6話 お風呂と父性
「ゆーーなりく~ん~……」
かなり躊躇うが、僕は白く靄がかった入り口の前に立った。久しぶりのお客さんが困っているのに放置するわけにもいくまい。相手が幼女であれば尚更である。
「どうしたの……? 」
「その~……」
声にかなり迷いを感じる。一体どうしたのだろう?
「その、ね、かみを、かみだけでいいからゆーなりくん、洗ってほしいなって……」
「か……髪……? 」
「……うん。その~……あたし、泡が目にはいるのが怖くて、泡流すのいっつもお父さんにやってもらってて……今一人でやろうと思ったんだけど」
やっぱ怖くて……
そんな自分が恥ずかしかったのか、最後の方の声は消え入りそうなものだった。子供らしいと言えば子供らしい。僕のこの頃はどうだったっけ。女の子は髪が長いし、一層大変なのかもしれない。それにしてもお父さんというワードを聞いてしまうと、見知らぬ他所の男の僕が髪を洗わせていただくというのは如何とも申し訳ない気がしてくる。だが仕方ない。
できるだけ前の方向いててね、そう言って中にはいる。中にこもっていた湯気で、ぶわりと眼鏡が白く曇り、慌てて外して側に置いた。僕は相当目が悪いから視界がそれでボヤける。ちょうど良かった。ひなのちゃんは三つ編みに結んでいた髪を解いていて、なるほどこれは洗い流すのが大変そうだ、泡を含んだ艶々とした予想以上に長い髪が彼女の体にまとっている。
「ごめんね……ありがとう、お願いします」
何故かひなのちゃんは申し訳なさそうにしている。こっちの方が申し訳ないくらいなのに、なんだか更に申し訳ない。側に置いてあったシャワーをとって、かける前に声を掛けた。
「えっと……じゃあ、今からシャンプー流すから、目つぶって、くれたら……」
「ん、つぶったよー」
じゃ、じゃあ、かけるよ、と入念に宣言してからシャワーの詮を回す。勢いが強すぎたり、暑すぎたりしないように自分の手で確かめてから、そっと彼女の髪にお湯を流す。泡を含んでふわふわとしていた髪がすっと背筋に垂れて、なんだかすごく綺麗だ。お湯を流しつつ左手で髪をすき泡を洗い落としていく。その指の間を通っていく髪の毛1本1本が細く、そして酷く柔らかくて、まるで繊細な小細工があしらわれた壊れやすい宝物を触ってるみたいな気分にさせられる。女の子にとって髪が物凄く大切ってことが前提のシーンを現実でも物語でも時折見ることがあったが、こういうことだったのか、と僕はこの実体験を通して痛感した。いつまでも触ってたい。絹のような手触りとはこのことか。
「ゆ~なりくん~まだ~? 」
僕がいつまでも髪を流していたものだから少々痺れを切らした声でひなのちゃんが問いかけてきた。
「うん……。もうちょっと待ってね」
「え~。は~い」
まだ触ってたいというのもあったし、何よりこんな長い髪を洗い流すのは初めてである。泡が完全には落ちてないような気がして、なかなか終わらせることができない。
いやあしかし、僕は奇妙な感覚に襲われていた。目の前でぼやけているひなのちゃんの白っちい体は細く小さく、髪の毛も猫っ毛で、なんだか、なんだかとても子供という感じだった。その存在が少々ぐずった様な声を出して、それに僕が答えて。なんだか、なんだか……正直に言おう、僕は胸を潰すような父性に襲われていた、んだと思う。父性がどんなものかなんて、女と付き合ったこともない、まだまだ青い僕にはよくわからないが、この気持ちはそれに近いものだろう。なんだこの生き物は。守ってあげたい……。
まだ見ぬひなのちゃんのお父さん、なんだか申し訳ないです。必ずやひなのちゃんはご家族の元にお返しいたしますのでお許しください。
そう心の中で呟き、いい加減、洗い流しに見切りをつける。先に出てるから、ひなのちゃんゆっくり湯船に浸かりなよ、と僕はビチョビチョの袖や裾を絞りつつ言うのであった。