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浅沼博は前を向く

 お爺ちゃん家への帰省から自宅に戻り、数日たったある日。昼休みに放送で職員室に呼び出された。

「浅沼。落ち着いて聞いてくれ。」

 と珍しく進藤が真剣な面持ちで見つめてくる。

「実は、お爺ちゃんが亡くなった…。」

 言葉が出なかった。

「もうすぐご両親が迎えに来るから、帰る準備をしてくれ。」

 人間、パニックになったら思考がまとまらない。それでも指示が出たことで、やることが明確に受け入れられた。

「帰る準備しなくちゃ。」

 表情が固まり、教室に戻る。クラスメイトに何か声を掛けられた気がするが言語として認識できない。カバンに荷物を入れ、迎えの車に乗る。もうそこからの記憶はない。


 覚えているのは、棺桶の中に敷き詰められたお爺ちゃんの遺体のみだった。顔を見ても、お爺ちゃんが亡くなった実感はない。一言“遊ぼう”と言えば、“何がしたい?”と返事が返ってきそうだった。

 葬式、通夜、火葬などあらゆる手続きを終え、遺品整理をしていた。

 なぜだろう…。葬式でも、通夜でも、火葬の時でも実感がなかったのに、遺品整理をしているとお爺ちゃんの死を実感してしまう。

 アルバムを手に取る。一枚一枚めくり、写真を確認する。どのお爺ちゃんも笑顔だ。この笑顔を再び見ることができないと思うと自然と涙が零れ落ちる。もうこの先を見ることができない事を身に染みて感じた。感傷に浸りすぎないように、遺品整理を進めるべくアルバムを横に置く。

 するとアルバムから1通の手紙がスッと落ちる。涙を拭い、手紙を拾う。

 手紙には写真が挟まれていた。若い男女の写真だ。男性は作業服を着てぱっとしない感じだ。女性はスーツを着ている。バリバリキャリアウーマンって感じ。あの時代にもキャリアウーマンっていたんだと感心する。

 何となく手紙を読んでみることにした。


 誠君へ

 いきなり手紙なんてごめんね。洋子です。

 この度、私は結婚することになりました。

 誠君と別れてからいろいろな人と出会い、

 いろいろな経験をしました。

 誠君とは仕事の延長線上の関係だったけど、

 あなた程、楽しく話ができた人はいなかった。

 もしかしたらあの時、私は引き留めて欲しかったのかもしれない。

 今となっては分からない。

 だけど、結婚するとなった時にあなたの顔が浮かびました。

 何故か分からないけど、あなたには報告するべきだと思ったの。

 最後に、私は私で幸せになります。誠君も幸せになることを祈っています。


 非常に簡潔。第三者からすると、少し自分勝手な女性のイメージになるだろう。だが、浅沼は興味を惹かれた。

(どんな人なんだろう…)

 筆ペンで書かれた手紙の文字を指でなぞる。すると映像が脳に直接叩き込まれる。

 写真に載っていた女性がこちらを見て、手を動かしている。写真では凛々しい表情だったが、脳に映る顔は温かさ、柔らかさに包まれている。それは自分の未来が幸せなものであることを信じて疑わない顔をしていた。

 時より筆を止め、過去を思い出し、くすっと笑う。何て魅力的な女性だと思う。

 そして一番書きたかった、だが書けなかった5文字をゆっくりと、だがはっきりと手紙に伝える。

「ありがとう。」


(彼女はたったその5文字をお爺ちゃんに伝えたかったんだ。)


 手紙を指でなぞっていくと、終わりには文字が滲んでいる箇所がある。疑問に思い、その箇所に触れると、再び脳に直接映像が流れる。

「ありがとう。本当にありがとう。」

 今度は若い男性が涙を流している。アルバムにもよく写っていたので、すぐに誰か分かった。若かりし頃のお爺ちゃんである。当時もおしゃべりだったのだろう。ヒクヒク言いながらも感情のまま気持ちをぶつける。

「俺は、ずっと洋子さんが好きだった。心から大好きだった。でも、遠くへ行ってしまうって…。引き留めたかった。でも、でも、洋子さんが仕事が好きだってことも、仕事を評価されて出世のチャンスだってことも分かってた…。俺が、お前の枷になっちゃダメだって。この気持ちは抑えなきゃって。それから洋子さんを忘れようと仕事に没頭してみたり、他の女と付き合ったりした。だけどあれから何年たっても、お前のことが忘れられなかった。俺も最高に楽しかったから。あんなに愛した女はいなかったから。スーツの女性を見かける度に、お前なんじゃないかって目で追って。そんな訳ないって分かってるのに…。

 だけど大丈夫。これからは、俺も前を向くから。頑張るから。そして、洋子さんに負けないぐらい好きな女と結婚してやるから。だから、素敵な思い出を…ありがとう。」

 今まで下を向いていたお爺ちゃんが前を向いて、涙を拭う。

「これで俺も前を向ける。」

 最後にニコッと笑って見せた。

「お爺ちゃん、最高にカッコよかったよ。俺も前を向くから。ありがとう。」

 浅沼は丁寧に手紙を閉じた。


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