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TIPS There are two souls in the human body. ~Side : Kiyoshi~ その6

 至里はポインターのライトでスクリーンを指して言った。

「さきほど話した行動主義心理学はもちろんこの図にかかわってくる。しかし説明するにはさらにもう一つ要素を付け足す必要がある。精神科医の世界に身を置いている君達ならわざわざ説明する必要はないだろう」


 清心は学生時代に教師や教授に名指しされた時の緊張を思い出した。

 着席したかったが、至里の視線にがっちりホールドされていてさすがにできない。

 球磨川はちゃっかり座っている。周囲からのヘイトが緩んで至里に注意が向いた瞬間だろうなと、清心は恨めし気な視線を送った。

「(なんで一人で座ってるんですか)」

「(いや、元々オレには関係なかっただろ)」

 すまし顔で手をぶんぶんと左右に振る球磨川。抗議の意思をくじかれた清心は、深々とため息を吐いた。


「……清心君、だったか?」

「はっ、はいッ!?」

 いきなり名前を呼ばれた清心は、緊張が極限に達してガッチガチに固まってしまった。

 その様を実験動物のモルモットを眺める科学者の目で見やって、至里は訊く。

「君は箱庭療法を知っているかね?」

 それを聞いた清心の肩から若干力が抜けた。


「あ、はい。患者の方に砂を敷いた箱に、ミニチュアの玩具を入れて何かを表現したり遊んだりしてもらって、それ自体を治療行為としたり、あるいは医師がそこから精神状態を探るのを目的とした心理療法ですよね」

「そうだ。箱庭療法は非言語的な感情表現の手段として、初期に子供達のセラピーとして生まれた。つまり心そのものではなく、行動に焦点を当てているわけだ」


 至里はそこで一度言葉を切って、清心の様子を探るように見てくる。

 彼はしばらくなんだろうと首を傾げていたが、やがて「ああッ!」と盛大な声を上げた。

「もっ、もしかしてっ……、行動主義心理学ッ!?」

「そうだ。箱庭療法はマーガレット・ローエンフェルトがハーバート・ジョージ・ウェルズというSF作家の書いた本に影響を受けて思いついたものであり、ジョン先生はまったく関係ない。しかし心の様子を知るためにその代替物とされる声ではなく行動からアプローチするという点は大きく共通している」


 周囲の医学者や医師は何をいまさらという目を向けているが、まだ精神医学の世界に入って日の浅い清心は後頭部を釘バットでぶっ叩かれたような衝撃を受けていた。


「その行動主義心理学と箱庭療法と併用して両ホルモンの動きを調べてみた結果、二人の人格がそれぞれ箱庭療法をしている状態とぴったり重なった」

「そっ、そんな……っ、バカな!?」

 清心は衝動的に喉の奥が見えるぐらいに口をがばっと開けて絶叫していた。

 至里は眉さえミリ単位も動かさず答える。


「嘘や冗談を言っているわけではない。しかし真実を語っているとも限らない」

「……え?」

 縦に大きく開けた口をやや閉じかけた格好で、清心は静止する。

 構わず至里は語る。

「今はまだ仮説の段階だ。それに考えてみてほしい」

 彼女は人差し指と中指を伸ばして言った。

「両ホルモンを二つの人格が動かしているとする。では、残りの体の部位は何が受け持っている?」


 会場内の人間は怪訝に眉をひそめて顔を見合わせる。

 当然だ。至里は今まで語ってきた新説を、自ら否定するかのような疑問を提示しだしたのだから。


「まだある。両ホルモンを動かしている人格があると言ったが、それは箱庭療法の数千万のデータと、自然界の各現象――風や潮の流れ、もしくは動物の移動経路など――をAIに学習させ、それを基にこれが人間の行っているものかどうかを判定させたに過ぎない。もしかしたらAIの勘違いの可能性がある。そもそもだ」


 至里は最低限の息継ぎの間以外は一切口を止めず、話し続ける。


「人間は二つの人格があるからAIに劣ると言った。しかし単一ならば勝てるといった確証はどこにも存在しない。仮に単一であっても、AIに及ばない可能性だってある。現状が人体の限界だということもありうる」


 至里の目が段々と明後日の方向へと焦点を合わせていき、話調はどんどん早くなっていく。


「もしくは人間の人格が一つや二つとも限らない。あるいは集合的無意識に則って考えてみると、全ての人類の精神がどこかで単一の人格に紐づいているという仮説も立てられる」

 清心は段々と心配になってきた。まるで至里は人が変わったように止めなく話し続けているからだ。

「SF小説のように、この世界が誰かの夢だとしようか? もしくは壮大な一つの実験場で人格なるものは本当に何者かに作られたプログラムなのかもしれない。そもそも人体が破損してきたら機能停止に近づいていくのもおかしな話だ。プログラムは機械が故障してもバグは起きない。しかし人は老いると人格にさえも異常が起きているような節がある。なればやはり人格とプログラムをイコールで結びつけて考えるのは無理があるのか……」


 その時、出し抜けに舞台袖から出てきた何者かが――動きがすばしっこくて容貌はとらえきれなかったがかなり小柄な人間だった――が地を蹴り、ふわりと舞い上がり。

 体を丸め、下投げされた球のように宙に弧を描いて。

 至里の頭の上で着地し、腰に下げていた鞘から木刀を抜き放ち、真下にいる彼女の眼前に切っ先を突きつけた。


 途端、至里の目が向こうから現実に戻ってくる。

 端に控えていた警備員がまったく反応できない、一瞬の出来事だった。


 その木刀の主は、童顔の女だった。

 見た目は十代前半からなかばぐらいだ。

 しかし清心は、なぜかその女が子供のはずがないと確信していた。

 単なる直感ではあるが……。

 その女の髪は黒く、膝裏に達するぐらい長く、一つ結びでまとめられていた。

 さらに格好も浴衣姿で、学会の場では浮いていた。

 柄も豚の蚊取り線香のイラストが至る所に敷き詰められている、ユニークなもの。

 行動とは全てが裏腹な――ある意味ではそのまんまな――おかしな出で立ちだが、表情が穏やかな微笑であるのも、また現状とは噛みあっていない。

 会場内の人間の視線が自身に一極集中しているにもかかわらず、その女はゆったりとした様子で至里に訊いた。


「目、覚めましたかの?」

 問われた至里は、平然とした様子で頭の上の女と会話をする。


「ああ。ありがとうロマン君」


 ロマン……?

 清心は現状をまったく把握できないが、女の名がロマンというらしいことだけはどうにか理解した。


 至里はそのままの格好で、聴衆に向かって最初の頃から変わらぬ細く精神の在り処を問いたくなる声で言った。


「これで私の発表は終わらせてもらう。ご清聴、感謝する」


 至里に変わり、ロマンが鞘に木刀をしまいながら礼をした。

 至里はポインターをポケットに突っ込み、女を頭にのせたまま自分の席に向かう。

 その途中でロマンはひらりと彼女の横に下りて、出口へのんびりした足取りで歩いていく。


 至里の発表は、質疑応答もなく終わった。

 しかしそのことで文句を言う者はいなかった。

 たとえそのような時間がもうけられても、今の状況では手を挙げる者などいなかっただろう。

 清心も同様で、彼は発表が終わってしばらくしても放心した状態で突っ立っていた。

 係官が閉会を告げたのは、沈黙の時間が三分ほど経過してからだった。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


この物語はフィクションです。

実際の医学・科学的な根拠に基づいて書かれているわけではないことをご承知ください。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


清心「……え、今の精神状態で次回予告をやれと?」

至里「時に人は逆境に立たされ、満足に力を発揮できない状態であっても試練に挑まねばならないこともある」

清心「あ、源先生。発表、お疲れさまでした」

至里「ねぎらいの言葉を口にする必要はない。ここはメタ的な空間であり、物語とは時間的連続性は存在しない場所だからな」

清心「え、あ、うん……?」


至里「次回、『TIPS There are two souls in the human body. ~Side : Kiyoshi~ その7』。長かった佐々江君のTIPSもそろそろ終わる予定らしい」


清心「なんか今回、初めて次回予告が一回総没になったらしいですよ」

至里「人は時に過ちを犯す。それ自体は問題ではなく、原因を突き止め再度繰り返さぬよう対策を講じることこそがその者の急務である」

清心「わかりました! メモ、メモと……」

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