09 首と鈴
出口がうっすらと現れ、そしてそこに初めからあったようにはっきりと開かれた扉があった。
「うそ……なんで? さっきまで――」
信じられないような現象を目の当たりにして混乱する佳奈と、出口を見てほっとする萌衣李を励ますように、菅原が微笑んだ。
「もう大丈夫だ、出るぞ。森下――?」
「僕は、南校舎に戻ります」
「正気か? お前……」
「まだすべきことが残ってます。僕がやるべきこと、でしょ?」
今の晴翔は、南校舎の屋上から落ちてくる首の、絶望を湛えた目がはっきりと思い出せる。その顔は女性霊の記憶の中にあった。多分あれが殿だ。女性霊は殿を探している奥方なのだろう。女性霊の記憶を見て、晴翔の心にあったモヤモヤが確信へを変わった。
「わかった。気をつけろよ」
晴翔の決然とした表情に菅原はうなずくと、佳奈と萌衣李を追い立てて、出口をくぐった。
晴翔は、三人の後ろ姿がを見送ってから踵を返す。
北校舎二階の渡り廊下まで戻って来た時、晴翔は、北校舎をまだ彷徨っているであろう女性霊に向かって叫ぶ。
「奥方様、殿はこちらです!」
そう言い放って【導】で塞がれた道を拓き、南校舎の階段を一気に駆け上がった。感覚を研ぎ澄まして気配を辿る。おそらく殿は屋上にいる。
屋上への扉を開けると、柵の向こう側に武者の首が浮いていた。髪を風になびかせ、深い闇のような目でじっとこちらを見ている。
「何がお望みですか?」
晴翔は静かに問う。殿は自嘲気味に応じた。
『死シタ者ニ、望ミナドナイ』
午前十一時に落ちてくる首。
多分だけれど彼が敵に殺された時刻なのではないだろうか。敵軍に追い詰められ撥ねられた首は、死のループに囚われいる。校庭の群霊が戦のループに囚われていたように。晴翔には、そう思えた。
晴翔は【写】の護符をかざす。殿の記憶がビジョンとして晴翔の脳裏に流れ込んでくる。
鉄と血の匂い。馬の嘶き。劣勢を伝える伝令。動揺する従者。押し寄せる敵軍。
死にたくないと思う感情と、死ぬならば道連れを――と思う感情が入り混じる。その感情が黒い渦となって晴翔の意識に襲いかかる。
晴翔の両足が地面のコンクリートから浮く。殿の髪が長く伸びて、まるで黒い手のようにしなりながら晴翔の首を絞めていたのだ。
ぎりぎりと締め上げられる感覚。霊は人間の肉体を直接傷つけられないはずなのに、晴翔は息苦しさを感じた。視覚の効果なのか、それとも殿の想いの強さなのかわからない。晴翔は【祓】で髪を断ち切ると、咳き込みながらすぐに前を見据える。
虚ろな目が瞬きと同時に側近兵士たちを召喚する。
「無駄です」
晴翔は【祓】でそれらを霧散させる。召喚された兵士たちは殿ほど想いが強くはない。
「あなたが望むのは道連れですか?」
たくさんの兵士を道連れに死のループを紡ぎ出したこの武者の想いを、呪いと言うのだろうか。まるでブラックホールのような虚ろな目が、わずかに哀しさを写す。
まだ、感情がある。晴翔はそう希望を抱いた。
『何モ望マナケレバ、絶望スル事モナカッタ……』
晴翔はその声の揺らぎを聞き逃さず、再び【写】を護符をかざす。
うららかな陽。縁側で茶を飲む若武者と奥方。奥方と童の眩しい笑顔。守りたいという想い。
『――ダガ、守レナカッタ……ワシハ全テ守レナカッタ……』
「奥方が探しておられます」
その時、鈴の音がした。
『殿、妾ガゴ一緒イタシマス』
奥方の姿が屋上に現れ、柔らかな声音で言葉を発する。
そしてそっと首のそばに跪くと、手を差し出して殿の首を胸元へ優しく引き寄せる。風に乗って鈴の音が鳴った。
『バカナ! ココヘハ来ラレヌヨウ封印シタハズ』
晴翔の 【導】は封印を解くきっかけを作ったに過ぎない。先へ進むかどうかは奥方の意思に任せた。奥方は前に進んで、ここに来た。
『モウヨイノデス、殿。妾ガオ側二オリマスユエ』
晴翔は二人から一歩下がり、右手で【導】の護符をかざし、左うでをあげて天を指し示す。その瞬間、晴翔の指先から、白銀の眩い光が天に向かって伸びる。
夜空を裂くような光で、辺りは昼間のような明るさになった。発動させた晴翔も驚く。
天から二筋の朱い光柱が降りてきた。二筋の光がゆっくりと輪郭をはっきりさせる。白銀の尻尾をふわりと揺らし、御使のカギ様とタマ様が白い十二単姿で現れた。
『戦は終わった、こちらへ――』
『殿は意地っ張りね〜さぁ奥方も一緒にいきましょ』
殿と奥方が光に包まれる。晴翔は驚きを隠せず、見慣れたはずのカギ様タマ様に尋ねた。
「あの、これは……?」
『心配するでない。この二人はもう迷わぬよう私たちが引き継いで導こう』
困惑する晴翔に、カギ様が説明する。
『はるちゃんは、まだあっち側に行けないから、私たちが責任持って送ってくるね』
タマ様が補足した。
奥方が晴翔に深々とお辞儀する。そして殿の首をしっかりと抱いて、カギ様とタマ様に誘われた。
晴翔は天へを上がってゆっく光の一団を唖然と見つめていた。晴翔の耳に、心地よい鈴の音を残る。
それは、哀しく――そしてあたたかな音色だった。