TIPS There are two souls in the human body. ~Side : Kiyoshi~ その1
とあるホテルで、医学者達の学会が開かれていた。
学会名は『日本精神医学症例・研究共有会』。
精神科医や精神医学に関する研究者が一堂に集って自身が診た患者の症例や研究成果を、プレゼン方式で他の同業者達に伝え、互いの学会名通り知識を共有しようというのが開催目的だ。
参加人数は100人を越える。
スーツ姿の者が多数で、少数だが白衣を纏っている者もいる。
発表者はほぼ一様に緊張しており、聴者はリラックスした様子で談笑している。
学会が始まればピリピリした空気が会場を占めるが、今はおおむね穏やかで友好的な雰囲気に包まれていた。
しかしその中で一人、尋常じゃなく重苦しいプレッシャー――たとえ背を向けていても気付くほどの――を発している者がいた。
眼鏡をかけた、骸骨のように骨ばった女だ。
まだ駆け出しの精神科医である佐々江 清心は、ビクビクしながらその骸骨女を指差して先輩に訊いた。
「せ、先輩。あのかなりスマートな女性の方は、誰ですか?」
熊みたいにずんぐりした体形の先輩――球磨川は、呆れたようにため息を吐いて言った。
「なんだ、知らんのか。精神医学者の間では結構な有名人だぞ」
「は、はあ。すみません」
「あのお方こそが精神医学の権威、源 至里先生だ」
清心はちょっと目を見開いて、女性――至里を見やった。
確かに纏っているオーラは常人とはまるで違うように思えた。
「至里さん……じゃなくて先生は、どんなことを研究されてるんですか?」
「主に人間の思考法則、AIと人間の思想パターンの比較とかだな。人間が何を考えるかではなく、そのプロセスについてとことん追求する。精神の根っこを研究してる、まあ医学というより心理学の方面に足を突っ込んでる人だな」
「へえ……」
「発表された論文がどれもこれもぶっ飛んでる割には、心理を突いているっていう、わけのわからんもんを書くことで有名だ。それと医学の世界に身を置いてる割には一匹狼で、誰ともつるまんことでも知られている」
「友達がいないんですか?」
「プライベートのことは知らんが、少なくとも仕事上のかかわりは狭いだろうな。彼女と直接話したのを目撃されただけで噂されるぐらいには、交友関係の『こ』の字もない」
「……メタルなスライムな人なんですね」
球磨川は自分達の話を聞かれていないかと周囲を見やって確認した後、声を潜めて言った。
「少し違うな。向こうが逃げるんじゃなくて、周囲の人間が近寄り難いんだよ。ほら、なんかおっかない感じがするだろ?」
「あはは……、そうですね」
「自分から話しかけてくるようなお人でもないしな」
「そんな人に、精神の研究が務まるんですか?」
疑わしそうに清心が訊くと、球磨川は声のトーンを通常時のものに戻して答えた。
「源先生の論文は海外でも高く評価されている。彼女の論文が専門書になったら、誰もが真っ先にネットで予約注文されるほどだ。なぜかどの書籍も高額だから、一般人には人気がなくて世間にはあまり知られていないがな」
「金の亡者、ってことですかね?」
「金が欲しいなら、書籍の値段をある程度抑えて宣伝した方が印税が入ると思わんか?」
「確かに……」
「これはオレの推測だけどな。源先生は本当に価値のわかる人としか、自分の知識を共有したくない、って思ってる……かもしれん」
「ははあ。なんかカッコいいですね」
「そうだな。もしも話す機会があったら、とんでもなく僥倖だ。その幸福に備えて源先生の本を読んで、常に質問したいことのメモでも持っておくことだな」
「はっ、はい!」
清心は早速そのことをスマホのメモに記した。
学会はやや険悪な空気をはらんで進んだ。
珍しいことではない。
こういった学会では優れた発表をし、他所よりも自分の病院のほうがすごいんだぞと権勢を誇るという魂胆を上の人間は持っている。そのため特に質疑応答の時間は発表された内容に難癖をつけるべく――もちろん中にはいたって真面目な質問もあるのだが――重箱の隅をつつくような、もしくは自分の方がもっとよい成果を出しているのだぞと自慢するような発言がされ、発表者と質問者のバトルが始まる。
清心もケース・レポート――つまり症例報告――を発表し、先達にこっぴどく叩かれた。
へろへろになって戻ってきた清心を球磨川は「よく頑張った」と肩を叩いて迎えた。
清心はどうにか力を振り絞って礼を言い、その後の発表をほぼ聞き流してぼけっと座っていた。頭の中は猛暑日のアスファルトのように熱くなっていた。知恵熱が出てもおかしくないなと彼は半ば本気で思った。
長い学会もようやく残り一人というところで、会場の空気が変わった。
大して身を入れて聞いていなかった者も居住まいを正し、誰もがじっとステージ上を見据えている。
なんだろうと清心は渡されていたプログラムに目を落とし、最後の発表者の名を確認した。
そこには至里至里の名があった。
題目は――『魂の在り処』?
清心は思わず首を傾いでしまった。
とんでも論文を書く人だとは聞いていたが、さっき聞いた限りでは題目自体はまともだったはずだ。しかし今回はそれすらも、奇異の極みに達している。
宗教か……あるいは中二か。
いずれにせよ、精神医学の学会で発表するにはあまりにもそぐわないテーマであるはずだ。しかし周囲の人間はそれこそ熱心な信徒のように、至里の登壇を待っている。
知らず清心も背筋を伸ばし、さっきとは別の種類の緊張で身を固くしていた。
至里は静かな足取りでステージに向かう。
その途中で、彼女は係官に手に持っていた紙の束を係官に渡した。受け取った彼はそれを持って投影機の前に立った。
まもなくスクリーンには『魂の在り処』と手書きの文字が映った。
……なぜ、わざわざ?
疑問に思ったが、その文字がそれ以上の邪推を許さない。
凝った装飾がされているわけではない、ただ少し角ばった字が並んでいるだけだが、なぜかそこから呪詛のようなおどろおどろしさ、巨大な獣を前にした時を思わせる威圧感の二種の畏怖の念が発されており、伊知郎の精神を委縮させた。
ステージ上に立った至里はぐるりと聴者を見渡し、マイクを使わず肉声で口火を切った。
「人間の中には、二つの魂が存在する」
細いながらもよく通る、不思議な声だった。
だがそんなことより、伊知郎が関心を持ったのは発言内容だ。
名乗りもなく、前置きもない、いきなりの一声。
――人間の中には、二つの魂が存在する。
会場内はざわつき始める。
至里が変わった人物であると承知している彼等も、今の発言には驚きを禁じ得なかったようだ。
至里はそんな聴者に構わず話し続ける。
「私はその魂の在り処を突き止めた」
今度は水を打ったように静まり返る。
彼女が冗談を言っているのではなく、本気で語っているのだと声の調子で察したからだ。
至里は係官に顎をしゃくって合図を送る。
微かに音を立てて二枚目の紙が投影機に置かれ、スクリーンに表示される。
そこには『魂の在り処はどこか?』と同じ筆跡の字が表示された。
「多くの宗教家や学者達が、今までこの謎に挑んでは破れていった。しかし私はついにこの難題に対する回答を得た」
誰もが息を呑み、ただ至里の話に耳を傾けている。
それが正しいのか否かといった疑念を理由に思考を働かせている者は誰一人いない。
一言一句をただ脳内に刻み残す、その行為に従事していた。
「ヒントは多重人格にあった。人間の中には人格がいくつかある。多くの物語を含んだ芸術作品ではそう語られている」
そこで至里は一度言葉を切り、ぐるっと聴衆を見回してから言った。
「そしてそれは事実だったのだ」
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【次回予告!】
真古都「寂しいわあ」
生流「何がだよ」
真古都「『エデン』には酒を飲める人がおらへんさかい、一人で晩酌するしかないやないの」
生流「俺が付き合ってやってるだろ。……飲んでるの葡萄ジュースだけど」
真古都「あーもう。ちょっとでも飲んで気持ちようなろ? なあ?」
生流「そんな悪の組織の幹部みたいな誘われ方しても、下戸には無理だっての」
真古都「じゃあええわ。一人で飲むさかい」
生流「……はあ。次回、『TIPS There are two souls in the human body. ~Side : Kiyoshi~ その2』」




