04 階段
晴翔は、薄暗くなった階段の踊り場でひとりごちる。
「空気が歪んでいる……か。なるほどね」
先ほど居たのは三階。一階までの階段は四つ、とうに一階の下駄箱が見えているはずだ。しかし実際の踊り場の階数表示は、三階と二階の間を示している。
晴翔はもう一度数えながら階段を降りる。しかし、階数表示は一向に変わらないし、一階の下駄箱さえ、ちらりとも見えてこない。
まるで降りることを拒む階段が無限に続いているかのようだ。晴翔は焦り始める。下がダメなら上へと、階段を上がってみる。
三階に戻った。戻る事はできるようだ。この際、菅原を巻き込もうと晴翔は思いついた。
再び生徒指導室の菅原を訪ねた晴翔は、息が上がっていたらしい。
「どうした、森下。階段ダッシュでもしたのか」
晴翔は息を整えながら菅原に報告する。
「先生、階段が変です」
いぶかしむ菅原を連れて階段に戻る。案外サッと降りられるかもしれないという晴翔の淡い希望は打ち砕かれた。
「何だこりゃ?」
無限に降りられない階段に、菅原も驚いているようだ。スマートフォンの電波状況は圏外を示している。
「こんなことは初めてだぞ、オイ。とりあえず三階へ戻ろう。三階に他の生徒が残ってたらいかん」
三階の廊下は、しんとしている。窓の外は夕闇が迫っていた。廊下の端から端に行き渡るような声で、菅原が呼びかける。
応答はない。生徒指導室以外の部屋もひとつずつ調べるが、誰もいなかった。
「先生、霊感があるんでしたっけ」
「ちょっとな」
「この現象って……?」
「多分結界の中に取り込まれたんだろう。まいったな」
「誰が何のためにこんなことを?」
「それがわかれば困らん。こうなったら窓から飛び降りるか?」
「骨折しますよ。打ちどころが悪かったら死んじゃいます」
「まぁ、とりあえず飴でも舐めるか?」
なんだか楽観的な物言いに、晴翔は不思議とさっきまでの動揺が治まるのを感じた。
「飴なら持ってま――」
ポケットに手を入れると、祖父からもらった御守りと手が触れた。この怪異に反応しているのか、御守りが熱を帯びているような気がする。晴翔はポケットからお守りを出した。
「お。飴より心強いな、それ」
菅原が晴翔の手の中の御守りを覗き込む。
――じいちゃん。どうすれば降りられる?
祈るような気持ちでお守りを見つめていると、晴翔は突然閃いた。
「先生、もう一度階段を降りましょう」
晴翔はお守りをかざしながら、菅原と再び階段を降り始めた。
すると今度は階段の踊り場の回数表示が二階と一階の表示に変わった。御守りが効いている。
「二階に行けるようだな、森下」
「はい、これが導くまま行きましょう」
二階の渡り廊下から北校舎に渡った。そして北校舎の二階から一階に降りられた。
その時、かすかに鈴の音が聞こえた。しかし、今は御守りを使ってこの結界から脱出することが優先だったので、鈴の音とは反対側へ、上履きのまま非常口から北校舎を出た。北校舎の非常口から北門まではすぐだった。
「ふぅ〜。とりあえず、やれやれだな。俺も、森下んとこの御守りをもらっとくか」
サンダルのままの菅原が、高校の門の外で一息ついた。かざしていた御守りの熱はなくなっている。晴翔は、御守りをしげしげと見つめた。
護符が効くとはこういうことなのだろうか。不思議とあの時「降りられる」と感じた。そして御守りがまるで脳内で方位磁針のように、怪異の方向と今行くべき方向を示してくれていたのを感じたのだ。
「次は、原因究明だな」
「ムリですよ……脱出するので精一杯でした」
「レベルアップしていこうや」
「ゲームじゃないんですよ。あ、スマホの電波きた」
「森下、お前やっぱ見えるだろ」
「見えません」
帰宅した晴翔は、祖父に夕方あったことを話した。祖父は難しい顔で聴いていた。
「おそらく、霊感のあるおまえと菅原先生だったから、怪異が具現化したんだろう。今まであの高校で降りられない階段の話を、わしは聴いたことがなかったからな」
「もうあんな目に遭いたくないよ」
「そうだなぁ。遭わないことに越したことはないが、こればっかりはわからないなぁ」
「でも、じいちゃんの御守りがあって助かった」
そう言って晴翔は御守りを祖父に渡す。祖父はそのお守りを見てポツリと言った。
「これは力を使い切ったようだね。お焚き上げしないと……しかし晴翔や、お前もよく頑張ったね」
晴翔は面食らった。
「僕は何もしてないよ」
「いいや、感覚を研ぎ澄まして、出口をよく見つけたね」
晴翔は戸惑う。あの感覚は説明しにくい。強いていうなら急に霧が晴れてすべての感覚がクリアになったような――と言えば良いだろうか。それにとても冷静だった。もう一度今そうなれと言われてもなれない気がする。