39 魔獣襲来②
ドタドタ足音を立ててアルフレッドとキースが戻ってきた。
「お嬢! 徴税官たちを見送って来ました。彼らは門を出て王都へ向かいました。……魔獣の件なのですが」
もう北側の壁にガンガンぶち当たっているとか言うんじゃないよね?
アルフレッドがチラリとキースに視線をやると、彼が言いにくそうに口を開いた。
「先ほどは大変失礼いたしました。大事なお客様をお迎えしていらっしゃるところに――」
もー。こんな時だけ殊勝な態度とは。
「前置きはいいから、何?」
「はい。魔獣がいる場所はこの村から相当距離があるらしく、この村までやって来るかどうか微妙な感じらしくて――」
「は?」
襲撃されないってこと? なんで?
「どういうこと? よく分からないんだけど」
そもそもこっちに向かっている魔獣の危険性が全く分からないんだけど。
1:ほぼほぼノーリスク。無視してオッケー。
10:厄災クラス。逃げることだけを考えろ。
この1から10のどの程度か教えてほしい。
「ああ、ええと、コホン。この村の住人たちはものすごく目がいいらしく、私では全く見えない遠く離れた森の異変に数人が気付き、ヒッチに連絡したようなのです」
「遠くって……あの壁から見える森でしょう? それってずいぶん先の、山のようにこんもりと繁っている辺りのことかしら?」
「おそらくそうだと思います。それでヒッチから、『遠くで魔獣が集団で走っている』と聞いたものですから、すぐさま報告しなければと――その。報告を上げる前に、もう少し詳細を確認すべきでした」
アルフレッドも、頭をポリポリかきながら、部下の不始末を詫びた。
「『部下の躾がなっていない』と言われればその通りです。俺も反省しています。報告のためにヒッチが庭先で待っているので、申し訳ございませんがエントランスまでご足労願えますか」
「仕方ないわね」
とりあえず危機は去ったと考えていいの?
◇◇◇ ◇◇◇
外に出ると、ヒッチが普段通りの危機感のない顔で待っていた。
「ヒッチ。魔獣の動きを察知したらしいわね」
「はい。何年ぶりでしょうか。かなり久しぶりに見ました。たまに大型の魔獣から逃げる小型の魔獣の群れが森を揺らすことがあるんですが――」
「森を揺らす?」
確かにそう聞くと、ものすごい魔獣がやって来そうに感じる。
チラッとキースを見ると、恥ずかしそうに呟いた。
「はい。『森が揺れている。魔獣がやって来るかもしれない』と聞いたものですから……お恥ずかしい限りです」
本当にね!
「あ。木々が揺れるので、私たちはいつも森が揺れると言っているのです」
「そう。それで、今はどんな状況なの? あなたたちにしか見えないって聞いたけど」
「はい。この村まで逃げて来るかどうか……。これまでも大抵は森の中で決着がついていましたから。小型の方が逃げ切るなり捕まるなりして。今回はまだ逃げている最中なので、どうなることやら。まあ、村までやって来るにしても、まだ相当時間があるとは思いますが……」
え? 村まで来る可能性もあるの?
キースの言い分と微妙に違うじゃないの。
「ねえ……それにしては随分と落ち着いているわね」
「そりゃあもちろん、シャーロッテ様が頑丈な壁を築いてくださったので!」
え? うーん、まあ。そうかなぁ。
「あら? もしかして領民たちが慌てず騒がず仕事を継続しているのって、壁があるから問題ないってみんな思ってるせいなの?」
「はい。もちろんです」
それはちょっと心配かな。
全幅の信頼は嬉しいけれど、万が一の場合は逃げることも必要だからな。
避難訓練とかするべき?
でも避難たって、領民全員の移動手段はないぞ?
これって要検討事項かも。
「とりあえず北の壁まで行ってみましょう!」
◇◇◇ ◇◇◇
私はアルフレッドに、ヒッチはキースの馬に乗って北側の壁まで急いだ。
道すがら遠くの森に目をやったけれど、森の揺れとやらは見えない。
領民たちってマサイ族並みの視力なの?!
「壁までやって来ると外の様子が全く分かりませんね」
アルフレッドが壁を見上げながら呟く。
「とりあえず馬から降ろしてちょうだい」
子どもって本当に不便。
キースとヒッチも馬から降りて、おんなじように壁を見上げている。
東西南北に見張り台みたいなのを置く?
「シャーロッテ様に報告した際、梯子を持って来るように言ってありますので、少しお待ちいだけますか」
お! ヒッチ気が利くね。
「そう。助かるわ」
程なく男たちが梯子を持ってやって来た。
「村で一番長い梯子を持って来たのですが……」
持ってきた男が申し訳なさそうに言うけれど、まあ仕方がない。
壁に立てかけてみたけれど、三メートルほどしかないので、五メートルの壁のてっぺんには届かない。
「キース。お前ならいけるだろ? 壁の上から見てみろ」
「はい」
アルフレッドに命じられたキースは軽やかに梯子を上り、両手を伸ばして壁のてっぺんに手をかけると、器用に梯子を蹴って体を持ち上げた。
軽業師みたいな奴。
「へぇ。随分と身軽なのね」
「はい。キースは背も高いのでこういうのは得意なんですよ」
上りきったキースは壁にまたがって遠くを見ている。
「どうなの? 何か見える?」
私の呼びかけにキースはぎこちなく振り向いた。
「……シャーロッテ様」
「何よ」
「……ています」
「は?」
「こっちに向かっています!」
「何が?」
「ホーンラビットです!」
ホーンラビットって?
私の「それなあに?」という顔を見たアルフレッドが教えてくれた。
「お嬢。ホーンラビットは個体ならそれほど厄介な相手ではありません」
「ふーん。ホーンラビットってどうやってやっつけるの? 一対一ならキースでもやっつけられる? そもそもどれくらいの強さなの?」
「お嬢……」
「そんなことも知らないで開門を急げだとか、それっぽいことを命令したんですか?」って言いたそうだけど、言わせないよ。
「とにかく生身の体のあなたより壁は何十倍も強いから安心して。それで?」
「あ、はい。基本的には動物と同じなので殺し方も同じです。ただ額に角があるので、それで急所を刺されると危ないので、用心しながらの戦いになりますが」
なあんだ。角以外は動物と同じなんだ。
「キース! それで何頭くらいいるんだ?」
「あ、アルフレッド様。数えられません」
え?
キースって、素早くカウントできる特技を持っていなかった?
どゆこと?
「む、群れが、群れで向かって来ています」
ん?
「お嬢! 群れとなると少々厄介です。興奮した状態で壁に激突でもしたらどうなるか……」
「ねえ、アルフレッド。あなたの言う壁って、何で出来た壁? 土? それとも木? まさかの鉄とか?」
「え? 普通に土や木や石といった物ですが?」
「ふーん。土や木や石の壁なら、ちょっと心配っていう感じなのね。じゃあここの壁は大丈夫だと思うわ」
「は? もしや、お嬢の作ったこの壁は鉄でできているのですか? お嬢、土魔法の中でも、土中の特定の成分を抽出してここまで成形するなど、昨日今日魔法を使い始めた人間にできることでは……」
「今は壁のことはいいから。それで、ホーンラビットって壁に気が付いたら方向転換するくらいの知能はあるの?」
まっすぐにしか走れないから、壁があったら次々とぶつかってくるとか、そういう習性はないよね?
四六時中、ダーンダーンと音がするのは気持ち悪いぞ。
「そもそも群れで突進している状態が普通じゃありません。おそらく相当恐ろしい魔獣に追われて興奮状態になっているのでしょう。壁に激突するまで壁があることにすら気が付かないかもしれません」
何それ?!
もうヒッチたちが不安そうにしているじゃないの。
「あっ。来ます!」
キースめ。実況中継はいらないんだよ!
領民を怯えさせないでよね!
しばらくすると、「キュー」とか「ウー」とかという鳴き声と共に、ドドドドドと地面を揺らす音が聞こえてきた。
「あぁぅっ!」
とうとうキースは言葉とも悲鳴ともつかないような声を発した。
「ねえ、アルフレッド。このダンダンドタンドタンという音は、もしかして、おかしくなったホーンラビットが壁にぶつかってるの?」
「そう――みたいですね。キース! どうなってる? 壁は大丈夫そうか?」
「うわっ。あ、あ、あ、あ……」
もぉー。役に立たない奴め!
「どうなの? 逃げなくても大丈夫そうなの?」
「はっ、はい。というか――」
「というか? 何?」
「山に……山が……ホーンラビットの山……」
「もう何を言ってんの!」
こりゃ駄目だ。
「アルフレッド。あなただって背が高いんだから上がれるんじゃないの? 手は届くでしょ? キースが上から引っ張れば同じように座れるんじゃない?」
「そうですね。では私も上がってみましょう」
ヒッチたちが慌てて梯子を押さえ、アルフレッドが上っていく。
梯子の最上段を蹴ったアルフレッドとタイミングを合わせてキースが彼のベルトを持ち上げた。
「どうなのアルフレッド? ちゃんと報告して!」
「お嬢……これは……」
お前もかっ!
「ふ……ははは……あっはっはっ」
は?
「ちょっと! アルフレッド!」
「お嬢。心配はいりません。全部終わりました。ヒッチ!」
「は、はい」
まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったヒッチは、驚きながら返事をした。
「そうだな……十人ほど連れて、ありったけの荷車をこの壁の向こうまで持ってきてくれ。西の門から回ってくるといい。俺とキースは先に向こうへ降りる」
「は、はい!」
「あ、その前に、その梯子を持ち上げてくれ」
「はい」
本当に向こう側へ降りるつもりらしく、アルフレッドとキースが二人がかりで梯子を受け取り、反対側へ下ろした。
ヒッチは、「それではシャーロッテ様、私はすぐに支度をいたします」と言って、走り出した。
梯子を持って来た男たちも、ヒッチと一緒に馬を連れて小走りで帰って行く。
あー、焦ったい。私もこの目で見てみたいんだけど。
一体、何がどうなってんの?
――と、イライラしていたら、はたと気が付いた。
「あっ! ちょっと! 私はどうやって屋敷まで帰るの‼︎」
壁を見上げると、既にアルフレッドとキースの姿はなかった。




