2刻目 天使と悪魔
何時間が経っただろう。
サタは、まだ食い入るようにして辞書を読んでいた。
そこで、思ってしまった。考えてしまった。
「そういえば、私たちの名前って、えいごでなんていうんだろう?」
と。
まずは、エンから調べることにした。
「えん……エン……あれ、これなんだろ」
エンジェル。その言葉に、赤で二重丸が描かれていた。その文字を凝視する。
天使。天使のような人。
意味として、そう書かれていた。
「へえ……!もしかして、エンって、天使がもとになってたのかなあ。丸がされてるし、きっとそうだよ」
わくわくしてきたサタは、「サタ」を探した。
「さた……サタ……」
そのページを開いて、サタは息をのんだ。時間が止まった気がした。
サタン。
悪魔、魔王のこと。
そこに、くっきりと赤い丸がされていた。
「やだ……まさか……まさか、まさか」
私は、しばらく動くことができなかった。
もし、これが、サタの名前の元だったら。もし、そうだったとしたら。
「サタが生まれた瞬間から、もう、エンとサタは別に扱われたの? 悪魔と、天使……」
「サタちゃーん! エン、ピアノ、終わったよ! どう? 何か、勉強できた……って、あれ、なんで泣いてるの?」
もう、ダメだ。お母様を笑わすことなんて、ずっとできない。だって、サタは、悪魔だから。生まれた瞬間から疎まれた、サタンだから。
「ねえ!サタちゃん??サタちゃんってば!」
サタは、なんでここにいるのだろう。天使のーーエンの、引き立てのため?王族の人気のため?
さえわたった頭が、急速にまわる。まわる。
ーーーーがたん!!!
「サタちゃん!!!!?」
暗い闇に吸い込まれた気がして、急に意識が途絶えた。
「……サタは、生まれた時から気味が悪かったわ。なにしろ、紅と涅色のオッドアイですもの。縁起が悪いといわれている、代表的な色じゃないの。そりゃ、悪魔よ、悪魔。でも、全国に、双子が生まれたって公表しちゃったじゃない?消すことなんて、できないじゃないの」
遠くでお母様の声が聞こえる。
消すってなんだろう、とぼんやりと考える。
「ああ。この子は悪魔だよ。でもサタの名前について、よく他の王族の者が、サタンが由来してるとわからないよな」
この声は……お父様?
「ええ。でも、バレたら終わりよ。まあ、悪魔の子が生まれてきたせめてもの腹いせよ」
「そうだな……。そういや、サタが倒れてた図書室で見つかった、こいつが読んでたらしい本が、二人の名前の由来を決めた辞書だったんだ」
「へえ。でも、この子、字なんて、ましてや英語なんて、読めやしないわよ」
「ああ、そうだな」
ああ、もっと寝ていたらよかった。じわり、とこぼれる涙を隠すように、サタは布団をそっと引っ張った。
「さ、サタちゃんー!!大丈夫??」
どたどた、という足音。エンの声がした。
「あら、エン。どうしたの、そんなに走って」
急に、お母様の声が甘くなる。
「だって、サタちゃん、大丈夫かって、怖くって」
「まあ、なんて優しい子。本当にかわいらしい」
その声を無視するようにして、エンは私の上に乗っかってきた。
「ねえ、サタちゃん!大丈夫?!」
私は、ゆっくりと目を開けた。
「エン……重い」
「わ、ごめんなさい」
お母様の目が険しくなる。
「サタ。敬語を使いなさい! これで何度目だと思ってるの! それに、重いだなんて、エンは心配してくれているのに!」
「サタちゃんを責めないで!」
エンが悲鳴のような声を出す。
「私だって、敬語じゃないのに。なんでサタちゃんだけ……」
サタは、そっとエンを抱きしめた。
困ったように、お父様とお母様が顔を見合わせる。
サタは、唇をかみしめた。
「悪魔と、天使。サタンと、エンジェル」
そう、つぶやく。二人はびくっと肩をゆらした。
サタは、寝室から飛び出した。
「ま、ちょっと、サタ、待ちなさい!」
「サタちゃん!!」
廊下を走った。涙が頬に突き刺さる。それくらい、速く、速く走った。このまま、風になれたらいいのにと思った。
もう限界まで走り、派手に転ぶ。そこは、数時間前いた、裏庭だった。
過去に戻れたらいいのに、と泣きじゃくりながら思う。そうしたら、あの事実を知ることもなかった。
「う……うう……」
冷たい風が、頼りなげにドレスの裾をはためかせた。
「サタちゃん。おはよう」
目が覚めた。視界のまぶしさに、目を細める。朝が来ていた。
サタは、いつの間にかベッドの中にいた。きっと、執事さんが運んでくれたのだろう。
私は手を伸ばし、私のベットの上に乗っかっていた、エンの顔をはさんだ。
「むう」
「エン、ありがとう」
エンは少し首をかしげたが、すぐに笑顔になった。
「うん!」
食堂には、すでにお母様とお父様が着席していた。
サタの顔を見ると、二人の顔がややこわばった。
「……ごきげんよう」
やや伏せ気味に、サタはドレスの裾をつかみ、ひざを曲げる。
「……ええ」
お母様は、こちらを軽く睨み、そしてすぐに違う方を向いた。
お父様は無表情で、何を考えているのか、分からなかった。
その日の朝食は、サタとエンの大好きなクロワッサンが出たが、全く味がしなかった。
「ごちそうさまでした」
そう言って、サタは足早に食堂を去ろうとした。すると、お父様の咳払いが聞こえた。
「サタ、今日はそろそろ、他国の王族の方が、この宮殿に来られるそうだ。マーガレット嬢やクライン殿下も来るそうだから、しっかりとおもてなしをするように」
マーガレット嬢。それに、クライン殿下……。サタは身震いした。サタは、この二人が苦手だ。二人は兄弟で、サタとエンと、年齢も近い。嫌いな理由は、いつもうるさく派手で、そして暴言ばかりを吐くからだ。
「……」
「わかったなら返事をしなさい。それに、昨日の件について、話が……」
サタは、慌てて頭をさげて、部屋へと駆け出した。
「サタ!!!」
お父様の怒声に震えながらも、サタは振り返らずに足を進めた。
部屋へ入ろうとした時に。ゴーン、とベルが鳴った。
マーガレットと、クラインが来たのだ。
サタは、震えて動くことができなかった。
目をつぶって、どうか、穏便に今日が終わりますように、と願った。
「あーら、誰かと思ったら、サタ嬢? おほほ、いつ呼んでも可笑しい名前ね」
いつの間にか、マーガレットがサタの後ろにいた。
「うわ、ほんとだ、サタだ。変なの」
クラインも、いやな笑い方をしながらも近づいてきた。
出そうになる涙をこらえて、サタは震えながらも、軽く礼をした。
「ご、ごきげんよう、マーガレット嬢、クライン殿下」
「あんた、ほーんと、気に食わないのよねえ」
マーガレットは、サタの髪をつかむ。
「いや、やめて!」
「何をしているのです?サタちゃんから離れて」
その声に、マーガレットは慌てて礼をした。
「こ、これはエン嬢」
エンだった、エンは、サタの手を握って、二人をにらんだ。
「サタちゃんを傷つけないで」
エンがマーガレットをにらんだ。
すると、緊迫した空気を壊すように、クラインが西棟を指さした。
「あそこ、行きたい」
西棟は、いやな空気に包まれていた。サタは、ぶるっと身を震わした。
クラインは、一度言うと、それが叶うまで泣きさけんで駄々をこねる。終いには、部屋を荒らされたり、暴力をふるってきたりする。そのため、クラインの言うことは絶対なのだ。
西棟は、本当は、絶対に入ってはならない場所だ。クラインのせいだ、とサタはため息をついた。
昨日のことといい、精神的な苦しさで、今も気分が重い。サタは、これからどうしていけばいいのだろう、ともう一度ため息をついた。
西棟には、とがった武器や、大きなさび付いた鎧などが並んでいた。ほとんど物置状態だ。
それらに、いちいちクラインが手を伸ばすため、それを制するのに精一杯だ。
しばらく進むと、大きな扉が見えた。開閉絶対禁止。そう書かれたシールがべたべたと貼られている。
サタにはその漢字が読めなかったが、危険な気配を感じた。
「ち、ちょっと、やめよう、帰ろうよ」
サタは、震えながらも声に出す。
「へえ、ビビりなのね。ほーんと、気持ち悪い」
マーガレットは、サタを見て、嘲笑った。
「マーガレット嬢、やめなさい」
そうエンが言ったのと、大きな音が鳴ったのは、ほとんど同時だった。
「え……っ」
おおきな扉が、ゆっくりと開いていた。そして、中からあふれるようにでてきた、鉛色のもの。
「わ、わーっ」
クラインが、悲鳴を上げている。
「ば、バカ……!」
大量の、武器。その扉の奥には、とがった武器や重そうな武器が、ぎっしり入っていた。
ごごごごお、という、聞いたこともない轟音が、サタたちを襲った。
武器が、鉛色の雨が、降ってきた。
意識が戻ったのは、三日後だった。
ぼんやりとした視界の中、大量の人、人、人が見えた。
みんな、泣いている……?
「わあああああっ」
泣き声に、サタは声の方を見ようとして、鋭い痛みに襲われた。体には、沢山の包帯が巻かれていた。
そこで、ああ、大けがをしたんだ、と分かった。
「わあああああああっ」
痛まないように、私はゆっくりと顔を動かし、そして絶句した。
布をかぶせられた、なにかがあった。大量の人々は、それを囲んでいる。
ーーー死体だ。そう、本能的に分かった。
「サタ!! 目覚めたのか!!!」
お父様の声が聞こえた。
「あれほど西棟に入ってはいけないと、言っただろう!!!」
ごめんなさい、と声にだそうとし、口が動かないことに気付く。ああ、包帯を巻かれているからだ。
「そのせいで、マーガレット嬢が死んだんだぞ!」
息ができなかった。まさか、死んだなんて。マーガレットが。
「誰がたくらんだんだ! 誰が開けたんだ!!」
サタは、言葉を発そうとした。クラインが。クラインがやったんだって。
「うわあああああああっ、あああ」
泣き声はクラインのベッドから聞こえていた。
そのベッドから、クラインの包帯だらけの顔が出てきて、悲鳴を上げそうになる。
クラインが片目に眼帯をつけているせいか、ますます怖い。
「……だ」
「なんだい、クライン殿下」
お父様が声の方を見る。
「……サタが、やったんだ」
あたりがざわつく。
「サタが西棟へ行こうって言って、あの扉を開けた!お姉ちゃんを殺した!!全部、サタが悪いんだ!!!」
視界が白い。
あたりが急に静かになる。
「サタ。お前、」
お父様の声が、沈黙の中響く。
「お前は、死刑だ」