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翔龍機神ゴーライガー  作者: 石田 昌行
第六話:事件記者久美子・二十三才
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事件記者久美子・二十三才6-2

「これからあたし、どうすればいいんだろう……」

 写真週刊誌の専属記者である小山内久美子は、今宵もまた自室で眠れない夜を過ごしていた。

 上はTシャツ、下はインナーという人前にはとても晒せないような格好のまま、ベッドに寝そべりのたうち回る。

 独り暮らしのアパートの一室。

 1DKの間取りを持つその空間は、お世辞にも片付いているとは言えなかった。

 脱ぎっぱなしの洋服や積み重ねられた雑誌、中身があふれたゴミ箱やカップラーメンの空き容器などが、部屋の各所で雑然とその醜態を見せつけている。

 清潔感溢れる女性の私室に幻想を抱く者であれば、この現実を目の当たりにして、あるいは言葉を失ってしまったかもしれない。

 やがて彼女は観念し、どさっと仰向けに身体を投げ出す。

 女性らしい恥じらいは、その素振りからはうかがえなかった。

 両手を頭の後ろに回しつつ、呆然と天井を眺め始める。

 そこに貼ってあったものは、A1サイズのポスターだった。

 それも一枚や二枚という数ではない。

 複数のポスターが、文字どおり部屋の天井を隙間なく埋め尽くしていた。

 カーテン越しに差し込んでくる街灯の灯りだけでは判然としないが、どうやらそれは特定の個人を写したもののようだ。

 ゲームか何かのキャラクターなのだろうか。

 身にまとった黄金色の衣装だけが、薄暗がりのなか、じっとその存在感を主張していた。

 急にがばっと上体を起こした久美子が、枕元にあったリモコンで室内灯のスイッチを入れた。

 天井灯に光が宿り、暗がりに隠されていたリビングの詳細が明らかとなる。

 それは、なんとも形容のしがたい風景であった。

 至るところに掲示してある大小のポスター。それらすべては、特撮系ヒーロー番組に関するそれであった。

 しかもその内訳は、近年とみにその数を増やしてきたイケメン俳優の登竜門的作品ばかりではない。

 久美子がこの世に生を受けるより前に放映されていた番組のそれも、少ないながら散見される。

 その全体像をひと言で評するなら、実にマニアックな品揃えであると断言できるほどだった。

 ことここに至っては、改めて言い切るまでもあるまい。

 そう──彼女は、いわゆる「ヒーローオタク」の類いだったのである!

 よく見ると部屋の各所には、それらしい天然色のフィギュアたちがあたかも魔除けのごとくに配されていた。

 壁掛けハンガーに吊されているいくつかの衣装も、その手の番組で活躍するヒーロー・ヒロインらが身に着けているもののレプリカだ。

 それも、どうやらそれらの大半が久美子自身の手製の品であるようだった。

 片隅に集められた裁縫道具や縫いかけの生地、パーティングライン消しの耐水ペーパーなどが、その程度のほどを見事なまでに証明している。

 久美子がこの冥府魔道に足を踏み入れたのは、いまからおよそ十五年前。

 彼女がまだ小学生だった時分のことであった。

 きっかけは、構えて言うほど大したレベルのものではない。

 両親に連れられてやってきた地元の祭のイベントで、子供向けのアトラクションにさらわれ役として参加してしまったことがそれに当たる。

 観客席に乱入してきた悪役が子供たちをステージ上に拉致し、さっそうと登場した正義の味方がそれを救う、という展開の極々ありふれたヒーローショー。

 だが純真な少女だった久美子は、あろうことか、そこで変身ヒーローへの憧れという修羅の道に開眼した。

 開眼してしまった!

 小中高大と学年を重ねてもなお、そうした彼女の嗜好は一向に収まらなかった。

 私生活上の就職先でさえ、「ヒーローと親和性が高い」などというとんでもない理由から報道の現場を選択するというていたらくであった。

 それは、事実を知った友人知人、両親親戚らも一斉にさじを投げるほどの暴挙であった。

 つまるところ、その時点での彼女にとって、いち社会人としての「小山内久美子」という存在は、単なるコスプレにしか過ぎなかったというわけだ。

 無論、人並みの知性を備えているいまの久美子は、そうした自分のこれまでが、いわば「人生の楽しみのひとつ」であったことを十分以上に認識していた。

 特撮番組に登場するようなヒーロー・ヒロインなど実際にはいない。

 自分がそんな存在に憧れ続けているのは、その妄想に浸っていることでつまらない現実との折り合いを付けているだけなんだ、ということも誰に言われるまでもなく理解していた。

 いいじゃない。

 誰がどんな空想遊びを楽しんでたって。

 周囲から説教臭いお小言をもらうたび、久美子はそう言って皆に反論してきた。

 それは彼女の本音であったし、同時におのれの生き方に対する理論武装のひとつでもあった。

 だが先日、その危ういバランスが崩れる事態が発生した。

 場所は、N県N市にある水神山。

 近隣で起きた猛獣の脱走事件を取材するため同地を訪れた彼女は、そこで信じられない現実と遭遇を果たしたのだった。

 この世のものとも思えない異形の怪物に、単身立ち向かう凜々しい青年。

 年は自分より少し上といったところだろうか。

 長身痩躯のその身体が、流れるように地を駆ける。

 美しい。

 思わず見惚れるほどだった。

 そしていつしか青年は、黄金こがねの鎧を身にまとう。

 突如として出現した夢の中の住人。

 魔物と戦う黄金の騎士。

 反射的にシャッターを切り、その眩しい姿をカメラに収めた。

 何枚も何枚も──…

 何枚も何枚も──…

 何枚も何枚も──…

 そして、そんな彼がおのれの抱き続けてきた憧れの対象それそのものであったことに気付いたのは、転がるように現場から直帰した、まさにその瞬間の出来事だった。

 あたしッ、あたしッ、あたしッ……とんでもない現場に居合わせちゃったッッ!!!

 混乱が一気に脳内を支配する。

 データファイルに移し込んだ映像を、いくつか吟味してA1サイズに拡大印刷。

 ふと我に返った時には、自室の天井にそれらを所狭しと貼り付けていた。

 そう。

 ベッドに寝転ぶ久美子が眺めていた天井のポスター群は、なんと彼女自身が水神山で撮影してきたあの青年の勇姿だったのである。

「いったい誰なのよ、あなた?」

 これまで幾度口にしてきたかわからない言葉を、彼女はふたたび独り言つ。

「突然ひとの目の前に現れてきてさ……責任取ってくれるんでしょうね」

 結局その夜、久美子は大して眠れなかった。

 せいぜい、浅い眠りが三、四時間といったところだろうか。

 正直言って、寝不足もいいところの話だった。

 しかも、そんな夜はあの日以来延々と継続しているのだ。

 仕事にも私生活にも、悪影響が出ること請け合いの状況だった。

 それでもやがて朝が来て、意味を成さない目覚まし音が彼女の私室に鳴り響いた。

「小山内。おめェ、なんか俺らに言うことあるんじゃねェのか?」

 その日、編集長の斉藤は、出社してきた彼女をいつもの口調で問い詰めた。

 目の下にクマまで作った部下を見て、さすがに放っておけなくなったようだ。

 上司としての管理義務が脳裏をよぎったこともあったのだろう。

 深刻そうに、声を潜めて言葉を続ける。

「水神山の取材で、いってェ何があったんだ? テロリストの一団と出くわしたってのは警察から聞いたがよォ、その有様を見る限り、それだけじゃねェんだろ? おめェ、一体全体、俺らに何隠してやがる?」

「やだなァ、編集長。買い被りすぎですってば」

 あはは、と笑って久美子は応えた。

 あからさまな誤魔化し笑いだった。

 理由は自分でもわからなかったが、彼女は咄嗟に真実の吐露を拒んだ。

 ここですべてをぶちまけてしまえば現状の打破に繋がることは明白だったが、なぜだかそうする気にならなかったからだ。

 深々とため息を吐いた斉藤が「おめェ、今日はもう帰れ」と久美子に帰宅を命じたのは、それからすぐのことだった。

「そんな辛気臭ェ面で仕事が捗るほど、この業界は甘くねェぜ。おめェもそんなことぐれェはよくわかってんだろうから、しばらく休んで英気養ってこい。上のほうには俺からなんとでも言っといてやる。いいか、小山内。次出社してくる時にはな、必ず前みてェな生意気面取り戻してくるんだぞ。わかったな!」

 久美子はその足で会社を出た。

 最寄りの駅で電車に乗り、そのまままっすぐ帰宅の途に就く。

 通勤の時間帯とはだいぶ離れていたせいか、座席には十分以上の空きがあった。

 そのうちのひとつに腰を下ろす。

 ボックスシートの窓側の席。

 それまで気にしたこともなかったあたりまえの街並みが、電車の進行に従って視界の中を流れて消える。

 唐突に睡魔が襲ってきたのはその時だった。

 ふと緊張のたがが緩んだ隙を、サンドマンの砂(眠りの精)が巧みに捉える。

 溜まっていた眠気が、たちまち臨界点を突破した。

 抵抗のしようなどどこにもなかった。

 どれぐらいの時間うとうとしていたのかはわからない。

 ただ気が付いた時、彼女はこれまで訪れたこともない駅のホームで、呆然と自嘲する自分自身を見出していた。

「あたしって、マジに莫迦?」

 そんな言葉が口からこぼれる。

 そこは、郊外にある比較的小さな駅であった。

 主な客は、通勤通学に使用する層なのだろう。

 無人駅というわけではないが、この時間帯における利用者の姿は随分とまばらだ。

 待合室にある時刻表を見ると、残念なことに次の電車が来るまでにはまだ三十分余の時間がかかる。

 仕方ない──それを知った久美子は、はァ、と大きくため息を吐いた。

 やけくそ気味に頭をかいて、次のアクションを決定する。

 彼女は思った。

 晩ご飯の買い出しでもして時間潰すか──…

 そんな久美子が向かった先は、駅前に立ち並ぶ個人商店の群れだった。

 八百屋、魚屋、パン屋に食堂。

 新しめの市街地では大手の企業に駆逐されて久しいそれらが、ここではいまだに活気を帯びて営まれている。

 今晩は何食べようかな。

 漠然と頭を巡らせ久美子は歩む。

 でも面倒なのは作る気にはなれないしなァ。

 カレー?

 飽きた。

 シチュー?

 芸がない。

 豚汁?

 そればっかかよ。

 う~ん、お手軽かつおなかもふくれて、でもって財布に優しい奴……

 そうだ、パスタにしよう!

 茹でて、炒めて、味付けは適当に!

 よし決めた!

 今日のディナーはパスタに決定!

 目標が定まると不思議と足取りも軽くなる。

 駅前の大通りを一直線に横切って、彼女は向かいの商店街へと直行した。

 直行しようとした。 

 一台のVIPセダンが久美子めがけて突進してきたのは、まさにその時のことだった!

 信号無視の暴走車両だ。

 コテコテにカスタマイズされたそれは、減速する素振りすら見せていない。

 ドライビングテクニックに過剰な自信があるものか、ドライバーはハンドル操作だけを用いて悲劇を回避しようとしているのだ。

 慣性に弄ばれた車体が、激しく音を立ててスラロームする。

 それは久美子にとって、完全無欠の奇襲だった。

 耳をつんざくスキール音に、その双眸が見開き固まる。

 息を飲むのが精一杯で、悲鳴を上げる暇さえなかった。

「ひッ!」

 運転席に座る若い男の、その派手目のなりまでわかる距離。

 およそ回避は不可能だった。

 身体が強ばり、足がすくむ。

 そんな彼女を、後ろから強引に引き寄せた手があった。

「危ないッ!」

 力強い救世主の手だった。

 その手のおかげで、久美子の身体は間一髪、VIPセダンとの衝突コースを免れた。

 眼前を猛スピードで通過していくそのクルマから、「気を付けろッッ!!」といった罵声が彼女めがけて投げ付けられる。

「気を付けるのはどっちのほうだ!」

 真後ろに倒れ込む久美子をその胸板で受け止めた人物が、鋭く批判の声を上げた。

「ああいうのが大手を振って歩いているから、社会の秩序が乱れるんだ! この国の治安機関も、少しは微罪の検挙に力を入れたほうがいいな。対処療法じゃ限界がある!」

 それは、若い男の声だった。

 言葉の芯に、強固な意志が漲っている。

 クリティカルポイントにいた久美子を救ったのは、紛れもなく彼だった。

 ひととおり憤ったあと、その若者は硬直したままの久美子に対し、「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」と丁寧な口調で確認を取った。

「だ、だ、大丈夫ですッ!」

 どもりながら久美子は応えた。言葉の端に震えが残る。

 だがそんなおのれを無理矢理飲み込み、彼女は、自らの恩人に向き直るべく身体を捻った。

「ありがとうございますッ! 危ないところを助けていただいて、ホント、感謝のしようもありま──」

 久美子の両目が改めて見開かれたのは、その瞬間の出来事だった。

 瞳に捉えた男性の姿が、彼女の脳髄を一撃する。

 その人物は、一見サラリーマン風の身形をした長身の若者だった。

 いかにもわざとらしい黒縁眼鏡に質素な背広。

 今風のお洒落とはまったく縁遠いファッションスタイルだが、その凜々しい見映えが醸し出す佇まいは、紛れもなく雰囲気イケメンの持つそれだ。

 久美子は、その男性に見覚えがあった。

 いや、もはや見覚えがあったというレベルに収まらない。

 それは、ある日を境に彼女が毎夜悶々とさせられてきた悩ましい青年、その立ち姿にこそほかならなかった。

そう、いま久美子の目の前に立つその男性は、過日、水神山で怪物どもを相手に大立ち回りを繰り広げた、あの黄金の騎士そのひとに間違いなかったのである!

「ひゃァァッ!!!」

 間を置かず、彼女の口から奇声が飛んだ。

 左右の腕をランダムに振り回し、大げさな仕草で後退る。

 しどろもどろになって彼女は叫んだ。

「あ、あ、あなたは、あの時のッッッ!!!」

「はァ?」

 仰天のあまり、怪しいポーズを取ったままその場で固まる久美子に向かって、青年はいかにも怪訝そうな眼差しを送った。

「失礼ですが、あなたと僕は、どこかでお会いしたことがありましたっけ?」

「み、水神山で一度ッ!」

 舌を噛みながら彼女は答える。

「あの現場に、実はあたしもいたんですッ!」

「ああ、そうなんですか」

 しかし青年の口振りは、極々平然としたものだった。

 魔獣と戦う自分の姿を見られてしまったことに対する驚きとか動揺、それらに類する感情は、そこに欠片も見られなかった。

 まるでどこかのイベントで相席していたのを告げられたかのような、せいぜいそんな反応だ。

 小首をかしげて彼は呟く。

「言われてみれば、あそこにいた方々の中に女性の姿もあったような──」

「それッ、それッ、それ、あたしですッ!」

 興奮気味に久美子は応えた。

 無意識のうちに湧き起こる熱い想いが、彼女の胸中で急上昇のカーブを描く。

 食い下がるようにして久美子は続けた。

「あたし、小山内久美子って言いますッ! 『週刊スマッシュ』って雑誌で、カメラマン兼記者やってますッ! あの時は、命を救っていただいて本当にありがとうございましたッ! こ、今回のことも合わせて何かお礼がしたいんですけどッ、よ、よ、よろしかったら、お名前を教えてくださいませんかッ!?」

「いえいえ、お礼なんてもったいない。僕は、自分のやるべきことをやっただけですから」

 迫る彼女を掌で躱しながら、青年はやんわりした口調で久美子に告げた。

「小山内さん、でしたっけ。僕の名前は轟雷牙。いまは、セントジョージ女学院って学校で臨時講師の仕事をしてます」

「学校の先生なんですかッ!?」

 ショルダーバッグから素早くメモ帳を取り出し、久美子はペンを走らせた。

 耳にした情報をすかさず記録しようとするそのリアクションは、記者としての彼女が備えたある種の本能なのだろうか。

 その口元が、いかにも怪しく変化する。

 ただそれは、いち報道人の見せる面構えというよりは、重度の趣味人がときおり剥き出しにするそれのほうに近かった。

 「これは……ますます、アリね」と、その唇がなんとも不穏な台詞を紡ぐ。

 続けざま、その雷牙と名乗った青年に向かって彼女は尋ねた。

「あの、轟さん。ひとつ私的なお願いがあるんですけど、よろしいでしょうか?」

 「ええ、まあ、僕のできる範疇であるのならば」という彼の返事を聞くが早いか、久美子は「あなたにしかできないことですッ!」と天にも届く勢いで言い切った。

 その甲高い叫びに、道行く一般市民たちが「何事か?」とばかりに視線を向ける。

 あるいは普通の女性なら、その状況にいささかの羞恥を感じてしまったかもしれない。

 しかし久美子はそんな目線を一顧だにせず、眼前の青年に向け滾る思いを叩き付ける。

 あたかもそれが、持って生まれたさだめででもあるかのように。

 一度大きく息を飲み、呼吸を整え彼女は告げた。

「あなたのこと、ぜひあたしに取材させてくれませんかッ!?」

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