5章After 灰色の脳の声を聞け
ここは生流が寝室と実況に使っている、防音室。
彼が佳代と乙乙乙と『PONN』のランクマッチで対決した部屋でもある。
室内には夢咲と宇折井の二人。彼女達はパソコンの前に並んで座っていた。
スクリーンには二窓で動画が再生され、生流がセリカとして『PONN』をプレイしている様子とそのゲーム画面が同時に映されている。その動画の後半部分では佳代達との対決が収められている。
映像を見ていた夢咲がぽつりと呟く。
「違いマスネ」
「ちっ、違うって……何がでござる?」
「確かに今までのゲーム実況でも、女の子であることに楽しみを覚えているようデス。だけどやっぱり、どのセリカサンも今日の状態とは違いマス」
「し、しかし、プロゲーマー時代のて、天空殿はこんなトリッキーなプレイはしてなかったでご、ござるよ?」
夢咲はスクリーンから宇折井へ目線を映して言った。
「いいデスカ? 生流サンとセリカサンは人格に差異はあれども、同一人物デス。生流サンにできることはセリカサンにもできマスシ、逆もまたしかりデス」
「……じゃ、じゃあ、どうして生流サンよりもセリカサンの方がゲームが強いんでござるか?」
「人間は普段、八割程度の能力しか使えぬようセーブされているそうデス。だけどなんらかのきっかけで、それを一時的に解除することができるという学説がありマス。セリカサンの状態ではそれが普段よりも容易にできるのデショウ」
「な、なぜでござる?」
「さあ。それはわかりマセン」
「……え、ええ?」
不満そうな宇折井を横目に見やり、夢咲は淡々とした調子で言う。
「ただし仮説はいくつか思い付きマス」
「お、おおっ、誠でござるか!?」
夢咲はゆるりとうなずき、人差し指を立てて話す。
「まず第一に、全て生流サンの演技だということ」
「……で、でもさっき……」
眉根を寄せる宇折井に、夢咲は自身を指差して言う。
「イエス、ミー自身がさっき否定しマシタネ。だけど一番手っ取り早く説明できる仮説はこれデス」
「ゆ、夢咲殿はそれを信じているんでござるか?」
彼女はあっさりとかぶりを振る。
「そんなことをする動機がありマセン。生流サンはタチの悪い冗談で誰かを困惑させるような人じゃありマセンカラネ」
「そ、そうでござるか……。他にはどんな仮説が?」
「第二に、今日のセリカサンは別人という説があるんデスガ……」
夢咲は机上に置いていた薄く小さなカードを人差し指と中指で取り上げた。
それは生流の運転免許証だった。
顔写真がついており、硬い表情の生流が写っている。
「本人証明書を持っていて、写真に写っている生流サンと顔立ちやほくろのある位置もまったく同じ。それでもなおミー達を騙して――生流サンをセリカサンだと信じ込ませて、また逆もしかりデスガ――得する人が、いるデショウカ?」
「……い、いや、いないと思うでござるが」
「ミーもそう思いマス」
夢咲はスマホを手に取り、電源ボタンを入れた。
「……まだ生流サンは目を覚まさないみたいデスネ」
「もっ、もしかしてま、魔光嬢も眠ってしまったのではござらんか?」
「だとしても、生流サンが起きているなら部屋に戻ってくるデショウ。それに魔光サンは基本的に夜型デスカラ」
「ああ、生配信とか夜中にしてるでござるな」
「イエス。まあでも、確認も終わりマシタシそろそろミー達も戻りマショウカ」
立ち上がりかけた夢咲を、宇折井は「あっ、ちょっと」と呼び止めた。
「なんデスカ?」
浮かしかけた腰を再び椅子に戻し、夢咲は訊く。
宇折井はいつものどもり口調で言った。
「……せ、拙者も仮説、考えてみたんでござるが」
「仮説……というと、生流サンとセリカサンの?」
「さ、左様にござる」
「へえ。聞かせてくれマセンカ?」
手を組み、顎を乗せて夢咲は宇折井を見やる。
彼女は視線を落ち着きなく泳がせて言った。
「せ、生流殿は愛衣嬢の家に行ってからおかしくなったでござる」
「そうデスネ」
「だ、だ、だから、もしかしたら……、生流殿は愛衣嬢に洗脳や催眠術をかけられたのではござらんか?」
夢咲は目を見開き「……はぁ?」と間抜けな声を出して僅かに宇折井に顔を近づけた。
「……愛衣サンが? 生流サンに? 催眠術と……、洗脳?」
「そ、そうでござる」
「ホワイ?」
宇折井は頭を掻きながらさらに忙しく目を動かして、やや興奮気味に語った。
「た、例えば愛衣嬢は、常々あ、姉が欲しいと思っていたでござる。そっ、そこへ生流殿が女装して帰ってきたものだから、こ、これは好機来たれりと思って、あらかじめ身に着けていたマインド・コントロールで、せ、生流殿の心をセリカ嬢へと変えてしまったのでござる」
呆気に取られていた夢咲は、疑わし気な表情で首を傾げた。
「それ、本気で言ってマスカ?」
「……あ、いや、その……」
途端にうろたえだす宇折井。
夢咲は隙を与えず追及していく。
「百歩譲って愛衣サンがそんな欲望を抱いていたとして。なんでせっかく手に入れたセリカお姉サンを迂闊にも外に出してしまったのデスカ?」
「そ、そうでござるね。こういう場合ははぁ、はぁ、手錠と足枷をつけて、うひっ、換金するのがお約束で……ふひっ、ふひひ」
「阿呆デスカ」
がっくりと肩を落とす夢咲。
「真面目に聞いたミーがバカデシタ……」
「で、でも可能性はあると思わないでござるか? 愛衣嬢黒幕説」
涎を拭って訊く宇折井に、夢未は眉間に皺を寄せて視線を右から左へ、また左から右へとゆっくり往復させつつ訥々とした調子で言った。
「……まあ、帰ってきたらおかしくなってたわけデスシ……、なくはない、デスケド。そもそも催眠術なんて、そう簡単に身に着けられるものじゃないデスヨネ?」
「いやいや、そうとも限らないでござる!」
身を乗り出し、熱弁する宇折井。
「ひっ、人は自分が望んだ現実を差し出されたら、すんなりと受け入れてしまう生き物なのでござる! 生流殿は元から女性になりたい欲求があったみたいでござるし、女性の格好をしている時に『あなたは女の子になーる、女の子になーる』なんて暗示をかけられたら、わーいって諸手を挙げて、そのままセリカ嬢になっちゃってもおかしくないと思わんでござるか!?」
「……いやでも、心には常識とか理性のセーフティーがあるんデスヨ? というか今の時代なら性別適合手術もあるんデスシ……」
「しゅ、手術は高額、しかも心理的なハードルもあるでござる。それにせ、生流殿の欲望はかなりととと、特殊でござるから」
うなずきかけた夢咲は、寸でで留まり、首を傾げた。
「その理屈で行くと、セリカサンは性的欲求も持ってないデスシ、生流サンの願望と少しズレがあるような……」
「せ、性的欲求がないとは言い切れんでござる。もっ、もしかしたら、あの清楚さとは裏腹にこっ、好色家やもしれんでござるよ、じゅるり」
「あーっ! きっ、キーボードだけはやめてクダサイ!!」
「お、おっと、すまんでござる」
慌ててハンカチで糸引く涎を受け止める宇折井。
夢咲は「ふう」と額の汗を拭った。
「……まあ、これから愛衣サンの家に行く時は、なるべく同行するようにしマス」
「お、おお、やはり愛衣嬢が……」
「まだ決まったわけじゃありマセン。念のためデス、念のため」
ひらひらと手を振る夢咲。だがその目は、真剣のごとき冷たい光を宿していた。
「……芽育サン、一つ頼まれてくれマセンカ?」
「な、なんでござるか?」
「愛衣サンのことについてなんデスケド……」
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【次回予告!】
――次回、『TIPS 幼稚園にて ~俺と妹~』




