5話 ひなのちゃんとお風呂
「二人だと色々大変なこともあるだろうから、もし良かったらここに連絡して? 」
帰り際、宇賀さんに呼び止められて、僕は1枚の小さな紙を受け取った。そこには彼女のメールアドレスだろうと推測される文字列が、丸っこい字で書いてあったのである。
悲しいかなこういった経験が皆無といって等しい僕が、えええ、とかあうあう、だとか気持ち悪くキョドり始める前に、宇賀さんはまた口を開いた。ありがたいことに。
「もし間下くんがなにか用事があってひなのちゃんが一人になっちゃうとか、まあ、色々、お手伝いしてほしくなったら、遠慮しないで、私を呼んでくれていいよ」
「いや……でも、悪いです……」
「もう~、私がひなのちゃんにまた会いたいの! ……だから、大変だったら遠慮しないで連絡してね」
そう言って宇賀さんはにっこり微笑むと、少ししゃがんで、ひなのちゃんもるいちゃんと会いたいよね~とかなんとか話しかけてじゃれついている。店内からシェフの気配でも感じたのだろうか、肩をピクリとさせると、宇賀さんはそれじゃあね、と手を振りそそくさと戻っていった。残されたのは、オレンジ色の電灯に照らされた僕とひなのちゃんが二人。
「……じゃあ、帰ろっか」
「うん! ゆーなりくん、ごちそうさまでした! 」
ひなのちゃんはペコリと小さくお辞儀して、それから自然な風に僕の手を握った。いつかテレビで見た、主人の指示を待つゴールデンレトリバーみたいな瞳で僕を見ている。
「……うん」
情けないことにドギマギしてきたのをそのままにして、僕は彼女の手を引き歩きだしたのだった。
僕の汚いアパートに到着して、まず始めたことは掃除だった。ひなのちゃんを玄関に待たせて大急ぎで部屋の中を整理し、可愛い幼女がどうすればこの狭い部屋で心地よく過ごせるのか必死に必死に考えるが、どうしても限界というものはある。結局、とりあえず物をしまい、以前気紛れで取ったぬいぐるみを奥から引っ張り出し置いておく、そんなことしか出来なかった。
次に僕を困らせたのはお風呂だった。勿論、きれいに風呂場全体を磨きあげ、数ヵ月ぶりに湯船を張り、バスタオルとパジャマ代わりの半袖を用意してあげ、一番風呂を彼女に明け渡してあげた、のだが。ひなのちゃんがお風呂に入って十数分、一息ついてコーヒーを飲んでいる時に聞こえてきた声に僕は、困った。
「ゆーーなりくーーん!! 」
ひなのちゃんが、お風呂場の扉の向こう側から僕を呼んできたのである。