第四話 買い物知らずの少年が知る黒猫の秘密
チリン、と静かに〈おひさま〉の扉につけてあったベルが鳴る。入ってきたのはこの間の冒険者の少年、ノエルだった。
まだ、太陽が頭の上に登らない時間。店主の気分で開店時間が変わるこの魔道具店は、珍しく早い時間から営業していた。
ベルの音を聞いて、店の裏から店主がやってくる。
「あ、ノエルくんじゃないですか! おはようございます」
「うん! おはようリリ姉」
そう言ってノエルはリリアに近づいていく。対してリリアはノエルの言葉を聞いてカウンターで硬直してしまった。
「リリ姉……それはもしかしてもしかすると私の事でしょうか?」
「うん、そうだけど……嫌だった?」
途端、リリアはカウンターから飛び出すと、ギュッとノエルの手を握った。
「え?」
「リリ姉……すっごく良いです! 私本当にノエルくんのお姉ちゃんになった気分です!」
「ほんと!? ボクもリリ姉みたいなお姉ちゃんがいたら良かったなー」
「大丈夫です! 私はもうノエルくんのお姉ちゃんになりましたよ!」
「あはは! やったー!」
手を合わせて店の中をクルクルと回りながら跳びはねる二人。現在外出中のメルがいたらこの光景を何と言うだろうか。もっともそんな予想をしたところで、メルはノエルの前では普通の猫として振る舞っているため、しゃべりはしないだろうが。
一通り踊り終わったところで、疲れたのか二人してゼェゼェと息を吐く。良くも悪くもこの二人は感性が近いのだろう。リリアは一旦息を整えると「そうでした」と言ってノエルに向き合う。
「今日はどうされたんですか?」
「今日はね、暇だったから来ただけなんだけど……ダメだったかな?」
「いえいえ。まだお客さんも来ていませんし全然構いませんよ」
リリアはそう言って笑う。普段こんなに気軽に来てくれる人もあまり多くはないので嬉しいのだろう。
「ああそういえば……この前作ったツバキザクラは役に立ちましたか?」
「うん! あれすごいね、一口飲んだら元気いっぱいになってさ、かすり傷とかだんだん消えていくし」
「それがあの薬の効果ですから」
へぇ、と相槌を打って、ノエルは近くにあったボトルに入っている薬品を手に取った。
「この回復用ポーションってやつはもっとすごいの? ちょっと高いけど」
「そうですね〜……それは私が作ったのじゃなくて王都が量産しているものなので手放しに褒めたくないんですけど、すごいですよ。傷に塗れば一瞬で塞がりますし」
「すごっ」
ノエルはそれを聞き、商品が傷つかないようにそっと元にあった場所にそれを戻す。
「でも私だって回復用ポーションよりすごい薬作れちゃいますけどね」
「おー! すごいリリ姉!」
「えっへん!」
リリアは誇らしげに胸を張る。彼女は決して誇張はしていない。初めてできた弟のような存在に、自慢したいという気持ちが無かったわけではないだろうが、それでも大抵の薬は作れてしまうのがリリアだ。
「そうだ、もしツバキザクラの残りが少なくなってたなら補充しますよ。すぐにできますけど」
「あーうん、大丈夫、まだある」
ノエルは自分のポケットからツバキザクラが入っている小瓶を取り出す。まだほとんど中身は残っていた。
「よかったです。減ってないということは怪我も少なかったということですしね」
「あはは」
リリ姉が言ってた中毒が怖くて1口しか飲んでない、なんてことは、ノエルは口が裂けても言えなかった。少年と言えども彼は一人の男である。守るべきプライドというものがあるのだ。
誤魔化すようにノエルは次の話題を探す。
「ねえリリ姉、今日は黒いニャンちゃんはどうしたの?」
「ニャンちゃん? ……ああ、メルさんのことでしょうか。メルさんなら今お使いに行ってもらってます」
「メルちゃんていうんだねー。猫なのにお使いできるんだ」
「メルさんは頭が良いですし、お使いなんて簡単にできちゃいますよ」
リリアがそこまで言った後、タイミングよく再びベルの音とともに扉がゆっくりと開く。噂をすればなんとやら、入ってきたのはメルだった。
「戻ったぞ。しっかりと品は渡してきた。ほれ、受領書だ──」
メルのリリアへの報告はそこで止まる。口にくわえていた受領書も落としてしまった。
理由は簡単、ノエルが店内にいることに気づいたからだ。前回彼が来店していた時は普通の猫として振舞っていたのに、今はしっかりしゃべってしまった。
ノエルはメルをじっと見つめる。メルも目をそらせないでいた。
なんとも言えない不思議な空気が〈おひさま〉を包み込む。そんな中、ノエルがおそるおそる口を開いた。
「今……メルちゃんしゃべったよね?」
「しゃ……しゃべっていない」
「しゃべった!」
「っ……! にゃ、にゃ〜」
メルがそんな、血迷ったような声を出したその瞬間、リリアがやられた。
「ぷっ……メ、メルさんが、にゃ〜って、にゃ〜って、……ふふっ」
「はっ倒すぞリリア!」
「またしゃべった!」
「お前もうるさいわ坊主! しゃべる猫がいて何がおかしい!」
だいぶおかしいとは思うが、メルのそんな逆ギレで一旦この場は収まった。
「メルさんはですね、しゃべる猫さんなんです」
ここまで来たら話すしかないと考えたのだろうか。リリアはノエルに向かって話し始めた。
「なんでしゃべるの?」
「なんで? ええと、ちょっと私がやらかしてしまいまして」
「やらかし?」
「はい。メルさんがしゃべる猫さんになったのは私の責任でもあるのです」
えへへ、と頬を掻くリリアを、メルは何も言わずに黙って見ていた。だが、しばらくして口を開く。
「なんにせよお前に言うつもりはないぞ坊主。私は猫だがしゃべる、それさえ理解していればいい。それとこの事はあまり他言するなよ」
「ボクは坊主じゃなくてノエルだよメルちゃん」
「ふん、一丁前に。……まあ良い、だがノエル、私をメルちゃんとは呼ぶな」
「いいじゃないですか。可愛くて素敵ですよ」
少しからかい気味に言ってくるリリアをメルは無視する。あとでこいつは存分に痛めつけてやろう、と自分の心に刻みながら。
「じゃあなんて呼べばいいの?」
ノエルが質問する。
「そうだな、様をつけると良いのではないか」
「なるほど! わかったよメル様!」
そう元気に言うノエルを見ると、メルは、実は冗談だと言えなくなってしまった。
そんなメルを他所に、突如スリーピーローズにある鐘が力強くなる。正午を知らせる鐘だ。鐘の音は街全体に響き渡る。当然〈おひさま〉にも音は届くわけだ。
ノエルは鐘の音が聞こえると突然慌てだした。
「やばいこんな時間だ! ボクもう帰るねリリ姉、メル様!」
ノエルはまだ小さい。昼までには帰ってくるように親に言われていたのかもしれない。彼は簡単な別れをそれだけ言うと、慌ただしく店を出て行った。
その様子をメルはジッと見て、やがて口を開く。
「見たところ何か買っていったようではなかったが……あの坊主は一体何をしにきたんだ?」
「遊びに来たみたいですよ」
「おいおい……ここは託児所じゃないぞ」
「まあまあ良いじゃないですか」
リリアは笑ってカウンターに戻り、メルはしかめっ面でカウンターの上に座る。
「さあ今日も頑張りますよ〜!」
リリアは腕をまくって気合を入れる。アクスベリー魔道具店〈おひさま〉は、今日も通常営業だ。