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上原結奈と緒方凛-2

「それでね。その時、たまたま猫が現れてね―。」

(…楽しい帰路だった。このまま帰り着かなければいいのに…。ああー幸せってこれなんだろうな。久しぶりに感じたな…。もしかしたらこれが最後の会話になるかもしれない。今しかないんだろうな。でも、言ったらきっとこの関係は壊してしまう。言ったら嫌われるんだろうな…)

 それでも上原は幸福の中で決意を固めた。今まで緒方の隣を歩いていたが、前に出て緒方の顔をしっかりと見る。緒方は静かに微笑み、上原の次の言葉を待つ。

「実は―――っ。」

 その続きを発することができなかった。緒方の背後に義父が立っていたからだ。

(あっ、私はミッションを達成できずに消えるんだ…。伝えたいこと、伝えなきゃできないことを伝えられなくて…。さようなら、ママ。そして凛。)

 上原は短い人生の終わりを覚悟した。しかし、その心には大半の拒絶の中に僅かな安堵を感じていた。

(今日で、全部、終わるんだ…)

 これ以上の苦痛がないことに救いを見た。その時の上原には更なる地獄があることを想像できなかったのだ。しかし、現実は想像を超えていく。

「おおー、帰りか。ちょうど良かった。一緒に帰ろうか。お友達も一緒に。」

 思いもよらぬ提案をしてきたのだ。

 上原が「えっ、あー」と混乱している間に、義父は「じゃあ行くぞ。」と歩み始める。

 義父に怪しまれずに拒否する案など即座に思いつくはずもなかった。

 それから、あの幸せな一時が嘘だったように、最悪な時間だった。良い父親を演じる義父。それに話を合わせる緒方。表面上取り繕う私―――。

 緒方の視線が、緒方の声が、緒方の表情がこの世で最も憎い人物に向けられていることがどうしても耐えられない。これなら暴力を振るわれている方がマシだと本気で思う。

 拷問のような時間を終え、ついに私の家に帰った。だが、この生き地獄はまだ続く。

「どうせなら、少し休んで行かない?」

 義父が緒方を家に招いたのだ。


 緒方が私の部屋にやってきた。その事実だけを考えると何て嬉しい出来事なのだろう。実際、会話も楽しいし、学校などとは違って非日常に高揚感がないと言えば嘘になる。

 ただ一つの懸念点を除いて―――。

 上原の部屋の扉がノックされる。が、返事を待たずして義父が入って来る。

「いやー、結奈が友達を連れてくるなんて初めてじゃないか?」

 お盆に乗せて持って来たケーキとジュースを机に置く。ケーキなんていつぶりだろう。少なくとも家では年単位で見ていない。きっと近くの洋菓子屋に急いで買いに行ったのだろう。私やママの誕生日でも買ってくれなかったのに…。

 言葉を数度重ね、義父は部屋を出る。

「ごめんね、かなり自由人で…。」

 “誰が”とは言わず、謝罪の言葉を口にする。緒方は義父が出た扉を見つめ、言葉を選びながら質問をする。

「お父さんって、いつもあんな感じなの?」

「えっ?」

「いや、気のせいだったら申し訳ないんだけど、何か本音ではないような気がして。」

「勘違いだったらごめんね」と前置きをして続ける。

「私って、そういう本心と違うことを言ってる時って分かるんだよね。雰囲気って言うか、仕草が馴染んでいないって言うか。だからと言って本心が分かるって訳じゃないけど。」

 今まで誰もが義父の仮面に気づかなかった。私たち家族を幸福の象徴だと思っている。特に義父のことを“理想的な良い父”であると疑わない。それほどに義父の仮面は精巧に、そして巧妙に作られていた。

 しかし、緒方は会って30分も経たずに仮面が実際の皮膚と違うことに気づき始めた。

「凛…ちょっと聞いてほしいんだけど…実は…。」

 上原が続く言葉を言う前に、扉が大きな音を立てて開く。義父だった。他人がいる前で仮面を外した顔は、正しく般若だった。

 無言のまま、たった2歩で上原の目の前に行き、さも自然な動きで頬を引っ叩いた。その衝撃で座っていた状態から倒れる。

 上原の馬乗りになり、1発、もう1発と続ける。

「ねえ、何してるの!?」

 緒方が慌てて義父の腕を掴んで、止めに入る。だが、女子高生と筋肉質な成人男性では力勝負では勝てる訳もなく、逆に肘で突き飛ばされる。

 のろりのろりと立ち上がり、緒方に近づく。上原の顔は既に真っ赤に腫れあがっている。

「普段は顔を殴れないが、GW開ける頃には腫れも引いてるだろうよ。」

 緒方が立ち上がろうとするも、義父が押し倒す。先ほどの上原と同じように馬乗りになり、緒方の両手を頭の上で拘束する。拘束している手とは逆の手を振り上げる。その腕の行き場は緒方の顔ではなく、制服のボタンだった。片手で器用にボタンを外していく。

 高校生とはいえ、女性としての特徴である膨らみとそれを支える下着が露わになる。般若が悪魔に進化した。

「や、止めて。」

 緒方が涙目になり、悲鳴を上げる。ついさっきまで、キリっとしたタイプだった少女が涙を浮かべ、男が馬乗りになっている。

「あー、そんな表情もするんだね。良い。すごく良い。」

 本当にケーキを差し入れした人物と同じなのだろうか。その瞳は瞳孔が開き、まばたきすらも忘れている。また、声は低いにも関わらず、興奮しているのが伝わる。

「さあ、始めよう。大丈夫。最初は痛いかもしれないが、すぐに楽しくなるはずだよ。」

 義父が自身のベルトに手を伸ばし、留め具を外そうとした時――。

「ピンポーン」と玄関でインターホンが鳴る。

「ああ?」

 馬乗りの状態のまま義父が後ろを振り返る。

「上原さーん。上原さーん。」

 と呼びかける声まで聞こえる。居留守を目論む。

 数度のピンポンと呼びかけを終え、来訪者が踵を返そうとしたその時、

「うるせえな、何回鳴らすんだよ!!」

 ピンポンが琴線に触れたのか、一度話して追い払った方が早いと判断したのか、「お前たちは何もするなよ。」と言い残し、部屋を出ていく。勿論“理想の父”の仮面を被って。

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