5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その11
俺が……愛衣の兄ではない?
――そうだ。お前は愛衣の兄ではない。
じゃあ、俺は……俺は誰なんだよ!?
今コントローラーを握ってる、この俺は誰なんだよッ!?
答えはない。
さっきまでやかましかった己が声は、今はしんと静まり返っている。
クッソ……。言いたいことだけ言って、後はだんまりかよっ。
俺が愛衣の兄じゃないってんなら、誰だってんだよ!?
俺が心中で叫んだ時だった。
「楽しいな、セリカちゃん」
愛衣が弾んだ声で言った。
俺はふと、違和感を覚える。
「……セリカ?」
「ほえ? どうしたのだ、セリカちゃん」
指の動きが止まり、現実世界の二人が互いに見つめ合う。
愛衣の瞳。そこには、女の子の姿が映っていた。
この子は、誰だ?
……いや。
そうだ、俺――わたしはセリカ。
ゲーム実況者の、セリカじゃないですか。
肩の力が抜けていく。
機械的に動かしていた手に、血が通う。
枷が外れたかのような解放感。
体の中に涼風が駆け抜けていき、火照った体を冷ましていく。
頭の中がほどよく冷え渡り、気持ちが落ち着いてくる。
コントローラーを軽く握り直して、ゲームの中の世界、現実の世界。
心の内に二つの世界を収め、思考を巡らせる。
一発でも攻撃を受ければ負ける。だけど武蔵の攻撃は通らない。
ここから逆転の一手を打つならば――
すぐさま脳裏に閃きが舞い降りる。
それは断じて駆け引きを左右する布石ではない。
プレイを盛り上げるための、アイディアだ。
指より先に。
口がひとりでに動き出す。
「――今こそ映世を舞う時」
声に出して宣言する――勝利を?
いや、違う。
プロゲーマーの生流じゃない――セリカにとってのゲームとは。
「わたしのプレイング、お魅せします」
きれいに切りそろえられた爪をかぶった指がボタンを押し、スティックを倒す。
わたしの操作を受けて、武蔵は右手を頭上高く振りかぶり、小次郎の顔面目掛けて木刀を放り投げた。
「えっ――!?」
予想外の行動に戸惑った愛衣は、その攻撃を物干し竿で防御してしまう。
しかしそれが大きな隙となる。
武蔵は一直線に小次郎に迫って彼の腕をつかみ。
力任せに手首を捻り上げる。
「手首捻り――素手で使える特殊技ですね。それが決まると相手に刀を取り落とさせることができます」
指と同じ速度で、口が動く。
「これを成功させるには相手に密接しなくちゃいけなくて、基本的にリーチの長い武器を所持している『伍剣』では、死に技の一つに数えられています」
意識して思考はしていない。けれども言葉が溢れ出てくる。
「けれどもスピードに特化した武蔵であれば、時にこの技が活路を開きます」
しゃべればしゃべるほど、気持ちが昂り、わたしがセリカになっていく。
「――今がまさにその時」
小次郎は苦悶の表情で刀を取り落とす。
「ここで突き飛ばしをして一度、距離を離します」
発した言葉通りに武蔵がアクションを起こす。
小次郎は後ろによろめき、尻もちをつく。
「その隙に物干し竿を拾いまして、はい! これこそまさに、天地を分かち空を裂いて大地を割る、二天一流!! 宮本武蔵、剣山ですッ!!」
意味もなく見栄を切る。
その隙に攻めた方が、勝利には近づける。
けれどもわたしは、勝利には貪欲にならない。
プロゲーマーは己の技量によって勝利を得ることをよしとする。
しかしわたしはプロゲーマーではなく、ゲーム実況者。
わたしが求めるもの。
それは華麗なパフォーマンス。
いかに自分のプレイを魅せるか――わたしが追い求めるものはそれ。
上手いか、下手かは関係ありません。
視ている人が楽しめるかどうか、それが重要なのです。
「……っく」
愛衣さんは苦し気に表情を歪めて、攻撃に出てきました。
「すごい気迫ですね。でも残念ですけど、それは通りません」
わたしは画面を愛衣さんの方を見て、話しかけながら応戦します。今まで散々愛衣さんのプレイは見てきたので、どうやって攻めてくるかは大体見当がついているのです。
「ここでの突進はベターな選択と言えるでしょう。素手の状態で一番早く繰り出せる業ですからね。だから、それに合わせて後転回避をします。武蔵の後転回避は位置とタイミングがしっかり合えば、ちょうど小次郎の突進と移動距離が同じになるんですね」
ちらりと画面を見やると、ちょうどわたしが言った通りのことが起きていました。
愛衣さんはぽかんと口を開いています。
わたしはそのお顔を眺めたまま実況を続けます。
「普通ならこんなリスキーな回避はしません。通常防御で受けるか、勝負に出るとしてもカウンター技です。後転回避は間合い範囲を調整する際に使うのであって、相手が接近してきた時に使うのは握手。最悪咎められて、そこからコンボをもらってしまいます。けれども完全に相手の行動を読み切ってしまえるなら、それは択の一つになり得ます」
「さあ、とどめです。ていっ、ていっ、ていっ、――ていやっ!」
木刀で怯ませ、物干し竿で断ち切る二連撃から始動した連続コンボ。小次郎の体力ゲージは一気に空になり、『勝負あり!!』の文字がカッコイイエフェクトと共に表示されました。
「あ、勝ちましたよ! わーい、やりましたー!!」
わたしはコントローラーを手放して両手を上げましたが、はたと思い当たり慌ててやめました。恐る恐る愛衣さんの様子を窺います。
愛衣さんは放心したまま画面を眺めていました。
うっかりしていました。これはネット対戦と違って、すぐ傍に対戦した方がいます。あまりおおっぴらに喜んだら不快な思いをしてしまうかもしれません。
わたしと愛衣さんは、まだそこまで親しい間柄ではないのですから。
「え、えっと、その、愛衣さん?」
「…………」
話しかけても反応はありません。
どうしたものかとおろおろしながらも考えていると、やがて愛衣さんうつむきながらぽつりと呟きました。
「……たくさん、たくさん練習したのだ」
相槌を打とうか悩みましたが、黙しておくことにしました。
愛衣さんの空気が、とても会話を望んでいるようには感じられなかったからです。
彼女は感情の抜け落ちた声で続けました。
「世界大会で優勝した後の兄ちゃんとも一緒に遊べるぐらい上手になろうって、毎日ゲームを練習してたのだ。だからプロゲーマーには届かなくても、普通の人よりは強くなったって思ってたのだ」
愛衣さんの握られた拳が震えだして、そこにぽとりぽとりと涙が落ちてきました。
それから嗚咽混じりの訥々とした声が、空気を震わせました。
「でもっ……でもっ、ダメだったのだ。あたしはまだ全然弱いままでッ……! 初心者のセリカちゃんに、負けちゃったのだッ……!!」
「それは違います」
思わずわたしは、口を挟んでしまいました。
愛衣さんは涙に濡れた瞳でこちらを見てきます。
「何が……違うの?」
「愛衣さんは、とてもお強いです」
「嘘なのだ。あたしは初めてプレイするセリカちゃんにすら、勝てなかったのだ……」
わたしは心中の迷いを断ち切り、真実の一端を打ち明けることにしました。
「……愛衣さん。本当はわたし、『伍剣』を過去にプレイしたことがあるのです」
「えっ……?」
「嘘をついてしまって、すみませんでした。言い出す機会をなかなかつかめなくて……」
酷い言い訳です。我ながらそう思いました。
けれども愛衣さんは「そうなのか……」と信じてくれました。
「……でも、プロゲーマーじゃないのだ?」
「はい。ただのごく普通の……」
そこで言葉が詰まりました。
わたしは一般的な標準と照らし合わせると、普通ではありません。
不思議そうに首を傾げている愛衣さんに、わたしはもう一つ秘密を打ち明けることにしました。
「……いえ。わたし、実は――」
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【次回予告!】
ハルネ「ねえねえ、和花おねぇたまって、どんなケーキが好き?」
夢咲「……以前、真古都サンからケーキジュースなるすさまじいものの存在を聞いたことがあるのデスガ……」
ハルネ「美味しいんだよ」
夢咲「まさか、今度はうにケーキとかわさびのモンブランとかおっしゃるつもりデスカ……?」
ハルネ「そんな変なの食べないよー」
夢咲「で、デスヨネー(ホッ)」
ハルネ「次回、『5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その12』」
夢咲「あの……。なんで甘口カレーに、そんな大量に角砂糖を投入してるんデスカ?」
ハルネ「こうするとねー、とっても美味しいんだよ!」




