中川と森
3年生が始まるまで1週間を切った頃。いつもの桟橋に影2つ。
「もうすぐ始業式だな。」
「うん…。」
男女の間には気まずい空気が流れる。
前日までは、この2人に渡辺を加えた3人で、勉強会をしたり遊びに行ったり楽しい連休を過ごしていた。しかし、人生の大きな選択を迫られている現実も刻一刻と近づいている。
長い沈黙が支配する。遠くで船の汽笛が聞こえる。
「迷っているんだろ?結月?」
森の言葉が沈黙を破る。
「うん…。」
力なく頷く中川。
「結月はこのミッション関係については何も話してくれないよな。」
「それは…。」
「別に言わなくていいよ。俺も言ってないし。言わなくても分かっているから。」
「それって…。」
「その上で、俺はミッション継続を希望する。結月もしっかりと考えてほしい。」
「な、何よ。真剣な顔して。」
「真剣だよ。」
普段とは違う真面目な表情の森に中川も緊張の色を見せる。
「結月はいつも一番大事な事は最後の最後まで言わないからな。宿題もそう。進学先もそう。だけど、いつも前向きな方を選んで、しっかりと結果を出して来た。でも、今回は違うんだろ?何となくそんな気がする。」
「そんなこと…ない…。」
「いや、あるよ。」
「何で言い切れるのよ。」
「だって、結月は優しい人だから。今だって、必死に言葉を選ぼうとしている。結月にとってミッションの報酬はとても魅力的なものなんだろう。でも、ミッションは誰かを傷つけるものだった。だから、結月はこれ程までに悩んでいる。違うか?」
結月は静かに首肯する。
「自分の為に、身勝手だと思われても、どうしても手放せない、諦めたくないものなら、諦めなくて良いんじゃないか?」
「えっ?」
一瞬、目を丸くする中川。
「ナニソレ?」
森はその4文字が中川結月から発せられた声であると認識できなかった。しかし、周囲には誰もいない。一瞬〈アスター〉の存在が頭を過ったが、目の前にいる人間は間違いなく中川結月、本人である。15年近く言葉を交わしてきたが、その中で最も低く、最も重い。足から染み込んでくるような声だった。
「私ガ、ドレダケ悩ンデ来タト、思ッテイルノ?」
中川の声はどこまでも恐ろしく、聞いているだけで体力を奪われていく。
「おいっ、どうしたんだよ。」
焦点が合っていない
「結月、おい、結月。」
ハッとした顔をして、森に抱き着いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
涙を流し、謝る中川の頭を森は優しく撫でるのだった。
「それでね、それでね…。」
「うん。うん。大変だったね。」
「うん。大変だったの。すっごく。すっごく悩んだの。」
「うん。そうだね。」
「どうしても欲しいの。けど、ミッションが達成できないの。達成したら、私は私を許せない。」
「そうだね。許せないよね。」
「…うん。」
それから半刻程かけてじっくり慰める。中川が落ち着いてきた頃、今まで以上に優しく語りかける。
「でも、譲れないんでしょ?」
今回は返事もせずに首を縦に振る。
「なら、しっかりと考えるべきだよ。大丈夫。何があっても、俺が何とかするから。」
その瞬間、中川はビクっと肩を震わせた。
「大丈夫。だから、後悔しない道を選んで。」
森の胸元に埋めていた中川は顔を上げ、真剣な顔をする。
「翔太は命を懸けられる?」
正に一世一代の大勝負だ。覚悟を決めた問いに対して、森は即答した。
「勿論。命ぐらい懸けるよ」
笑顔で返した森を見ると、安心したように涙を拭った。
「うん。私、決める。ちゃんと決めるよ。」
「そうか。良かった。」
「だから、今はこのまま。もう少し、甘えさせて。」
「どうぞ。どうぞ。」
中川は再び森に体を委ねた。
一部始終を見ていた渡辺が遠くから独り言を言う。
「嘘だろ。あれで付き合ってないとか、何かのバグだろ。」
誰からも返答はなかった。




