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承……(3-15)

 本当は大切だった少女を失ってから二日後、大雨の中で僕は十人近くにボコられていた。散々罵倒も浴びせられたが何一つ覚えてはいない。


 ただ、殴り返そうとしたら歩の顔が浮かんで手が止まったのは嬉しかった。

 会えた気がして。


「なんだこいつ? 噂だけかよ」

 唾を吐きかけられ、立派な屋敷の門にボロ布のように投げ捨てられた。


「……場所を、教えてください」


 僕は小さく呟く。無意味だと分かっているけど、呟かずにはいられなかった。

 男達は無視して、門の向こう側へと消えていく。

 

 ……今日は【常無歩】の葬式だった。記憶しか死んでいないが、父親の要望で開かれるらしい。


 だけど、歩が記憶を失うのを早めた僕に会場は知らされなかった。

 どうにか歩の家だけは探し出し、会場を聞こうとしたらこのザマだ。


「雨が冷たいな……」


 そんな感想を漏らしてみたが、思ったより響かなかった。

 歩との思い出にかき消されるみたいだ。


 一番強烈だったのは……桜。


 今にして思えば。

 あの物語は僕のために語ってくれたんだな。


「ああ――」


 ――『桜の英雄』に、なりたかったなあ。


 かつては悪党だったけど、人の優しさを知れた英雄。

 なんて……なんて羨ましい。


『優しい……少女がいました』


 気付けば、口が動き出していた。いつかの歩の猿マネだ。


『少女は……救えないはずの……少年を救います』


 馬鹿で拙い言葉の羅列。

 救われないガキが紡ぐ、物語の成り損ない。


『少年は少女に感謝し……。

 いつまでも、いつまでも、一緒に笑っていました』


 感動もなければ、技術もない……白状すれば、ただの嘘だ。

 それでも僕は一言だけ、言いたかったんだ。……この曇り空に。


『その笑顔は……まるで、雲一つない青空で。

 いつか来る旅立ちを世界に祝福されるようでした』


 僕は曇天へと手を伸ばし――戯れに、題名なんて付けてみた。


『さようなら』


 ぐっと、手を握る。


「……っ!」


 ――何、だ?


 気力を失っていたはずの僕でも驚愕を隠せない。

 手を握った瞬間、雨雲に巨大な穴が開いたのだ。


 ――まるで、僕がやったみたいに。


「……そんなことが、あるわけ」


 僕に幻想文学が創れるはずはない。検査等もやったが……結果は適正なし。

 そもそも、今みたいな駄文が幻想文学になるはずもない。


 気のせいだと、異常気象か何かだと、結論付けようとした時、


「あんた……すげぇなぁ。あんな適当な話で、天気を変えるのか」

「……誰、だ?」


 痛みに呻きながらも声の元へ目を向ける。

 肩で揃った燃えるような赤毛と濃い茶色の瞳が情熱的な若い女性だった。


 服装は使用人のものだが、態度は横柄そのものだと一目で分かる。

 ……そうでなければ、これほどの怪我人を蔑むように見下ろすことは出来ない。


 懐に手をやる。


「……くそ」


 自分が丸腰だと気付くことすら、出来なかったのか。

 いつしか僕は――ナイフを持ち歩くことさえしなくなっていたらしい。


「じゃ、挨拶をしようか」


 女性はふう、と息を吐く。

 途端に表情から所作まで一変させ、恭しく礼をした。


「『幻想世界』執筆者が一人。人物担当【刃間想現】の使いで参りました」


 ――今、なんて言った? 執筆者、だと?


「随分と、態度が違うんだな」

 どうやら今の対応は一瞬のものだったらしく、女性の雰囲気は元に戻っている。


「当然だ。あたしが敬意を払う相手は主人である【刃間想現】だけ。他は知らん……だからこそ、主の名を正式に出す時だけは最大の礼儀が必要なのさ」

 

「それで……肝心の用は?」

「待て待て、急ぎすぎだ。少しはあたしの事情も察してくれよ」


 言いながら口元を歪ませた。

 どこか愛嬌のある笑みだった。


「こっちはワクワクしながら来たんだ。

 あのジイサンが、死ぬ間際に面白いガキがいるって連絡してきたんだぞ?」


「そうかよ。……執筆者ってのは」


 僕は相手の話を流して聞き返した。

 そうせざるを得ないほどの、単語だった。


「もちろん本当さ。本人の要望で世間には伏せてたけど、正真正銘の執筆者だ」

「執筆者……」


 それは、この世界の創作者である三人を指す言葉だ。

『物語』『人物』『世界観』

 この三つを分担した、世界の語り部。……旧世界で言う、神の立場だ。


「しかし、この死にかけたような悪ガキが……化け物の器かねぇ?」

「……」


 答えはせずに、睨みつけた。


 ――そうだ。この女が執筆者の使いだったから何だ。


「まあ、あたしは忠臣だから訊ねるけどね。伝言だよ」


 独白するようにふと視線を逸らし――戻して告げた。


「叶えて欲しい望みはあるか?」

「え?」


 ……何を言っているのか、理解が出来なかった。


「おいおいおい、呆けないでくれよー」

「一体どういう……」

「簡単だろ! 執筆者が、あんたの望みを手伝えと。最期に命令したんだよ」


 ――僕の、望み?


 何だろうかと考える。もしも何でも叶うのだとしたら……。


 ――歩の記憶を戻してくれ?


 心の底から、そうして欲しいと思った。でも、矛盾症候群は避けられない。そもそも……どうせ僕は歩を不幸にすることしか出来ないだろう。


 ――僕を殺してくれ?


 叶ったら、どれだけ世界のためだろうか。でも……同時に僕を責める声も聞こえた気がした。お前は自分を救うことを諦めるのか、と。反論は出来なかった。歩は僕をも救おうとしたのだから。


 ――世界の結末をハッピーエンドにしてくれ?


 執筆者ならば、可能かもしれない。

 しかし、幸福な世界の中に歩はいない。


 何より、僕自身が……そんな望みは絶対に叶うはずがないと思ってしまう。

 それは僕の望みとは、言えないだろう。


 こんなふざけた……冗談のような問いかけに散々悩んだ挙句、震える口を開いた。


「僕は……」


 自分の望みを口にする。ただそれだけが、たまらなく恐ろしかった。

 だけど……僕は確かに、そう望んでいたんだ。


「――僕は《善人》になりたい」

 女性の目が、大きく見開かれる。


先ほどの幻想文学を見た後の表情などとは比べ物にならないほどの驚き方だった……まるで、有り得るはずのない奇跡を見たかのような。


「誰かが死んだら悲しめるように。

 自分が誰かを好きになったら、気付けるように。

 ――世界の幸せな結末を想像することくらいは……出来るように」


 女性は続きを聞くと、笑みを浮かべて少しずつ深めていった。

楽しい玩具を見付けたと言わんばかりの表情を睨みつけながら、僕は繰り返した。


「僕は《善人》になりたい……!」

 言い切ると、女性が満足そうに頷いた。


「……前言撤回。あんた、面白いなぁ。本当に化け物の器かもしれない。

 でも……今にも相手を殴り殺しそうだっていうのに、それを望むのか。

 やっぱりあたしの主人は見る目がある」


「あんたはどうするんだ?」

「もちろん、全力を以て手伝わせてもらう。叶うかどうかは知らないが……とりあえずあんたは刃間家に来い。あたしの新たな主人になってもらう」

「……は? 何を言ってるんだ、僕は」

「覚悟があるのなら、養子になるくらいは出来るだろう?」


 僕は唸り……時間が欲しいと、そう告げた。


「まあ、あたしは構わないさ。でも忠告はしておくよ?」

 そんな前置きをしてから、凶悪に笑ってみせた。


「《善人》になりたいのなら……あんたは、他人を助けるためだけに物語を語りなさい」


 僕と歩が創り上げた青空の下で、僕は善への逆走を決めた。

 長くて、あまりに急な上り坂……まずは、この駆け下りる足を止めないと。


 そのために出来ることは何だろうと考えて――

 

 ――僕は優月静夜をやめ【刃間静夜】となった。


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