4話 先輩とひなのちゃん
「ゆーなりくんは食べないの?」
目の前の彼女は不服そうな顔をしていた。そんな顔をされては、なにか僕が悪いことしたみたいじゃないか。とはいっても大してお腹が空いていないのだ。なんてったって一日中殆ど動いてないし……。
「えー、一緒に食べたいな。一人で食べるのって、なんだか寂しいでしょ? 」
子供の癖に、大人みたいなことを言う。猫のような大きな目でじっと見つめられては、無下にすることも出来ない。
「う~ん。じゃあひなのちゃんのちょっとちょうだい。僕はそれで十分だよ。」
「うん! 」
ひなのちゃん的に僕の苦し紛れの案はとても納得のいくものだったらしい。元気よく返事をすると、にこにこと微笑んでいる。……子は宝とはよく言ったものだ。ただ笑っているだけで僕をこんなに幸せな気持ちにしてくれるのだから。意味、少し違うか。
ひなのちゃんを眺めながらしばらく待っているとオムライスは宇賀さんと共にやってきた。半熟でとろとろに溶けた卵の上に、濃厚なデミグラスソースがたっぷりとかかっている。それらが真っ白なプレートに映えて、とても美味しそうだ。うわあー。ひなのちゃんから歓声が上がる。
「お待たせしました~、オムライスになります」
にこにこしながら皿を机に置く宇賀さんと、にこにこしながらそれを待つひなのちゃん。宇賀さんはひなのちゃんに、ひなのちゃんはオムライスに、それぞれお花マークを飛ばしているみたいだ。僕はそんな二人にお花マークを飛ばしちゃいそうなんだけどそんなのは気色悪い以外の何物でもないので必死に平静を装う。
「どうぞ、お食べ~」
「はい! いただきます! 」
幼女にこんなケチ臭いことを言うのもなんだが、奢ったのは僕のはずなのに何故か宇賀さんに手を合わせている。礼儀正しいその様子が非常に愛らしい。一匙掬うと、中の程よく炒められたケチャップライスが顔を覗かせる。
ひなのちゃんはそれをぱく、と口に含むと、頬っぺたをハムスターみたいにもぐもぐさせた。大した量でないのに、彼女の小さい頬にとってはいっぱいいっぱいみたいだ。次に目をとろんとさせる。しっかり咀嚼し、ごくりとごくりと少しずつ飲み込んでいき、彼女は口を開いた。
「おいしいです! お姉さん! 」
「うふふふ。私は作ってないんだけどね~。あと、私の名前、瑠衣っていうんだ。だから私のことは瑠衣ちゃんって呼んでね! 」
「宇賀さん! まだいたんですか……」
オムライスを食べるひなのちゃんに夢中で、依然そこにいる宇賀さんに気づかなかった。というか、下の名前初めて知った……。
「なによ~、いちゃわるい? 」
「いや、バイト中じゃないんですか……」
「呼ばれたらいくもん! 私もひなのちゃんとお話ししたい! 」
盗み聞きでもしていたのか、ひなのちゃんの名前すら把握している。えぇ……と苦笑いを浮かべるしかない。正直、宇賀さんは可愛いから、話している現状は嬉しいのだが、久々に学校との繋がりを実感して体が、表情が、強ばっていく。今の学校生活のこととか聞かれたら、どうしよう。
「ひなのちゃんはどうして優成くんのところに? 」
無邪気な顔で宇賀さんが、僕ではなく、オムライスを頬張っている目の前の子に質問をした。ひなのちゃんはキョトンとした顔をして、僕を見た。まずい。誤魔化さないと。
「ひなのちゃんは、え~とその、しばらくの間僕のところに預けられることになったんです。えー、親御さんたちが海外出張になっちゃって、でも数ヵ月とかで帰ってくるから、そんな少しの間なら近くの親戚のところに預けようって。それが僕でして」
「え~! そんなこといったって、優成くんも学生なのに、大変じゃない? しかも男の子だし。大丈夫なの? 家事とかさ」
ね、ひなのちゃん。そう問いかけられて、訝しげな顔をしているひなのちゃんに、僕は必死にウィンクを贈る。そりゃそうだ。ひなのちゃんは今、親の記憶がない(おそらくそれ以外も色々忘れてるだろうが)。今あーだこーだ言われても、はて? 、といった感じだろう。しかし僕の必死の合図が通じたのか、少々ぎこちなくはあったが、彼女は口裏を合わせてくれた。
「う、う~ん。あたし、今日がゆーなりくんのとこ泊まるのの初めてだからまだ、よくわかんないけど、ゆーなりくんやさしいし、多分、大丈夫だよ! 」
「い、良い子……!」
まずもって僕のでっちあげがかなり苦しいものだったし、ひなのちゃんの返答もかなり不安なものだったが、最後のとりあえず誤魔化そうとしたひなのちゃんの笑顔が良かったらしい。宇賀さんは胸をときめかせた様子で、特に疑問は抱いてないようだ。
「いやいやそんな……」
あはは、と笑って謎の遠慮をしているひなのちゃんは、やっぱりちょっと変なところで大人びている。見ていると、ふと目があって、ひなのちゃんは何かに気づいて俄に慌てた。
「ゆーなりくんゆーなりくん! ごめん忘れてた! ん! 」
そういって差し出されたスプーンに山盛りのオムライス。どうやら最初の約束を覚えていたらしい。え、いいのかな。僕は自分で新しくスプーンをとって一口いただくつもりだったのだが。
「ほら! あーん! 」
「は、はいっ! 」
急かすように突き出された手と掛け声に、勢いでスプーンをぱくつく。口内いっぱいに柔らかい卵の甘みと、ソースの酸味、ケチャップの風味が広がる。目の前にはひなのちゃんのドヤ顔が広がる。美味しい。可愛い……。
「おいしい!? 」
「おいしい……れす」
「ちょ! ずるいずるい! ひなのちゃん私にもあーんやって~お願いっ! 」
そう言って両手を合わせる宇賀さんに、オムライスが山盛りのスプーンが従順に差し出される。すぐにそれは宇賀さんの大きく開けた口に飲み込まれていった。……ていうかこの人、ウェイトレスだよね……?
「おいひ~! 流石うちのシェフ!流石ひなのちゃん! 」
宇賀さんは、はにかむひなのちゃんに抱きついている。遠くの厨房の方では、白髪のコック帽を被った老人がシラミを潰したような顔をしてこちらを見ている。この人、そろそろお叱りが飛んでくるんじゃなかろうか。というか、ふんわりと優しくて、明るくて、こんな僕にも話してくれて、割りと天使みたいだった宇賀さんのイメージが崩壊していく。
あ、そういえばたった一つのスプーンだ。物凄く気持ちの悪い言い方をしてしまうが、ともすれば僕はここにいる可愛い幼女と、おっとり美人と唾液が……。ふへへ。店に入った当初は、周りへの劣等感に押し潰されそうだったが、今の僕は周囲に劣らず幸福者なのでは?
「るいちゃん!!いい加減ちゃんと仕事して!!もう!!」
「ひゃ、ひゃい! ごめんなさい! 」
とうとう雷が飛んで来たらしい。先輩は少しペコペコすると、光の速さで厨房へ消えていった。