「あっ?」

 すると空に変化が起きた。大地に描かれた魔方陣の図が徐々に浮かび上がって行く。そしてその全貌がくっきりとなった時、それが角度を変え、やがてある位置に来るとそこで停止した。

 そこからそれと同じものを刻印するかのように、光の筋が標的物に向かって降り注ぐ。魔方陣の図が空から延長したのだ。

 これが先ほどグレーの瞳の少年が唱えた呪文の第一段階、“複写”の魔術<エクステンション・スタンプ>の作用だった。

 二つに割れ、大きく口を開いていた悪の種子本体は、魔方陣にすっぽりと覆われた状態になる。すると、空に浮かんでいた魔方陣はしだいに姿を消していった。

 次に、複写した魔方陣の上空に濃灰色の雲が出現し、雷鳴の轟音とともに種子本体に向かって豪雨が降り注ぐ。その雨により、本体も付近にいた異形の魔の存在ももがき狂い、断末魔の叫びをあげ死に絶えて行く。

 これが第二段階の“浄化”の雨を降らす魔術<ホーリー・レイン>だった。

 しかし悪の種子本体が撒いた魔の存在は四散していた。的を外れた魔物や誕生していない危険因子がまだそこら中に残っていたのだ。

「……この地を浄化せよ!」

 新たにグレーの瞳の少年が中級でそれより威力は劣るが、数回に渡り浄化作用の雨を降らす雲を発生させる同系呪文を唱えた。が、その間にも外れた場所で、魔物を生み出す鉛色の物体が破れていった。

 それを目の当たりにした彼の表情が曇る。

「これでは切りがない!……」

 それらの光景はこの世の悪夢であった。普通の精神力の者には決して耐えられぬ、醜悪な魔の存在との精神的、肉体的戦い。

 “負の心”が集結して生み出される魔の存在――それは、感情を持った生物達に付き纏う不滅の宿命さだめでもあった。

「ゲアン、魔方陣の中に入れ!」

「お兄さん……」

 魔方陣の外枠には細工が施され、もう一種、魔除け呪文の文字が刻んであった。これは図を作成する際、グレーの瞳の少年が安全地帯を確保するために書いたものだった。

 呪文を唱える最中にも魔物からの攻撃が浴びせられ、彼の身体に傷が増えていく。

 青い瞳の少年ゲアンは布袋の上から小箱を握り締め、その光景から目を逸らさなかった。その双眸に強い意思が漲る。

 グレーの瞳の少年は魔力の消費を抑えるため、腰に携えてあった剣での攻撃に切り換えた。

「何してる。早く魔方陣の中に入れ!」

 彼は敵の攻撃を剣で受けながら、ゲアンにも注意を向けてそう促すが、ゲアンは動こうとしなかった。その唇が言葉を紡ぐ……

「地上に住まう精霊達よ。川のせせらぎ、森の息吹、太陽の温もり、風のそよぎ……」

 ゲアンは突然、癒しの魔術<ヒーリング・コール>を唱え始めた。

 すると地面から、空気から、空から、彼等の周辺一帯に生命の息吹が満ち溢れてきた。

 それは心に安らぎをもたらすと同時に、グレーの瞳の少年の傷も癒していった。

「ゲアン……いつの間に覚えたんだ!?」

 グレーの瞳の少年が負っていた身体の傷が、癒しの魔術効果により徐々に回復していく。彼は回復していく自分の身体と、その呪文を唱えたのがその小さな少年であることに驚愕した。

「お兄さんが唱える呪文の詠唱を聞いて覚えたんだ」

 もがき苦しむ魔の存在を見やりながら、グレーの瞳の少年は口の端から笑みを零した。

「よくやったぞゲアン。こいつらにはこれだけでも充分苦痛なはずだ」

 天使みたいに繊細で、か弱くて、こんな戦いになど巻き込まれるべき子ではないとばかり思っていたが、いつの間にか彼は頼もしい存在になっている。もう守られるだけの存在ではないのだ。そう思うと嬉しかった。

「僕が援護するから、お兄さんは魔物と戦って!」

 凛とした声と勇壮な青い瞳の少年、ゲアンがそう答える。そこに以前のかわいらしいだけの少年の姿はなく、勇者と呼ぶにふさわしい風格が芽生えていた。







「種子とともに“芽生え”たか……」

 そこから何日もかかる山岳地帯の絶壁に佇み、そう皮肉を漏らす老人の姿があった。




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