井口正と倉岡奏-1
体の芯から寒さを感じる12月。制服も冬服になってポケットにはカイロを常備している生徒も多い。生徒たちの息は白く、指先や鼻先は赤みがかっている。
「クソが。」
4月から上手くいかないことが多く、いらだちを露わにする倉岡。足元にあった小石を蹴ると、跳んでいった石は思った方向と違う所に転がっていき、側溝に入る。
始業式の日には恥をかいた。〈アスター〉と名乗るバケモノが現れ、異能だの訳の分からんことを言い出すし。教室を出るためにドアを蹴破ろうとしても不可能だった。あれから周囲の目が変わった気がする。友人同士のただの雑談が自分の笑い者にしているのではないかと思ってしまう。その時の笑みが自分を下に見ている気がする。
今までは他の奴にどう見られても我慢できた。倉岡には都合のいいストレス発散があった。同じクラスの井口である。井口とは高校入学時から同じクラスだった。体格は小柄で、いつもおどおどしている。ちょっと強く言ったらブルブル震えだして、言うことを聞くようになった。何か腹立つことがあったら、呼び出して、罵ったり、嘲笑ったり、時には殴ったりもした。
どんなことをしても次の日には、
「おはよう。」
と不格好な笑みを浮かべながら、教室に入ってくる。また、それが腹立つ。
3年になったら、もっと凄いことをしてやろうと考えていたのに…。
「おい。井口。」
普段使われていない教室の近く。人気のない男子トイレに井口を呼び出す。
「このやろう。ふざけんな。」
拳を振り上げ、下ろそうとするも、腕が止まる。バケツで水をぶっ掛けようとしても、水を入れたバケツを動かそうとしてもできない。
「あー、もうどうなってんだよ。」
急いで先にトイレを出る。
(まるで俺が逃げてるみたいじゃないか…)
実際、これは異能のせいだ。本人にとっては呪いに近いだろう。
【倉岡湊】
異能―恐怖が伝播する。
ミッション―自身の感情に従う。
報酬―本当に守りたいものに気付く。
相手が怖い、されたくないと思えば、その感情が伝播する。そして、不快な感情を持てば、それをすることができなくなる。
「何なんだよ…。あいつが俺に気づく前に突き落したりしようとしても、人が来るし…。あー上手くいかねえ。」
帰りに自販機を蹴る。
「おう、倉岡じゃねーか。ちょっと面貸せよ。」
「ああぁ?」
行儀も礼儀も知らないようなガラの悪い輩が倉岡にちょっかいをかけた。
ガラガラガラガラ。
古い引き戸を開け、家に入ると、仁王立ちの人物が立ちふさがる。
「お兄ちゃん、遅い。」
妹の結衣である。頬を膨らませ、威圧しようとするが、中学生になったというのに、150cmに届かない程の小柄で顔も童顔である為、ただただ可愛いだけである。倉岡の顔を見ると、
「って、お兄ちゃん。また喧嘩してきたでしょ。ちょっと待ってて。」
家の奥に行き、救急箱を持ってくる。
「うっせえ。」
口ではそう言うものの、倉岡は自室に戻らず、玄関で待つ。
「ほら、これで良し。」
結衣からの手当てを受け、
「ありがとよ。」
と頭をなでる。
「ったく、昔はあんな泣き虫だったのにな。」
「全く、いつの話をしてるの?もう中学生なんだよ。」
目を細める倉岡に妹はまた怒った顔をする。
「そういうお兄ちゃんはいつまでやんちゃしてるの?」
「って言ってもなー。もう俺から絡むことはないんだけど。」
「ほら、言い訳しない。ダメ。なんかあったら逃げること。」
人差し指を立て、メッと注意する。幼稚園児扱いされたみたいでむず痒い。
「そんなダセーことできるかよ。」
目線をそらす。だが、妹からは逃れられない。顔を覗き込み、再度問う。
「逃げるのはダサいの?」
「ダサいだろ。」
「そう?でも、約束。絶対喧嘩はしないこと。」
「って言ってもな…。」
頭を掻くが、妹からのお願いには弱い倉岡。
「わーったよ。約束。喧嘩はしないし、お前には心配かけねーよ。」
「よくできまました。」
今度は妹が倉岡の頭をなで、倉岡は恥ずかしがりながらも甘んじて受け入れるのであった。
「約束したからな…。」
ある放課後、倉岡が帰宅しようと下駄箱を開けると、手紙が落ちる。
ラブレターなど洒落たものではなく、封にすら入っていない。紙切れ一枚だ。
拾い上げ、たった3行のメッセージを読む。
「マジかよ。」
手紙を握りしめ、その場で投げ捨てる。
「クソがっ。」
倉岡はそのまま、目的地に走り出した。




