第51話 よみがえる恐怖
魔物「ゲコゲコ~」
リーヴェ「来るかっ」
リジェネ「待って下さい。何か……」
1匹のギフトフロッシュがこちらに走って来るのが見える。単体ならと身構えたリーヴェ達だったが、様子がおかしい。
僅かに霧が出てきた先、迫ってきたカエルはリーヴェ達と接触する前に細がないものに巻かれて消えた。テラテラと艶のある……あれは舌だ。しかも大型の生物だと思われる。
決定的な瞬間が見えて訳ではない。だが、カエルの魔物が食われたのだと直感できた。
今ならまだ逃げられるか。視線は前方を向いたまま足が後退った。泥が跳ねる音がいやに大きく聞こえる。
魔物「ヴガァァ――!!」
ラソン「ダメだ。こっちに気づいてる」
激しい地響きとともに、泥を派手に跳ねさせ巨躯の泥塊が迫って来た。短い手足と長い尾をもつトカゲ。
その姿を見た瞬間、リーヴェの記憶は途切れた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リーヴェは必死に手足を動かし藻掻く。瞼を閉じてぬめる泥を掻き、顔を出しては息継ぎをし助けを呼んだ。幼い声音。手足に絡まる泥が奥へと引き込もうと蠢く。怖い、気持ち悪い。
助けて、誰か助けてと満足に言葉にならない声を張り上げた。
アルラート「リーヴェ!!」
声変わりしたばかりの少年の声がリーヴェを読んだ。それとは別に幼い少年の声も聞こえる。
一面が泥の怪物と化したそこそこ広い池の畔に少年2人の姿が現れる。14歳と9歳の、白銀の髪を持つ兄弟だ。
フェラーノ「氷打衝!」
岸辺に走り寄ったフェラーノが冷気を纏った右拳を泥沼に叩きつける。鋭い音を立てて泥が瞬時に凍りついていく。
全体が凍りついたの感じ取って横にいる第1王子アルラートに声を投じた。
フェラーノ「兄貴、今のうちだ」
アルラート「ああ」
アルラートが応じ、持っていた槍をその場に残して足を踏み出す。リーヴェを助けて退避するのに余計な荷物を持って行くのは避けたい。
フェラーノが氷を維持している間にアルラートが氷上を滑り、高く噴き出した塊を熱を帯びた手刀で素早く削る。中にリーヴェがいるので武器や魔法は使えない。
アルラートの魔法はただでさえ火力が高いので、救助活動に使うには危険なのだ。まだまだ未熟な自分では尚更だった。
熱を帯びていても氷を素手で削っていくのは大変である。手には無数の小さな傷を作り、時間との戦いを強いられながらリーヴェを泥塊の中から引っ張り出す。すぐに自分が来ていた外套をリーヴェに纏わせ、優しく呼びかけると凍ったショックで気絶していた彼女が目をかました。
リーヴェ「うわあぁぁぁ~ん!」
助けに来た兄の姿を見た途端に大声を上げて泣き出した。まだ6歳のリーヴェには相当に恐ろしい体験だったと言える。
兄上、と縋りつくリーヴェをアルラートが背をそっと擦りながら宥めた。
フェラーノ「もう限界……早くっ」
アルラート「わかった。もう少し堪えてくれ」
フェラーノ「おう……」
蠢く泥を凍らせ続けるのは労力がいった。完全に凍らせたはずなのに、見えない力でヒビが入りそうだ。ピキピキと氷が音を立てている。
冷気を放出し、操作しているフェラーノの全身は小刻みに震えていた。
アルラートが泣きじゃくるリーヴェを抱えて氷上を滑り岸へ向かう。無事に陸地に降り立ったと同時に氷が音を立てて砕け散った。泥の怪物が咆哮じみた声を上げる。
声を聞いて縮こまったリーヴェを背に庇い、まだ少年の兄弟が怪物を睨めつけた。アルラートは敵を睨みつけたまま膝を折って槍を拾う。身体の向きは変えずにゆっくりと距離をとる。
十分な距離まで後退した直後、アルラートが手に持った槍の切っ先を怪物へ向けた。両手でしっかりと槍を構える。
アルラート「チスパティーロ」
フェラーノ「……怖っ」
槍の先端から火花の塊を放つ。炎の魔法ダメージだが、技なので詠唱はない。
うおぉぉ、と気合いを入れて連射していくアルラート。いつもはもっと穏やかなのを知っているフェラーノは、怖いなと感じた。完全にスイッチが入っている。怪物は悲鳴すら上げられなかった。
フェラーノ「ストップ! 兄貴、もういい。倒せてるって!」
アルラート「え、あ、あれ……」
フェラーノが身体を張って兄を止める。強引に槍を抑え、声をめいいっぱい張り上げた。我に返ったアルラートはキョトンとしている。さっきまでの恐ろしい形相は嘘のように鳴りを潜めていた。
フェラーノ「相変わらず、凄まじい威力だったぜ……エクサルシスを使ってたんじゃないか?」
エクサルシスとは一定時間、自身の防御力と精神力が下がる代わりに攻撃力と知識力を大幅に上げるスキルだ。
アルラート「……そう、かもしれないな。思わずカッとなってしまった」
フェラーノ「頭に血が上っても、狙いは正確だし頼もしいけどよ。さすがに怖いって」
リーヴェ「…………ひっく」
リーヴェも、あまりの事に涙が止まっている。気づいたアルラートは急いでリーヴェのケアを行う。
アルラートがリーヴェに掛かりきりになっている間、フェラーノは怪物だったものに近づいた。
フェラーノ「あーあ、カッラカラのパッサパサだ」
こうなってくると哀れとしか言えない。うっかり同情してしまいそうだ。
フェラーノ(でも、まあ兄貴の逆鱗に触れちまったのも悪いんだよなぁ)
兄は家族を失うのを何より恐れている。自分も同じ部分があるからわかるのだ。また失う事になったら嫌だから、あそこまで過激になってしまう兄をフェラーノは強く止めることができない。
やり過ぎた時は止めに入るけど、少しくらい怖い一面があるのを否定することはできなかった。
アルラート「フェラーノ、帰るぞ」
リーヴェ「フェー兄上?」
フェラーノ「今行くよ」
少しだけ調子を取り戻したリーヴェは、大好きな兄と一緒に城へ帰るのだった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リーヴェ「……今のは」
夢? いや、眠った覚えはないしそれに。
リーヴェ「ここは、どこだ」
ラソン「リーヴェ、やっと正気に戻ったか」
セレーネ「あ、ホントだ。もーう、敵を前に放心とかすっごく大変だったんから!」
リーヴェ「え……」
ラソン「覚えてないのか?」
周りの景色を見るに、湿原を抜けてすぐの場所のようだ。
ラソンの言葉に肯定を示すリーヴェに2人が経緯を語ってくれた。
魔物「ガァァァ」
足と尾がある泥の塊が迫ってくる。
逃げなければと思うのに咄嗟には動けず、尻もちをついたり軽い痛みを与えるなどをして身体と意識の硬直を解く。硬直が解ければ、何も言わなくても身体が逃げの体勢に入ってくれる。
――ただ一人を除いて。
リジェネ「姉さんが」
リーヴェ「………………」
クローデリア「リーヴェさん動いてぇ!」
リーヴェ「………………」
まったく反応がない。敵との距離がみるみると縮まっていく。
ラソン「くそっ」
ラソンが戻って立ち尽くすリーヴェの手を掴む。手を引いて走り出すと、リーヴェの身体は素直に従っていた。本人の意識は飛んでいるようだったが、身体はちゃんと起きているみたいだ。
セレーネ「早くっ」
少し進んだところで叫ぶセレーネと2人が合流。セレーネが素早く背後に回り、リーヴェの背を押して走り出した。他のメンバーは先に行かせている。
彼女は足が遅いし、リジェネは万が一に備えてクローデリアの傍にいるようにしていた。分断されても大丈夫なように。
逃げながらリーヴェに何度も呼びかける。どこかで反応があるかもしれないという期待は、残念ながら叶わなかった。身体は動いてくれるのに、心が旅立ってしまっている。
再び雨が降り始めた。小雨程度の強さだが、湿った空気が体温を削ぎ、泥混じりの地面が更に柔らかくなって走り辛さが増す。
雨で視界が悪化し、前を走っているはずのリジェネとクローデリアの姿を見失った。
セレーネ「あれ、怪物がいない」
ラソン「逃げきれたの、か?」
開けた場所まで来て、急に背後の音や気配が消えた。雨音だけが響く。
ラソン「リーヴェ、しっかりしろ! おいっ」
リーヴェ「…………」
セレーネ「リジェネ達と逸れちゃったけど、とにかく今のうちに湿原から出よう」
ラソン「そうだな。えっと、出口は」
落ち着かない呼吸の中で向かうべき方角を探る。基本的に来た道を逆走したはずだから、出口は――。
リジェネ「皆さんっ」
セレーネ「あ、リジェネ」
雨足が緩み、小さな人影が前方に見えた。顔は見えないが、リジェネとクローデリアだ。リジェネの来ている鎧の弱い光と声のおかげで辛うじて判別できる。
2人の姿を見て落ち着いたラソンとセレーネが、リーヴェを引っ張って合流しようと足を踏み出したまさにその時。
魔物「ヴガァァァァ――!」
全員「っ!!」
両者の中間に、先程の泥塊が乱入する。
全員の表情が引きつった。リーヴェの手を握るラソンの手や、肩を支えるセレーネの手に力が込められる。逃げ切れたと思ったが違ったようだ。
どうしよう。リーヴェがコレではとても戦える状態ではない。逃げようにも、ラソン達の位置からでは退路が出口と反対方向になってしまう。
ラソン「リジェネ、クローデリアを連れて先に行け!」
リジェネ「ですがっ」
先に声を上げたラソン側に視線を向ける魔物。
まっすぐ対峙し、未だ足踏みをしているリジェネに叫ぶ。
ラソン「逃げるのが嫌ってなら、助けを呼んで来てくれっ」
セレーネ「何してるの、早く!!」
2人の言葉を受け止め、リジェネはきつく瞼を閉じ拳を握りしめる。震える身体を感じながら、すぐさま目を見開いて口を開いた。
リジェネ「わかりました。クローデリアさん行きましょう」
クローデリア「え、ええ……」
後ろ髪をひかれる彼女を先導してリジェネは走り出す。
今頃、クルイーク達は湿原の出口までたどり着いているだろう。早く、早く助けを呼びに行かないと。リジェネは気持ちに急かされながら足を動かし続けた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リーヴェ達が泥の怪物と遭遇した時、クルイーク達は無事に湿原を抜けることができていた。
クルイーク「いくら何でも遅すぎるな」
湿原から出てきてしばらくが経った頃、クルイークが呟きを漏らす。賢いだろう彼らが奥地まで入り込んでしまう事は考えづらい。ひょっとして迷ってしまっているのだろうか。
キャラバンの人々や仲間達の様子を眺めながら思案するクルイーク。
商人「ああ、しまった!」
クルイーク「騒がしいな。どうしたんだ」
商人「あの人達にコレを渡すのを忘れてましたっ」
言いながら、商人が麻袋を見せてくる。袋が動く度にカラコロと軽い音が響く。重さはないが、数はたくさんと言った感じの音だ。袋の大きさも、500mlペットボトルくらい。
当然ながら、中身について尋ねるクルイーク。
対する商人の返答もシンプルで、湿原の中で時々出没するヤバい魔物を怯ませることができる花粉球が入っているという事だった。
クルイーク「そんなにヤバい奴が居やがるのか」
商人「基本的には奥地にいるんだが、時々な。全身を覆う泥膜の所為で攻撃が通りづらいんだ」
強力な熱で泥の水分を一気に飛ばして膜を剥がせればいいが、妖精の力で属性を付与した程度の物理攻撃では効果が薄い。湿原の湿気に負けてしまうのだ。
かといって魔法で行うにしても、火力が足りなければ同じことだと言う。
最も確実で安全なのは、奴が苦手としている植物の花粉を詰めた球を直接投げつけて怯ませること。
まったく、なんでそんな大事な物を渡し忘れるのか。クルイークは思わず舌打ちした。
クルイーク「そいつを寄越しな。俺が届けに行く」
必要ないかもしれないが、嫌な予感がする。
商人「すみません」
盗賊「ボス、お供しやす」
元熱砂の牙である男が名乗りを上げた。クルイークは頷いて応じる。
クルイーク「よし、ついて来い。他の奴は護衛を続けろ」
盗賊達「了解ですっ」
クルイークは商人から受け取った袋を持ち、仲間を1人伴って湿原へと引き返えすのであった。




