一話
燦々と輝く太陽の下、私は何処かの屋上に立っています。
時折吹き抜ける風がとても心地良く、その風からは微かながらではありますが潮の匂いが感じられます。
それもその筈で、地平線の先へ目を向けると、そこには陽光を浴びて青い輝きを放つ広大な海が広がっておりました。
初めて体験する潮風の匂いは、遠い過去に置き去りにしてしまった青春の匂いとよく似ており、ふと気付くと私は涙しておりました。
思い起こせば、涙など随分流していなかったような気がします。泣いた事があるのかどうかすら、定かではありません。
涙とはとても塩辛い味がするのですね。
海と同じ味がする涙。
私たち人類の祖先、いや生きとし生ける全ての生命は海から生まれたと伝えられています。私たち人類が流す涙が塩辛いのは、それ故なのかもしれませんね。どれだけ時間が流れようとも、生命全ての母である海を決して忘れることのないように…
「ぐすん…涙が止まらないでござるよ、作者殿」
『またお前かぁぁあぁぁあぁ!!!』
何処からともなく作者殿の怒鳴り声が聞こえ、涙がしゅんと引っ込んでしまいました。
折角、郷愁に浸っていたというのに、実に空気を読めない作者殿です。『だから友達が少ないんだ、お前は』と心の中で作者殿に対して辛辣な台詞を吐いたところで、恒例になりつつある自己紹介をしたいと思います。
え? もう知ってる?
私も随分人気者になったものですね。
そう、何を隠そう、私は作者殿にこき使われる宿命を背負い生み出された語り部、俺氏でございます!
さて前置きが長くなり過ぎるのはあまり褒められた事ではないので、さっさと本編を語っていく事にしましょう。
また怒鳴られるのも嫌ですし…
冒頭でも述べたように、ここは何処かの建物の屋上です。広々とした開放的な空間が広がっています。
ガチャリと音がした方にもを向けると、どうやら何者かが扉を開けて屋上に入ってきたようです。
手には焼きそばパンと炭酸飲料を持ち、着用している衣服は黒いブレザー、そして縞模様が入ったネクタイ。ワイシャツの第二ボタンまで開けていることから推察するに、彼は不良生徒なのかもしれません。
ここで分かった事が一つ。
どうやら、ここは学校のようです。
大人びた彼の姿から推察するに、高等学校かもしれませんね。
そして何を隠そう、彼こそが今回の小説の主人公君、赤間君なのです。
屋上にいるのは赤間君ただ一人。
おそらく今はお昼休みではないのでしょう。
赤間君はサボタージュをしているのですね、分かります。私も学生の頃はよく授業を抜け出して、活気ある街に一人繰り出したものです。
赤間君はフェンスに寄りかかると、ブレザーの内ポケットから煙草を取り出しました。
これは…! 大人として少年が非行に手を染めようとしているのを、ただ黙って見ている事など出来ません。私は赤間君目掛け、まるでスペインの闘牛さながらの勢いでダッシュします。
ーー今起こった事をありのまま話すぜ。
空から拳骨が落ちて来ました。
これは妄想や比喩などではなく、紛れもない現実です。直径一メートルはあると思われる握り拳が私の頭に降ってきたのです。
何故こうなったのかは私自身よく分かっているんです。私は一語り部でしかなく、この物語に直接干渉してはならない。
絶対的でいて不変のルール。
私はコンクリの床に伏したまま、赤間君が煙草を吹かしている姿を見ている事しか出来ない。語り部とは常に孤独な存在なのです。
早々に一本目の煙草を片付け、二本目に火を点けようとしたその時、赤間君が屋上に現れた時と同じようにガチャリとした音が辺りに響き渡りました。
扉の先に立っていたのは、黒いレディースもののスーツで身を固めたセクシー教師こと、黒沢先生でした。
コツコツとヒールの音を立てながら、赤間君の元へ歩み寄って行きます。
赤間君の眼前に仁王立ちで立つ黒沢先生の瞳には、何やら不吉な色が浮かんでいるように思われ、兎にも角にも赤間君大ピンチです。
「何かようですか、先生?」
赤間君、物怖じすることなく不遜な態度で黒沢先生を睨みつけます。
「そう睨まないで下さい、赤間君。先生、怖いです…」
男心をキュンキュン締め付けるような台詞を吐きつつ、極自然と言うようにヤンキー座りの体勢に移行した黒沢先生が次に放った言葉を聞いて、私は愕然としてしまいました。
「あぁかったりぃ、授業。抜け出してきちゃった(テヘ)」
これが俗に言うテヘペロなのですね。私初めて拝見しました。あまり可愛くないですね。
「とりあえずさ、一本頂戴よ」
「それでも教師かよ、せんせい…」
赤間君が苦笑交じりにそう言って、煙草を一本、黒沢先生に渡します。
「サンキュ、赤間君」
ルージュが塗られた艶かしい唇に煙草を挟み、「火点けて、火」と赤間君に注文を出します。
「俺は先生の召使いじゃないんですけどねぇ」と悪態をつきながらも内ポケットから百円ライターを取り出し、黒沢先生の唇へライターを近付けます。う、羨ましい…
シュボっと言う音の後、葉っぱが燃える音と共に一筋の紫煙が青空に向かって立ち上ります。
「相変わらず軽い煙草吸ってんのね、赤間君は。と言うか、夏休み明け初日からサボりなんて、ホント先が思いやられるわ」
「先生には言われたくありませんよ」
先程中断を余儀無くされた二本目の煙草に火を点け、空に向かって紫煙を吐き出す赤間君の姿は、とても大人ぶっているように見えます。実に微笑ましい光景です。
生徒と教師の吐く紫煙は青空で溶け合い、霧散して行きます。
先に吸い終わった黒沢先生が煙草をヒールの爪先で揉み消し、立ち上がります。
「ありがとね、赤間君。私は戻るから、あんたも、頃合いを見て戻りなさいよ? 」
「わかってますよ。もう一本吸ったら戻ります」
「よろしい」
黒沢先生が校舎内へ戻ったあと、赤間君は三本目の煙草へ火を点けました。
紫煙に包まれながら、彼は思います。
「ホント、めんどくせぇなぁ」




