第八話 眠りの薔薇にも静かなひと時を 後編
「本当に誰も来ないんですね……私こんな静かなスリーピーローズは初めてです」
ユノにもらったはちみつジュースを一口飲みながら辺りを見回してリリアが言う。リリアとメルが入ってきてから結構時間が経つが、それでも誰一人やって来なかった。
「それはそうよ。雨の日なんだしわざわざ来てくれるのなんてアンタたちくらい……そういえばよく来たわね? この砂を渡しに来るだけなら雨の止んだ日でよかったのに」
ユノがそんなことを言う。確かに、リリアの作った新しい魔道具を知らなければ、それはもっともな疑問だろう。ユノの言葉を受けるとリリアは人差し指を立てて得意げな顔をしながら答えた。
「それがですね。私たちには秘密兵器がありまして」
「秘密兵器?」
「はい」
リリアはニヤリと笑って自分のポケットをまさぐる。が、いつまでたってもまさぐったままだ。次第にリリアの顔から得意げな表情が消えていく。
「あれっ、あれれ?」
そのうち、リリアの顔に新しく疑問の表情が追加された。その様子を見てメルが一言。
「シズクバライなら店に置いてきただろう」
「あ……」
どうやらリリアは、ユノにシズクバライを見せようと思っていたらしい。だが、正体不明の砂を渡す目的はあってもシズクバライを見せびらかす目的はなかった。店に置いてきてしまって当たり前ではある。
「これはやってしまいました。でもユノちゃん、私たちは秘密兵器を持ってるんです!」
「え、ええ。わかったわ、わかったから落ち着いて」
リリアが身を乗り出して主張してきたため、ユノは引き気味にリリアを落ち着かせる。すると流石は幼馴染といったところか。リリアはすぐに落ち着いた。
「で、その秘密兵器っていうのはなんなのよ?」
「ああはい、新しく作った魔道具です。その名は」
「シズクバライだ」
リリアが言葉をためて満を持して名前を言おうとしたところで、メルに持って行かれた。
「うわーメルさん! どうして私のカッコいいところを持っていくんですか!」
「名付け親は私だろう」
「うっ……それを言われたら……確かに」
ガクリとリリアがうな垂れたところを見ると、どうやらこの話に決着が着いたようだ。ずいぶんな短期決戦だったが、ユノはそれを感じ取ると口を開いた。
「秘密兵器はシズクバライっていうの? どういう効果?」
「よくぞ聞いてくれました! シズクバライというのはですね……」
リリアはそこで言葉を止めてメルを見る。どうやらまたセリフを取られると思ったようだが、メルははちみつジュースを舐めるのに忙しい様子だった。それを見て安心した顔でリリアが続ける。
「シズクバライというのはですね、簡単に言ってしまえば雨を弾く魔法の粉でして。体にかけるとあら不思議、今日みたいな日でも外に出たって濡れたりしないんです」
「へえ、それはすごいじゃない! 飛ぶように売れるんじゃないのそれ?」
ユノは本気で感心していた。こんなことを普通にしてしまうから、この幼馴染は簡単には馬鹿にできない。
しかし当のリリアはというと、少し暗い顔をしていた。
「はい、私もできればたくさんの人たちにこの魔道具を知ってほしいんですけど……」
「何か問題が?」
「実はシズクバライには魔水を使うんです。それがどうもネックで」
「魔水って……精霊の力が溶け込んでる水だっけ?」
「はい。あれって結構貴重なんですよね。今日は試作品てことでホイホイ使っちゃったんですけど。だから量産が難しいかなーと」
うーんと唸ってリリアははちみつジュースを飲む。そしてまた唸る。だが、途中で断念したようだ。
「そこら辺はまた考えていきましょう」
一旦気持ちをリセットするために深呼吸をする。そして「そういえば」と口を開いた。
「ユノちゃんにプレゼントする予定の〈最強スパイス〉がもうちょっと時間がかかりそうなので待っててください」
「最強スパイス……? ああ、あのコウテイ茸とかいうのをつかった調味料のこと? ……もうちょっと名前どうにかならない?」
「え? カッコいいじゃないですか」
「私たちって生まれてからだから……もう十六年の付き合いになるのよね。なのに未だにアンタのカッコいいがわからないわ」
「えー……」
リリアはやたらに最強やら無敵やらの、強い言葉を使いたがる。きっとそういうのに憧れているのだろう。
「まあ、楽しみにはしてるけどいつでもいいわ。ゆっくり作って」
「はい、ありがとうございます」
リリアはそう言って笑うと、ユノの方をジッと見つめた。当然のことだがユノは戸惑う。
「な、なに?」
「今度はユノちゃんの話が聞きたいです」
そんな提案をしてきた。
「私の? あんまり面白い話はないわよ?」
「仕事の話でもいいですよ。つまらなくてもいいので」
「地味に失礼ねアンタ」
ジトッとリリアを睨んで指を顎に当てて考えるユノ。少しすると、何か思い当たることがあったようだ。
「あんまり面白くないんだけれど……最近危険なモンスターを相手にする依頼が増えてるのよね。多分、今いろんなモンスターの繁殖期だから危険性が増してるからだと思う」
「本当に面白くないですね」
「本当に失礼ね」
リリアの態度に文句を言いながらユノは続ける。
「で、アンタに相談なんだけどね、そんなモンスターを黙らせるような魔道具を作ってほしいのよ」
「ほう、リリアの適当な振りにうまく返したな」
「まあね」
メルの感心の言葉にウィンクしながら答えるユノ。リリアの扱いなら任せておけ、ということなのだろう。リリアは顎をテーブルの上に乗せて答えた。
「いいですよ〜。詳しく教えてくれたらそれに合わせた魔道具を作ります」
「ありがとう」
幼馴染間で静かな契約が交わされたとき、メルはなにやらカウンターの方で騒がしく人が動いているのが見えた。何かトラブルでもあったのだろう、これはもう帰ったほうがいいかもしれないとメルは感じた。リリアとユノも気づいたらしい。
「そろそろ行こうかリリア。ユノへの頼み事も済んだことだしな」
「え? あ、そうですね。帰りましょうか」
「ごめんなさいね、ああいうドタバタは結構あるのよ」
「気にするな」
そう言うとリリアとメルは出口に向かう。
「じゃあこれ、お父さんに聞いてみるわね」
「お願いします〜」
リリアが扉を開けると、まだ大雨が降っていた。今日はどうも止む気配はなさそうだ。
しかしまだシズクバライの効果は残っている。
「では、さようならですユノちゃん」
「ええ、またね」
簡単な別れを済ますと、少女と猫は再び雨の街へと踏み出した。