第31話 水泡の乙女
リーヴェ達は身構えて周囲を見回す。だが視界に入る距離に、人影はおろか魔物の姿も見当たらなかった。気の所為だったのだろうか。リーヴェ達が構えを解こうとした時。
???「み…………たす……、助けて……」
リーヴェ「助けて?」
確かに「助けて」と聞こえた。しかし、いくら探しても何も見つからない。いったい何処から聞こえているのだろう。
不思議に思っていると、不意に足を何かムニョッとした感触が触れた。
リーヴェ「ひゃあっ!」
ラソン「どうしたっ」
セレーネ「ナニコレ……」
勢いよく飛び退ったリーヴェがいた場所に、奇妙な物が地面から生えていた。スライム状の青い物体だ。表面に艶があって、見るからに柔らかそうな手の形をしたモノ。しかも……動いている。
新手の魔物か、と武器を構えるラソンとセレーネをリジェネが止めた。
リジェネ「待ってください! 姉さんコレ、水のマナの塊……しかもこのマナの感じは」
言われて意識を集中してマナの波長を読む。天空人はマナに対する感覚が敏感だ。流れや性質を感じ取ることができる。そしてこの珍妙な物体から感じる気配でリーヴェも察した。
リーヴェ「皆、この場所を掘るんだ」
ラソン「な、なんだ? 何か埋まってんのか?」
リーヴェ「いいから早くっ」
ラソン「お、おう」
セレーネ「あ、あたしも」
全員でスライム的な物体が生えている真下を掘り始める。掘り進めていく程に、スライム的な物体は下へ下へと降りて行き……やがて、あるものに行き当たった。
ラソン「お、なんか出てきた……って」
セレーネ「ひ、人じゃないっコレ」
2人が息をのむ。砂の中から人形のような身体の一部が出てきたからだ。スライム状の物体が中に吸い込まれていく。
砂の中の身体はまったく動かない。ま、まさか……し、死体!? そう思いたくなる展開に慄くが。
???「ぷはぁ~、や~と外ですぅ」
セレーネ「い、生きてる」
ラソン「はは、脅かせんなよ」
???「すみませ~ん、引っ張って貰ってもよろしいですかぁ」
動けませ~ん、と言っている人物。まったく危機感のない声音だ。まだ全体の半分以上が砂に埋まっている。引っ張るにしても、もう少し掘らなければ。
ラソンとセレーネの脳裏にはある疑問も浮かんでいた。だが、先に掘ることを優先する。
――必死に掘ること数十分。
ようやく砂の中から女性? と思しき人物を救出したリーヴェ達。
???「皆さん、どうもありがとう御座いましたぁ。わたくし、クローデリアと申しますぅ」
クローデリアは杖を持った手でスカートを摘んで会釈した。仕草がお嬢様っぽい。彼女に倣ってリーヴェ達も挨拶と自己紹介をする。
クローデリアの外見は20代半ばくらいで、膝くらいまであるハニーブロンドの長い髪にアクアグリーンの瞳。クルンとした髪の毛先側が青系統のグラデーションになっていた。
服装は緑系で統一されていて、ジョーゼット生地とレースをふんだんに使った清楚なロング丈のワンピース。肩から上は下の服が見えるようにローブを合わせ、全体的にゆったりとした衣装だ。頭にはサークレットをつけている。肌は程よい白で身長はかなり高い。
耳が尖っていて長いのでエルフっぽい印象を受ける。
彼女の持っている杖は「楽杖器」と呼ばれる、楽器と杖の機能を持つ特殊なものだ。形状も両者が合わさった形をしており、彼女の故郷でのみ生産される珍しい武器でもある。
形状は組み合わされた楽器によって異なるが、どの楽杖器にも魔法道具として加工された「宝珠」が必ずあるという共通点があった。
セレーネ「それにしても、砂の中に全身が埋まってたのによく無事だったよね」
セレーネ(息とか苦しくなかったのかな)
クローデリア「だぁいじょ~ぶ。わたくし、砂に沈んだ程度では死にませんからぁ」
2人「えっ」
ラソンとセレーネが同時に声をこぼした。普通に考えてあり得ないだろう。砂だろが水だろうが他の何だろうが、呼吸ができなければ命に関わるはずだ。
2人の最もな疑問に答えてくれたのは、クローデリア本人ではなくリーヴェとリジェネだった。
リジェネ「2人とも、クロ―デリアさんは精霊界に住む精霊人ですよ」
セレーネ「……それで?」
リーヴェ「精霊人は呼吸しなくても活動できるんだ。だから窒息はしない」
2人「えええ、息してないの」
開いた口が塞がらないラソンとセレーネ。クローデリアは2人の様子を見てクスクスと笑いだした。
クローデリア「うふふ、お2人は精霊人に会った事がなかったのね~」
リーヴェ「いや、私達も水精人種に会うのは初めてなんだが」
リーヴェとリジェネが知っているのは、幼い頃に宮殿へ行商に来ていた地属性の精霊人だけだ。一度だけだったから、本当に精霊人の気配かどうか心配だったが。
言うまでもないが、クローデリアは水属性の精霊人だ。
先ほど覗いていたスライム状の物体はいわば本体で、色が青かった事から属性が水という事がわかる。一応本体も人の形をしてはいるが基本的にブヨブヨなのと、実態に曖昧な部分があるため人形の中に入っているのだ。
つけ加えると、精霊人には「苗字」というものが存在しない。
リーヴェ「クローデリア、貴女はどうして砂に埋まっていたんだ?」
ラソン「精霊界って異世界なんだろ。そこの住人がどうして此処に居るんだよ」
聞かれたクローデリアは非常にゆっくりな所作で思案し、思い出したように手を合わせる。
クローデリア「砂漠に入った辺りでサボテンさんに追いかけられまして~、逃げている内にニョロニョロちゃんが飛び出して、気がついたら埋まってましたぁ」
全員「…………は?」
サボテンまではわかるがニョロニョロって何だ。この人、説明がものすごく独特で理解しずらい。魔物を愛称で呼ぶ人を初めてみた。言葉の印象からしておそらく――。
セレーネ「まさかとは思うけど、クローデリアを生き埋めにしたのって……」
リーヴェ「っ、下だ」
――ドドーンッ、ズバッン。
急に地響きがしたと思ったら足元の砂が盛り上がった。全員が回避行動をとる。しかしクローデリアだけがコケた。かなり反射神経が鈍い。
地面から飛び出した巨大な長い物体がクローデリアに迫る。リーヴェが地を蹴った。
リーヴェ「危ないっ」
クローデリア「え……」
激しい音とともに視界が砂に埋もれる。気が付くと平穏な砂上に戻っていた。薄く砂煙を上げているだけだ。何が起きたのかまったくわからない一行。
ラソン「ケホッケホッ、皆大丈夫か」
セレーネ「あー、ビックリした」
リジェネ「あれ……」
1人足りない。いないのはリーヴェだ。
少し離れた所でクローデリアが座り込んでいた。3人が呆けている彼女に駆け寄る。
ラソン「クロ―デリア平気か。リーヴェは……」
クローデリア「……わたくしを庇って、ニョロニョロちゃんに」
リジェネ「え、姉さーん!」
全員でリーヴェを必死に呼ぶ。だが、答える声は当然なかった。
リジェネ「皆さん、姉さんを探しに行きましょう」
ラソン「もちろんだ」
セレーネ「うん、行こうよ」
クローデリア「あの~、わたくしも一緒に行ってよろしいでしょうか」
少し慌てて出発しようとした3人はクロ―デリアに向き直った。
クローデリアは落ち着いた所作で胸に手を当てる。
リジェネ「クローデリアさん、一緒に来てくれるんですか?」
クローデリア「はい。助けてくれた御恩もありますし、皆さんに同行したく存しますわ~」
ラソン「け、けど」
ラソンが彼女の格好に目を向ける。この人、杖を持ってはいるが戦えるんだろうか。見るからに動き回れるようには見えない。
クローデリア「だいじょ~ぶ、こう見えてちゃんと戦えますよ~」
ラソン「わ、わかった。よろしくな」
2人「お願いします」
クローデリア「はぁい、任せて下さ~い」
クローデリア(Lv25)が仲間に加わった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
【サブエピソード20 早く探さないと】
新しい仲間とともに、リーヴェを探すため砂漠を歩き回る一行。
リジェネ(姉さん、姉さん……どうか無事でいて)
リジェネは焦る気持ちを静めようと深呼吸をして捜索を続けている。落ち着いて、落ち着いて周りを調べなければ。大丈夫、姉さんはきっと無事だと信じて進む。
ラソン「大丈夫か?」
リジェネ「はい、平気です」
セレーネ「無理しないでね。きっと無事よ」
リジェネ「もちろんですよ」
互いに励まし合いながらリーヴェを探す。リーヴェは治癒もできるし、最低限の装備も持っている。今は大丈夫だと信じるしかなかった。
それにしても、さっきのアレは魔物だよな……どこへ行ったのだろう。
セレーネ「あれれ、クロ―デリアは?」
先ほどから声が全然聞こえない。ラソンとリジェネも気づいて周囲を見回した。この状況でもう1人逸れでもしたら大変だ。
3人でクローデリアを呼ぶ。
――ポ、ポーン。どこからか、ハープに似た音色が聞こえてきた。音を辿ると、発生源に彼女の姿を見つける。
ラソン「よかった、無事だったんだな」
クローデリア「あらぁ、皆さんどうしたんですか~」
ラソン「いや、姿が見えなかったからさ」
クローデリア「では遅れてしまったのねぇ、ごめんなさい」
とりあえずひと安心だ。
先を急ごうという3人を、クローデリアがやんわりと宥める。焦らない、焦らないと言って。
ポロン、と彼女が杖の弦を爪弾いた。瞼を閉じて耳を澄ませるクローデリア。でも、音だけを聞いているわけではなさそうだった。
リジェネ「なにをしているんですか?」
クローデリア「音を通じて周囲のマナに指示を出してるんですよ~。一緒に探して~、て」
セレーネ「で、結果はどんな感じなの」
クローデリア「う~ん、あっち?」
クローデリアが曖昧に一点を示す。他に手掛かりらしいものがなかったので、彼女の示す方向に向かうことにするリジェネ達だった。
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【タルシス辞典 精霊人】
精霊界ヴァルガンディアに住んでいる人々の総称。
身体がほぼマナで構成されており男女の概念がない。本人の人格に応じて男女どちらかに寄ったりしている。誕生した時から成熟した状態で生まれ、基本的に若い姿をしている。本体はスライム状。
決まった寿命を持っていないが、死期が近づくと急激に老い始めて身体はマナへと還る。生まれた時から属性を持ち、水精人種、地精人種、光精人種などがいる。ある事情から宿体を用いて活動している。
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