秘メ事アリ Part3
帰り道。日の暮れた小道を、芹沢と帆村が並んで歩く。
「しっかし、よく分かんない事件だったな。ケイは勝手に突っ走るし、先に帰ってろって言うしで、何が何だかさっぱりだよ」
「そうね……」
芹沢は浮かない顔をしている。それもこれも、数時間前の紅納の裏取引を見ていたからであった。
○
遡ること数時間――それは、紅納が生徒会室で啖呵を切る前の事になる。紅納を探していた芹沢は、偶然彼が屋上に居るのを見つけたのであった。
「別に、俺自身はあなたを疑ってかかっているわけではありません。ただ、あの場所にいた三人の内の一人であるあなたに、話が聞きたかったんです」
「……」
「ああ、あなたがあの場に居たことは何となくピンと来ましたよ。犯人でなければ知り得ないことを、漏らしてくれていましたからね」
芹沢は、その会話の相手を見ようと何とか試行錯誤する。それを余所に、紅納はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「あなたは、あの昇降口での押し問答の折に言ってましたよね。『そこにあったヒモをくくりつけて』って」
その言葉で、芹沢は固まった。
――覚えている。これを誰が言ったのか、私は覚えている。
そんなまさか、と彼女の中で心臓が早鐘を打つ。
「確かに、後で俺たちが屋上を探したところ、そのヒモの元となった束を見つけることが出来ましたが……それはその騒ぎの後でした。四方山会長も見落としたのでしょう、そのヒモが屋上にあったものだとは言っていなかった。それなのに、【そこにあった】という表現を用いたのが引っかかったんですよ――加賀弓羽副会長」
サッ、と雲の切れ間から差した光が屋上全体を――加賀弓羽の姿を照らす。芹沢は絶句した。
「揚げ足を取った程度で、私を犯人扱いする気? それにそもそも私が里緒と真霧を殺す理由が何処にあるのよ、馬鹿馬鹿しい!」
加賀の態度にも、紅納は物怖じ一つしない。
「動機はさておき、です。俺は探偵でも、ましてや刑事でもないので」
紅納はそのまま続ける。
「恐らくはあの事件現場で、あの屋上付近にはあなたが、そして階下には両部長が居た。何らかの理由で、登ってきた二人を突き飛ばすなり二人が足を滑らせるなりして、事態は起きてしまった。あなたは慌てて、自分に疑いの目が向くのを逸らすために、架空の見えざる犯人を作り出した」
犯人の悪意認定の件は、後に紅納が生徒会室で説明したとおりだった。
「何? まるで見てきたかのようにヘラヘラと。大体、私はあの時体育館に居たんだから、あんな遠く離れた所を行ったり来たり出来る余裕があると思う?」
美芹が内心、ケイ頑張れとエールを送り出そうと思った矢先、紅納は何故か言葉を濁してしまう。
「まぁ……そこなんですよね、今回の謎は」
「まさかあなた、本当に推測だけで私を犯人に仕立て上げようって魂胆だったワケ?」
まさかそんな、と紅納は付け加えてから話し出す。
「ここと体育館は一階でしか繋がっていないから、どうしても上り下りが必要になる。両方を行き来するには、どう頑張っても五分は掛かってしまう。今回、犯人はヒモを用いて事態をややこしくしていたのだから、時間は余計に掛かっているはずです。ですがそのあなた自身に割と簡潔であれアリバイがある。これは大きな問題でした」
「そ、そうよ! それが立証できない限り、私を犯人扱いなんて出来ないわ!」
「俺なりにかなりの方法を考えましたが、どんな高度な逃走方法やアリバイ工作であれ、この突発的且つ杜撰な犯行には全く以て合わない。平たく言えば、落ちていたパズルのピースを何処にはめるか試行錯誤しても一向に分からないのは、そもそもそれが自分の所持していないパズルのものだったからだという話です。ですから――これはミステリーの観点からしてもぶっ飛んでいるのですが――、ここはこの方法をブラック・ボックスという事に出来ませんか」
はぁ? と加賀が言うのも無理はない。その時芹沢も彼女と同じ表情をしていた。
「つまり僕が、ここであなたがブラックボックスを用いたという証拠を出すことが出来れば、箱の中身には関与せずともあなたの犯行を立証できるという事です」
「納得いかないわ。ブラックボックスって、何よ、具体的に言ってみなさいよ」
「――超能力」
ピク、とそこでようやく加賀の表情が固まった。
「平たく言えば瞬間移動の類じゃないですか。都合がいい感じだと」
ともかくも、と紅納は話題を元に戻す。
「一番都合がいいのはそうでしょうが、他にも上り下りの時間を短縮できる壁抜けや重力操作、等も候補に挙がりますね。ただ、ピッタリと当てはまるのがそれだというだけです」
加賀は一瞬視線を下げる。
「さてその肝心な証拠ですが、実は思い当たる節が一つだけ。何となく分かってるでしょう、自分でミスをしたと」
「……ミス、ですって……?」
「順番です」
紅納が事件発生当時、階段を上るときに体育館に居た生徒会メンバーは彼より後ろに居たのを確認している。
「だのに、事件現場に着いたときあなたは運ばれる二人に寄り添っていた――という事は、あなたは生徒会メンバーよりも、尚且つ僕よりも現場に早く着いていたことになる」
「そ、そんなのこじつけよ! 私はその時本校舎のトイレに行ってて、たまたまその話を聞いて――」
「体育館にもトイレはあります。それにトイレに居たとなれば少なくとも一階よりは上に居ないと、音は耳に入りませんよね? ともすれば、何故そんな場所に行く必要が?」
「……ふと、展示を見に行きたくなったのよ」
「いくら生徒会メンバーでも出ずっぱりではないでしょう、いくらかは暇が設けられているはずです。それに体育館での発表は二時半までで、後片付け開始までの時間を考慮しても二時間は猶予がある」
「そ、そもそも、私は二人の事が心配で……!」
「事件が起きていることも、二人が怪我をしていることも知らない状況に居たあなたが、何故二人が無事では済まないと?」
「――――――ッ!」
加賀は、完全に押し黙った。
紅納は軽く咳払いし、ポケットから一枚の写真を取り出す。
「そもそも、これであなたが犯人だったのは決定的でしたけどね」
それは、屋上の手すりに紐をしっかりと結んでいる彼女の姿を、部室棟の屋上から捉えた写真だった。
「これ、どこから――」
「俺のクラスの、函南蜜姫って奴です。彼女もあなたと同じようにちょっと一般人より毛が多く生えてるみたいで、他人に気付かれないように気配を消すのもお手の物、だそうですよ」
あの時――。紅納が事件の瞬間を見たとき、彼はもう一つ別の何かも見ていたのだ。それは、事件の一部始終を涼しげな顔で眺めている、函南蜜姫の姿であった。
「丸見えでしょう? 何処までもしらを切り通すならこれを出すつもりでしたけど、その必要も無いですね」
そう言うと、紅納は何処から取り出したのかライターでその写真に火をつけた。見る見るうちに写真は真っ黒な灰に変質し、風に飛ばされて消えてしまう。
「これでまた、あなたは何もしてないと言い張ることも出来ます。まぁ、そこら辺の裁量はお任せしますが」
「……事故なのよ、本当に」
「そうでしょうね。最近の高校生ならもっと捻った策を使うでしょう」
「いいわ、あなたにだけは話してあげる。この哀れな人外の起こした情けない話を」
加賀弓羽の能力は本当に瞬間移動だった。ただしその制約は自分の見たことのある場所のみであり、しかも今現在においても彼女はその能力を制御しきれないとの事だった。
「発動キーはなんとなく分かってる。『逃げたい』って強く思うと、もうその瞬間には違う場所に居たわ。移動してから戻る事が出来たり、移動先が近くだったらまだしも、急に実家のおじいちゃん家の前に居たときは肝を冷やしたわ」
普段からそのようだった彼女を、周りは奇人扱いした。
「だから、過去を全て捨てて私は青柳院に入ったの。そこで出来た初めての友達が、真霧だったわ」
当時から男性恐怖症であった彼女に男との縁などあるはずもなく、彼女が恋慕するのは女性に対してしか考えられなかったという。
「――だけど、世界は狭かった。私は真霧の正面ばっかり見ていて、彼女の後ろを見ることを怠ったの」
ひょっとしたらそれは、伊野真霧が加賀弓羽という友達に友達を紹介する感覚であったかもしれない。しかし、関係の希薄化、やがて訪れる断絶を恐れた彼女は――。
『――どうしてよ、真霧!』
『待って、加賀ちゃん!』
加賀はこの時屋上で、何もかもを伊野真霧に告白しようとしていた。自分の穢れた過去、そしてその元凶となった能力を。そしてその上で自分の本当の感情を告白しようとしていた。
そして伊野が階段を駆け上がった瞬間、彼女は足を滑らせ――。
「気がついたら、体育館に居たわ」
「――暴発したのか、また」
「ええ。でもすぐに、これじゃいけないって気付いた。次の瞬間には、また屋上に居たわ。そしてどうしようかと考えた結果、あんな事をした」
「結局、あなたは弱かった。素直に申し出て事情を説明すれば、状況はもっと改善の方向に向かってたはずなのに」
「そうしたら……! いずれ私のこの能力についても説明しなければならなくなる! そうしたら……二度と青柳院には戻れないわ! 過去に帰るのは、もう嫌なのよ!」
加賀は目に涙を浮かべていた。どれだけの重さの涙なのか、紅納には計り知れない。
「――その見積もりが甘いんだよ。世界が全部あなたの敵なはずがない、絶対に味方が居る。伊野だって、こっちの津上だって、あなたの味方になってくれる可能性は十分にあった」
だって――。あの交流演奏会の折、伊野真霧が指揮をする寸前、一番最後に微笑みかけたのは部員でもましてや津上でもなく、加賀の事だったのだから。
「……あなただって、この事を知っているからにはこちら側の人間なんでしょう?」
「はい。俺は……そうですね、こうやってあなたの能力を現在でも制限してる状態に出来る能力です」
看破、と函南は言っていた。他人の能力を指摘することで、発動を制限できる高度な能力だという。
紅納自身は自分の事をそういう人間だとあまり思った事がなかったから、新鮮だった。
「無自覚だったとは言いません。結局、ポジティブに考えられるかどうかです。もしダメでも、ポジティブに考える機会を与えてくれる人に出会うことが出来れば、きっとあなたみたいに素晴らしい力を持っていても尚苦しめられる人達を救う事が出来ると思うんです」
加賀は涙声で応える。
「無理よ。どうせ真霧も、あの津上さんも、きっと目覚めた途端に私の事を悪し様に言うわ。そして私は、また一人になるの」
「そうでしょうか。あなたが伊野さんと築いた日々は、そんな簡単に崩れるものだったのでしょうか?」
俺はもういいですね、と紅納は踵を返す。
「あなたに疑いの目が向かないように、津上さんには函南が先に手を回してくれてるそうです。函南もなかなか取っ付きづらい見た目ですけど、きっとあなたとも友達になってくれますよ」
「そう……ありがとう、名前は何だっけ?」
「一年の、紅納桂梨です」
†
「あら、紅納君」
芹沢が回想に耽っている同時刻。紅納は学校を出てすぐの場所で彼女を見つけた。
「函南。色々とありがとう、今回は」
「あの事なら、別にお礼を言われるほどのことでは。仲間に手を差し伸べるのは当然の処置ですから」
何となく、会話がぎこちない。
「それに、お礼は先ほど写真を渡したときに頂いたではないですか。紅納君……ひょっとして、私に何か言いたいことでもおありですか?」
それなんだけど、と行って紅納は制服のポケットをまさぐる。
「これさ」
それは、紅納の家に届いていた函南に注意せよと言う趣旨の切手も貼っていない手紙だった。
「奇妙な手紙ですね」
「――これ、送ったのお前だろ?」
紅納は、ビシッとそう言った。函南も函南で、表情一つ崩さない。
「あら、どういう意図でそうお思いに?」
「文字列は関係無くて、この背景の数字だ。『11 43 44 61 51 32 21 32 41 12』は『11』を『あ』とするベル打ちで書くと『あつてはなしかしたい』となる。『21』だけが濃いのは、これが濁音だからだろう? だから文は『あつてはなしがしたい』――『会って話がしたい』となる。じゃあ誰と? 考えるまでもない。ここに書いてある奴と、だ」
「ご明察。素晴らしい推理力ですね」
函南は手放しに褒めるが、紅納は冷めていた。
「経験則だよ」
「それで、具体的に話なんですが――近々、この街にある人が帰ってきます。その人に、会って欲しいんです」
「そいつも能力者なのか」
「ええ。しかも私や紅納君のように他者には無害な自発系能力とは対をなす、対象系能力の持ち主です。その彼女が探し求めていた人の条件に、あなたがピッタリ当てはまるのです」
若干紅納は話を聞きに来たことを後悔した。
「何だ、それ……。行ったらそのまま籍を入れる羽目になるとかそんな事は無いよな」
「それはない……と思います。ただかなり破天荒な人なので、完全に否定できないというのもありますが」
「そうかよ……じゃあ、俺はもう帰るぞ」
振り返った瞬間に、声をかけられる。
「待って下さい」
「……何だよ」
「彼女――加賀さんを救ってくれて、ありがとうございます。能力者は往々にして生きることを諦めてしまいがちです。それを一人でも救える、あなたにはその才能があると思います」
紅納は答えず、ただ手を振って誤魔化した。
――才能だなんて、買い被りすぎだ。
そういう彼の左手は、強く握りしめられていた。
○
「はい、こちら戸咲」
『――――――』
「ありがとう、今空港に着いたところだ。今日はここで一泊するから、早くてもそっちに着くのは明日の夜かな」
コートを抱え、白いシャツにズボンという出で立ちの長身の女が、サングラスを外しながらそう言って電話を切った。
彼女の名は戸咲彩歌。彼女は、誰かに向けてメールを打電する。
『裏木さん、お元気ですか。ついでに夜木も。
あなた達が居なくなってから早くも五年が経ちましたが、意外と早く後継者が見つかりました。
これは僥倖と呼ばざるを得ません。お返事お待ちしております
野々上咲』




