秘メ事アリ Part2
「あらゆる不可能を可能にするブラックボックスが、必要ですか?」
†
救急車が到着する頃には、校舎内でこの事件を知らぬ人物は居なくなっていた。
「すいません、緊急事態につき学校交流会は急遽中止となりまして――」
校門前に車が来る度に教師がそう言って平謝りするのを、紅納と芹沢と帆村が眺めていた。
「二人とも、頭を強く打ってて重傷だって聞いたわ」
怪我をしたのは饗場北高校吹奏楽部部長である津上里緒と、青柳院学園吹奏楽部部長の伊野真霧。具体的には、階段から落下した事による頭部強打。普通だったら、足をすべらせたことによる事故だと処理される所だが――。
「――だったらあの屋上のヤツは? どう説明するつもりなんですか、南凪君」
昇降口に青柳院と饗場北の生徒が集まり、何事かで揉めているようだった。青柳院の会長である四方山が冷静にそう問いただすと、饗場北の生徒会長である南凪周防は首を横に振る。
「分からない。ただ一つ言えるのは、この学校や青柳院にも、そんな非道なことをするヤツは居ないって事だけだ」
「生徒とは限らない。ここには父兄も来ていた、関係無い人間が一人混じっていても全く不思議ではない」
それを見ていた芹沢が輪に近づき、饗場北の生徒に話しかける。
「……何かあったんですか?」
「それが、青柳院の四方山君が、この事件は事故じゃなくて殺人だって言うんだよ」
「勿論証拠ならある。これだ」
そう言って彼が持ってきたのは、人差し指ぐらいの太さ且つ五メートル程ある長さのヒモだった。
「先ほど一人で屋上を見に行ったら、手すりにこれが結ばれていた。そしてこれがぶら下がっていた先の窓が開け放されていた。四階は展示がなかったと聞いているから、そこはもぬけの殻だ。犯人が屋上から逃げるには都合がいいんじゃないかな」
そう言って四方山は、いつ撮ったのかヒモが結ばれた手すりの写真と、それがぶら下がった先の写真、更に四階の窓からヒモが見えている写真の三枚を見せた。
「つまり……犯人は二人を突き飛ばしてからそこにあったヒモを手すりに結びつけ、あらかじめ開けてあった窓から脱出した、という事ですか?」
加賀副会長の言葉に頷く四方山に、南凪会長や二之宮副会長も流石に黙っていられなかった。
「たまたまヒモがあった程度で、窓が開いていた程度で、そこに人が居たかのように言うのは論理の飛躍だ!」
「そうです……! 事故なら完全に饗場北の非になりますけど、事件となればその場に居た全員、ともすれば青柳院も疑わなければならなくなるんですよ?」
「別に青柳院が無実である前提に立つつもりはない。疑われるならば平等に扱って然るべきだ」
「だから、そういう姿勢がそもそも……!」
議論は白熱している。
「(そろそろ、水掛け論になりそうだな――)」
紅納がそう思ったとき、芹沢が突然彼の事を指さし、言った。
「じ、事件ならケイに任せて下さい! ケイ、そういうの考えるの得意なんです!」
紅納が一瞬たじろぐ頃には既に遅く、その場に居た全員の視線が紅納を向いていた。
「君は……?」
「……一年の紅納桂梨です。ただ別に、そんな得意なんて事は――」
言葉を選んでいる紅納を余所に、芹沢はどんどん話を進めていく。
「中学の時だって、ケイが機転を利かしていろんなもめ事を解決してくれたんです!」
四方山は嘆息し、眼鏡をあげる。
「そういうのは何処にでも居るさ。これはもめ事なんかじゃない、ひょっとしたら警察を呼ぶことになるかも知れない事態なんだ、すまないが部外者は――」
「そんな――」
そう言われて、紅納は分かっていたかのように芹沢を見ながら嘆息した。
「別に俺等を部外者扱いするのも、ここで水掛け論に興じるのも結構です。だけど重要な話題を打ち切ってまで美芹が俺の事を引き合いに出してくれたんですから、僭越ながら少しだけよろしいですか、会長」
そう言うと、両方の会長も一歩退く。
「この事件、犯人が居るかどうかはともかくとして、四方山会長の推理は的外れだという事は分かります」
すると、四方山はやや苦々しげな顔をしながらも何も言わなかった。物わかりはいいようだ、と紅納は思う。
「聞こう」
「言いたいのは二つ。ヒモを手段として利用する際の問題と、地形的矛盾です」
紅納は四方山から写真とヒモを借りる。
「まず、こんな細さのヒモじゃとてもじゃありませんが高校生の体重には耐えられません。女性は分からないですが」
「しかし犯人が女性や身軽な男子で、それに耐えられることが分かっているとしたら?」
「だとしてもこんな不安定なアイテムは使用しないでしょう。もっと確実な太い縄を使うか、別の逃走手段を用いるはずです。――状況から見て、犯人が事件現場から逃走する際にリスクのある階段を使わずに階下の窓を利用したのであれば、計画的な犯行だと言わざるを得ません。そこにこんな不安定なヒモを持ち込むのは、何とも抜けていると思います」
「し、しかし……それすらも偶然合致したとすれば」
そこまで言って、紅納は少し笑みを浮かべる。
「『たまたまヒモがあった程度で、窓が開いていた程度で』犯人の存在を論じてしまうあなたがそれを言いますか?」
四方山生徒会長は完全に黙ってしまう。
「それと、地形的にも問題があります。ここが昇降口で、左手後方に中央階段がありますから、事件現場よりやや逃走現場に近い感じですね」
紅納は目の前の窓を開ける。
「この校舎はコの字を九〇度傾けた形ですから、犯人はここから見て右側の、あの場所から出てきたわけですが――何故、ここなんでしょう?」
「たまたま、窓が開いていたからでは――」
南凪会長はいいながら、自分の矛盾に気付いて言葉を切る。
「先ほどの通り、計画的な犯行に『たまたま』の言葉は水と油です。……百歩譲って、犯人がそれを見越してやったとしても窓の外は住宅街、同じような高さのマンションだって何軒か建っている――住民に見られてしまう可能性を全く考慮できていません。とは言え反対方向は数時間前まで駐車場だったんですから、その時はそっちの方がリスキーかもしれませんが」
「しかし、犯人が居ないという話も早計で――」
「さっきも言ったとおり、そこは論じられる段階ではありません。俺は犯人が居るかどうかではなく、四方山会長の推理の矛盾を指摘しただけです」
もういいですか、と言わんばかりに紅納は踵を返す。
「け、ケイ! 待ってよ!」
芹沢は呆気にとられた集団に一礼してから、帆村と共にその場を後にする。
「――ちょっと、不躾すぎたんじゃないかしら?」
「だからがっつり逆襲しておいてやっただろ」
「よく分かんねーけど、あっちの会長がすんごい嫌そうな顔してたぜ」
初対面から最悪の印象を刻み込むという大業をやらかした紅納は、事故現場の踊り場に立っていた。
「紅納、俺が考えたんだが――この階段に油を塗りたくって、二人を滑り落とすというのはどうだろう」
紅納の表情は全く変わらず渋いままだった。
「それだったらそもそも屋上から逃げる理由は無いし、犯行後に油を拭き取るタイミングが無いだろ」
「ケイ、見てこれ!」
芹沢が屋上手前に重ねられた無数の机の山から、見覚えのあるモノを持ってきた。
「これ……さっきのヒモじゃん」
帆村の言うとおり、それはさっき四方山が提示したモノと全く同じひもの束だった。先っぽは、刃物を用いたかのように綺麗に切られている。
「犯人はこれを使ったって事?」
「そういう事になるんじゃないかなぁ、多分」
紅納はそれを見るとはっとした顔つきになり、階段を駆け上がって屋上に飛び出した。
「(どういう事だ……!)」
紅納の中で、既に怪しい人物は一人挙がっていた。しかし、全くと言っていいほど証拠がない。
そもそも証拠とは何なのか、とさえ思ってしまう。
「なぁ美芹、お前さっきまでどこに居た?」
「ずっと体育館に居たわよ」
「そこには他にどんな奴が居たんだ?」
「生徒会長に副会長に……っていうか、大概の主要メンバーはそこに居たと思うわ。全員がずっとそこに居たかどうかまでは、流石に保証しきれないけど」
その話を聞いて、紅納は頭を掻く。
『犯人が居るかどうかはともかくとして――』
自分の言葉が何度も頭の中で繰り返される。
あの事件の瞬間を、紅納は目撃していた。落ちる人影と――それを上から眺める何者かの影を。
恐らく犯人を挙げるならばその人物が妥当なのだろう。偶然その場に居合わせた者ならば、この事態のややこしさを見ればすぐにでも名乗り出るはずだからだ。
先ほどの喧噪の中、紅納は何かが引っかかっていた。それを確かめる為にここにやって来たはずなのに、そこから先が一歩も進まない。
「それにしても、階段から落ちるってのも相当ドジだよなぁ。俺みたいに普段から足下に気をつけていればいいというのに」
「あんたはそうやってるから他の障害物にぶつかるんでしょ」
「何!? 芹沢、どこでそれを!」
すると、二人の会話に割って入るかのように、屋上の扉が開いた。
「――ブラックボックスが、必要ですか?」
「……函南?」
函南蜜姫が、気品のある笑みを携えながらそこに立っていた。
†
数時間後。既に三時を回っていた。生徒会室でいがみ合っていた彼らの元を紅納は再度訪れ、そして説明の機会を求めた。
「紅納君、だったか。君はどうしてそこまでこの事件にこだわるのかな?」
「両校の関係がギスギスしたままここで終わるのは、今後僕の三年間の学校生活に支障を来さないとも限りませんから」
「どうしてそもそもこんな疑惑が持ち上がったのか、という理由ですが、それは四方山会長が屋上で意図的に結ばれたヒモを発見した事でしたね」
紅納は先ほど見つけたひもの束を見せる。
「これは屋上にあったものです。これを見て更に、犯行の突発性が高まりました。ところでお聞きしたいのですが、この中で最初にお二人が倒れているのを見つけたのはどなたですか?」
そう言うと、青柳院の生徒と饗場北の生徒が一名ずつ手を挙げた。
「お二人がそこに行く事になったのは恐らく物音がしたからで、つまりあなた達は三階やその辺りで作業をしていた委員の方でしょう?」
二人が頷くのを見て、紅納は続ける。
「つまりお二人は音がしなければ上に来ることがない。と言うことは、最終的にはこの人――仮にAさんとしておきましょう――が、人を呼ぶタイミングを調整できたという事にもなります」
事件現場で割れていた花瓶は、二人が落ちた拍子に割れたものだと錯覚していたのだ。
「学校の床は意外と丈夫ですから、音はよっぽど体重をかけてドンドンと踏まない限りは下に響きません。つまり、Aさんには時間があったということです」
この時間を利用して、犯人はヒモを切り、結んで、下階の窓を開けるという事を可能にした。
「しかし、Aさんがもし二人に恨みのない人物であったとしたら、何故そこまで――」
「見られている可能性を考慮したからでしょう。もし仮にAさんの姿が外から見えていたらどうでしょうか? もしくは、そのAさんが事故にあった二人と一緒に階段を上がる様子を誰かに見られていたら? その時の事を考え、Aさんは架空の犯人Bが居るとでっち上げたんです」
「ヒモの用意や脱出方法が曖昧だったのはその為だった……と?」
紅納は頷く。
「しかし残念ながら今の時点では、僕達はAさんが悪意を以てやったのかどうかを判定する術を持ちません。そしてどっちの高校の生徒かも、父兄や教職員かすらも分かりません。……どうでしょう、これで今回の事については互いに手切れとするのは」
任侠じゃねーんだから、と南凪は突っ込む。
「開催校で起きた事故は、どんなに相手に落ち度があろうと、双方に被害が及んだとしても最終的にはこっちの責任である事に変わりはない。正直、来年から交流会が無くなってしまうことも覚悟している。許せと請うのすら無礼だと思う。だから、俺たちはこう言うしかない。本当に申し訳ない――と」
四方山は腕を組んだまま、わざとらしく溜息をついた。
「来年のことは来年の生徒会に任せるとして、だ。――だが少なくとも来年は青柳院での開催なんだ、こんな事故など起こさぬように努力させるさ。これまでそうだっただろう?」
「四方山……!」
「礼など要らん、それに本当の意味で赦されるかどうかは二人の病状次第だからな」
そう言って、四方山は他の生徒会メンバーを引き連れて外に出る。慌てて、饗場北の残ったメンバー全員で、それを見送る。
「また、来年もよろしくな」
四方山秀一は振り返りもせず、ただ右手を振り、その場を後にした。
「本当に、何処までも面倒な会長様だ――」
南凪のその言葉が悪口ではないのは、誰の耳にも明らかだった。




