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琴葉詩織と若菜新-2

「おい、どうなってるんだ。おい。」

 暗闇の中で、若菜が叫ぶ。

「ふふふ。」

 頭上に大きな液晶画面が現れ、琴葉が映る。肘を机に付け、顔の前で両手を握っている。眼鏡が反射し、今にも「エ〇ァに乗れ。」と言いだしそうな空気を醸し出す。

「ここは“行間”。この時、この場所では何をするも結構。非常に特殊な空間である。筆者は余韻を作り、読者は想像を膨らませる。そんな貴重な時間を使い、特別に説明をします。時間は気にしなくていいです。“行間”を読むのに時間をかける人はいないでしょ?」

「はあ?」

「今から、貴方にはこの小説『高嶺の花も空回る』の改善をしていただきます。」

「別にお前の言う通りにしないぞ。」

「できるものならどうぞ。あなたはここから抜け出せるのであれば。」

「良いぞ。リターン。リターン。えっ?リターン。なんで反応しない?」

 授業終わり直後に戻るはずなのに、反応しない。動揺する若菜を尻目に笑う琴葉。

「ふふふ。この本は保存ができる。私もこの本がにくくて、燃やしたり、捨てたりしてみたが、不可能だった。火はつかないし、捨てても戻って来る。この本を変えることができるのは私だけ。逆に頭の中で本に文字を記入すると、活字に変換できる。つまり本を傷つけること、私の意向に沿わないことはできない。そして、貴方の能力を私は否定する。さらに言えば、ここに栞を挟んでいる。読者としての1場面に区切りをつけている。長々話したが、貴方に拒否権はないということ。じゃあ、頑張ってね。無理だったら、リターン?していいから。栞の所までしか戻らないと思うけど。」

 高笑いする琴葉に対して、抗議の声を上げ続ける若菜。それを無視するように琴葉は説明を続ける。若菜の体感で数十分にも及んだ。現実では1秒未満だったが…。


 時は遡り、2年の夏。若菜は伸び悩んでいた。身長と成績に。

 若菜はどこにでもある高校球児である。実力もそれなりにあり、中学時代まではプロからも目をかけられていた。

 しかし、高校に入学するといきなり壁にぶち当たった。高校生の球速と変化球のキレに対応できなくなったのだ。高校1年生にして初めての挫折だった。それでも若菜はめげなかった。これまで以上に部活の練習に入れ込んだ。さらに自主トレにも時間を費やした。1年間、文字通り血の滲む努力をして、やっとの思いで高校の野球に馴染むことができた。しかし、突出した成績にはならなかった。プロのスカウトも減った。

 ある時、スカウトが話している所を耳に挟んだ。

「若菜選手には期待していたんですけどね。ようやくそれなりのプレーはできてきたんですけど、如何せん身長がね。こればっかりはどうにもならないですよ。」

 愕然とした。160㎝を超えたが、そこからは身長が伸び悩んだ。

 それでも、諦めなかった。いや、諦められなかった。そして、レギュラーの座を掴んだ。今までのショートではなくセカンドではあったが、3年生を差し置いて獲得した。

 そして、夏の甲子園予選―――。菊山高校の鬼塚宏弥投手である。身長187㎝体重92㎏、恵まれた体格から放たれる速球は150キロを超える本格派右腕で今年のドラフト1位候補とされている。

 対策も練ったし、鬼塚投手を想定した練習もした。毎日毎日、部員全員で甲子園の切符を手に入れる為に、精一杯の努力をした。しかし、普通の高校生とドラ1レベルとは差はあまりにも大きかった。

「8番セカンド、若菜新君。」

 場内アナウンスのコールで打席に入る。鬼塚投手がダイナミックなフォームからボールを投げ―――

「ストライク」

「えっ?」

 ボールが消えた。正確には目がボールの軌道を追えなかったのだ。

「嘘だろ…。」

 目で追えないボールを打てるはずもなく、若菜を含めた桜彩学園の打線は沈黙を貫いた。

 2対0で迎えた9回裏。ツーアウト2、3塁。若菜の打席が回って来る。

 段々と目も慣れて来て、ボール自体の軌道は見えるようになってきた。せめて延長になれば、いくら鬼塚投手といえど、疲れも見えてくるだろう。つまり、桜彩学園の運命は若菜に委ねられたと言っても過言ではない。

「やってやる!」

 1球目空振り。2、3球目ボール。4球目にしてようやくバットに当たる。

「お、重ぇー。」

 ボールはバックネットに当たり、ファールになる。

 たった1球、バットに当たっただけなのに、手をハンマーで叩かれたかのように痛む。

「絶対、絶対、先輩たちと甲子園に行くんだ。」

 5球目。甘めに入ったストレートを最高のスイングで振り抜く。

 しかし、ボールは力なく鬼塚投手のグラブに収まった。―ピッチャーフライ

「スリーアウト。ゲームセット。」

 無常にも試合終了のコールが鳴り響く。

「くそっ。こんな、こんなことが許されるのか。今までどれだけ頑張ったと思っている。それが、俺達の青春が、こんなところで終わっていいはずがない。野球の神様なんているはずがない。俺が、俺の力で勝ち取ってやる。―リターン―」

 この日、若菜は初めて異能を私欲の為に行使した。


 結論から述べよう。若菜がヒットで終わることはなかった。脳が限界に達したのだ。若菜の能力は時を1場面戻す。その対象は物だけではなく、他者の記憶にも適応される。しかし、若菜自身の記憶はその範囲外であった。


 ラバーハンド実験というものがある。マネキンの手を自分の手を同時に筆でなぞることを繰り返すと、マネキンの手を自分の手と認識してしまう実験である。誤認した実験者はマネキンのみに氷を当てると自身の手も冷たくなったと思い、マネキンのみをハンマーで叩くと、自分の手が叩かれたと思い手を引っ込める。


 さて、若菜の記憶には鬼塚投手のボールを打った記憶が残る。鬼塚投手のボールを打ち続けた両手の疲労感やその時潰れたマメの痛みがリターン後にも引き継がれたと誤認してしまうのも仕方のないことである。


 数十回に及ぶリターンの後に若菜はバットを振るうことを辞めた。

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