第一章 隠れ葵
徳川吉宗の相棒と思わしき大岡忠相の子が、実は吉宗の隠し子と言うアイディアから「新吾十番勝負」に「大岡政談」の要素を組み込み作成しました。名奉行と誉高い大岡忠相の裁判をモデルにした創作、大岡政談を主軸としています。強引且つ無理があるかもしれませんが、あくまでフィクション作品ですのでそこは長い目で見てください。怪傑白頭巾シリーズと並行して作成しています。どうぞご期待ください!
「御前!御前!!」
吉原の料理屋「喜乃字屋」の廊下をどたどたと走り回るのは、吉原の顔役的存在で置屋を束ねる夢楽楼の主である甚右衛門の配下として、主に支払いの滞った客の取り立てを業とする銀次だった。
「おや銀さん、どうしたね?」
出迎えたのは、仕出しの配達等が務めである又蔵だった。
「又さん、午前は来ているかぇ?」
「御前かい?御前なら仕出しを届けてくれるっていうから、桔梗屋まで行って貰ってるよ。」
「おいおい、なんて扱いをしてるんだ?」
木で誂えた椅子に腰かけ、ようやく落ち着いた銀次が又蔵に言った。「喜乃字屋」は吉原の大門を区切り、道を挟んで吉原面番所の斜め向かいにある料理屋だ。喜乃字屋は主に仕出しを店へ持って行く事が主だが小料理屋を兼ねており、客によっては見せの中で酒と肴を楽しむ事も出来る。
銀次は年の頃二十三か四と言った所だろうか。「すっぽん銀次」と呼ばれる付き馬屋の銀次は、つけ払い以外は花魁の髪結いや箱屋も生業としており、「よろずや銀次」と呼ばれ信頼されている。
「ここの旦那もひでえよなぁ、御前はれっきとした御旗本なんだろ?」
「何でも夢楽楼の元締が世話になった、御大身の身内なんだとさ。」
「そんな御人がどうして吉原に入り浸ってるんだい?」
「さあ、俺にも解からねえ。」
銀次と又蔵の話し声が聞こえた様で、喜乃字屋の主である善兵衛が銀次に話しかけた。
「おう銀次、今日は付き馬の用事はねえぞ?」
「善兵衛さんに無くても、こっちにはあるんだよ。」
「何だ?込み入った事か?」
「そうだよ、だから御前に助けて欲しいとここまで来たんだ。」
「そんなに難物なのか?」
首をかしげながら善兵衛は聞いた。
「そりゃあもう、相手は寺社奉行を務める阿久津家の三男、阿久津兵馬さね。大名の家柄を笠に着て方々で好き放題。今日はどうあっても取り立てなきゃならねえってんで、おいらがここに来たって訳だ。」
「成程、二本差しがらみか。」
「でなけりゃおいらだけで何とかするよ。」
苛立ちながら、机を指の爪でコンコンと叩きながら銀次は言った。
「次男三男ってぇ奴は、どうしてこう行儀が悪いんだろうねぇ。」
「おいおい、御前も同じだぜ?」
「いやいや、御前と兵馬じゃ月と鼈だ。」
首を横に振る銀次に対して、今度は又蔵が口を開いた。
「しかし、御前も変わってるなあ。」
「何がだい?」
「幾らご妾の子とは言え、かの名奉行大岡様の実子なのに・・・。居候を決め込むだなんてさ。」
「宮仕えは大嫌いだ、って言ってたぜ。」
「解らんでもねえな。」
そうぶつくさと話していると、盆を三つばかり抱えながら暖簾を潜る男の姿があった。髪は馬の様に後ろ手に結び、金の刺繍で誂えた煌びやかな着流しを来た二十絡みの若侍、大岡新吾忠宗だ。身の丈は六尺近く、長身痩躯だが華奢ではなく無駄な肉の落とされた体格。容姿端麗で優し気な親しみやすい風貌。素浪人にも見えたが、にじみ出る気品は他とは違っていた。
「おや御三方お揃いで。」
「新さん、お帰りなさい。」
「おぅ、きちんと桔梗屋に届けて来たぞ。」
「御苦労掛けやした。」
盆を又蔵に渡すと、銀次と目があった。
「おぅ銀さん、また揉め事か?」
「御前、帰って来たばかりで申し訳ありやせんが、力を貸してください。」
「察する所、阿久津兵馬の一件か?」
「御名答、またあの野郎散々飲み歩いた挙句に「儂は大名ぞ」だって口幅ったい事を抜かして払いを渋りやがったんでさあ。相手は腐っても武士、そこで御前の直心影流皆伝の腕前をお借りしてえんで。」
「それで俺の所に来たと言う事か、まったく厄介ごとばかり回しおって。」
「御前、銀次が気の毒ですから何とかお願いいたしやすよ。遊女にもその日の暮らしがあるんですよ、虐げられた女たちの為にお願いしますよぉ。」
ふぅと溜め息を付いて見せた新吾。
新吾は身分こそ旗本だが、ただの部屋住みだ。実父は名奉行と誉高い南町奉行、大岡越前守忠相の子。聡明で知られる大岡忠宜に比べて出世栄達は望まぬ遊び人だ。
大岡越前も手に余る放蕩息子だと揶揄されているが、そんな事はどこ吹く風。挙句に吉原に居候も同然に入り浸っているものだから、余計に周りからは極潰しと揶揄されている。
しかし新吾は、件の阿久津兵馬とは違って偉ぶる様子もなく気さくで、江戸の庶民特に本所深川の様な花街や吉原と言った遊郭の連中は新吾を「浮雲の御前」と呼んで頼りにしているのだ。
「お前の立場などどうでも良いが、暮らしが掛かっていると聞いては無下に断る訳にも行かぬ、引き受けよう。」
「助かりやす!」
「阿久津家の住まいは、確か日本橋本町であったな。」
「へい、左様でございます。」
「相手が何者であろうと、無用な殺傷は断るぞ?」
「そりゃあもう、良しなにしていただけりゃあ十分で。」
「何が良しなにだ、ではまた行ってくる。親方、帰って来たら一杯飲るから何か見繕ってくれ。」
「へい、承知しました。」
そう顔を覗かせた花板の清吉に言うと、京四郎は銀次と共に日本橋本町に向かうべく駕籠に乗り付けた。
銀次に頼まれ、ぶつくさ文句は言うも必ず引き受ける新吾。二人のやり取りは、何時もの光景だ。殿さまと家来と言うか、身分を超えた友の様な間柄だ。権力をひけらかし、吉原遊女を虐げている侍。相手は大名家、厄介な揉め事と言うのは火を見るよりも明らか。しかし、この新吾に任せておけば万事大丈夫だ。喜乃字屋の連中も吉原会所も、そう信じて疑わなかった。




