5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その9
さぁああ、と外からか弱いノイズのような音が聞こえてきた。小雨が降りだしたようだ。
愛衣の声がそのノイズに乗る。
「絶対にまた、兄ちゃんは立ち上がって、プロゲーマーとして世界大会で優勝してくれる。あたしはそう信じてるのだ」
全幅の信頼が、ずしりとのしかかってきた。耐え難い重量だ。肩が壊れてしまいそうなぐらいに。
何を言ってるんだ……コイツは?
自分の兄貴が今、何をやってるのかわかってんのか?
世界大会で優勝とか、そういうのはもう、とっくに諦めてるんだぞ。
「……あの、でも愛衣さんは、お兄さんにゲーム実況者になるよう勧めたとお聞きしたんですけど」
「兄ちゃんが落ち込んでて、ゲームから離れてたからなのだ。だからもう一度、ゲームに触れる機会を作って、そこで元気を取り戻して立ち直ってくれたらなって」
頭を掻きながら、「余計なお世話だったかもしれないけど」と照れ臭そうに言った。
……ああ、おかげさまで確かに立ち直った。だけどそれは、愛衣の望んだ形でじゃない。
今の俺は、女装ゲーム実況者とかいうプロゲーマーとは対極に位置するだろう存在だ。
世界とかそういう次元には決していない。これから俺が、歩むのは日本の動画界隈でカルト的な人気を狙うだけの人生だ。愛衣の望んでいるようなそんな華々しいステージに立つことはほぼ皆無と言い切ってしまってもいい。
だからもう、そんな期待とかしないでほしい。放っておいてほしい。いっそのこと、俺の存在自体忘れてしまえばいいんだ。
大切なはずの妹。なのに今は愛衣が、疎ましくさえ思った。
「セリカちゃんもいつか、兄ちゃんに会ってみてほしいのだ。いつかゲームの世界チャンピオンになるから、サインとかもらっておくといいぞ!」
「はい、そうします……」
俺は弱々しくうなずいた。
愛衣はぴょんと椅子から立ち上がり、くるっとこちらを見やって言った。
「兄ちゃんの話をしてたら、ゲームがしたくなってきたのだ。一緒にやらないか?」
「え、ええ。何をするんですか?」
「んー、そうだな……」
少しの間考えた後、愛衣はぽんと手を打って言った。
「そうだ、あれをやるのだ!」
愛衣が提案してきたのは、『伍剣』という対戦格闘ゲームだった。
日本の名刀・天下五剣を題材としており、登場キャラクターは全員侍である。天下五剣が強めに設定されているが、他の刀も存在する。
プレイヤーは3Dのステージ上にいる自分のキャラクターを縦横無尽に動かせる。ルールは相手キャラを倒した方が勝ち、というシンプルなものだ。
攻撃は剣道の基本技に一部柔道の技、胸倉つかみなどダーティなアクションがあり、刀を主体としていながらもそれを捨てての行動もできる。刀を捨てることでスピードが上がるが、防御が困難になり攻撃力も下がるという大きなリスクを伴うことになる。
「さっき見てたゲームが侍ものだったから、これをやりたくなったのだ」
1Pコントローラーを手にした愛衣は鼻歌混じりだ。
「ああ、同じ和風ものですからね」
さっきの動画を見た感じ、『ザ・ランセ』と『伍剣』は和風というだけでなく近接戦ということもあって、そこら辺の駆け引き自体も類似しているように思えた。
間合い管理、技の三すくみ、相手を崩した後のコンボ、キャラの耐久。違うのは『伍剣』にはカットイン技がないのと、『ザ・ランセ』はバトロワということで漁夫――他プレイヤーの割り込み――が発生するということぐらいか。
「このゲーム、結構難しそうですね」
「大丈夫なのだ、ちゃんと教えてあげるから」
俺は初心者のふりをして、愛衣からコーチを受けた。
「わっ、上手いのだセリカちゃん! そのコンボをすぐにできるようになるなんて!!」
「あ、あはは、ありがとうございます」
できて当然である。なにせ『伍剣』は愛衣と二人でよく対戦したゲームなのだから……。
「これなら、すぐに対戦できるのだ! な、やろう、セリカちゃん」
「お、お手柔らかにお願いします……」
愛衣の喜ぶ姿が見たくて、ついついおだてられた豚のように飲みこみの早い新人を演じてしまったが……、手合わせした時の感じで正体を見抜かれたりしないだろうか? 心配で冷や汗が背中を覆ってきた。
できるだけ手を抜いて、ごまかすんだ。五戦ぐらいやったら「もう眠くなってきちゃいました」とおねむを訴える。隙のない、完璧な戦略。蘇りし今孔明とは俺のことである。
「キャラクターは……あたしは、佐々木小次郎にするのだ!」
「じゃあ、わたしは宮本武蔵で……」
はたと気付く。何を対抗してるんだ俺は、ここで勝っちゃダメなんじゃないか!? ……でもまあ、別にキャラで勝敗が決まるわけじゃないんだし……。
「おおっ、宮本武蔵! ふふふ、やる気なのだなセリカちゃん」
「あ、あはは……。小次郎といったら、武蔵かなって」
「となれば、使う刀は備前長船長光なのだ!」
備前長船長光。佐々木小次郎が巌流島の戦いで用いたことで知られている。
剣身が長く、3尺余(約1メートル)もある。その見た目から、当時の人々は物干し竿の名で呼んだようだ。
剣身が長いということは当然重量もバカにならないはずで、それを振り回していたのだから小次郎という男は相当なバカ力だったのだろう。
「おっ、セリカちゃんは木刀かあ。初心者なのに面白い武器を選ぶのだ」
「……あっ」
無意識の内にカーソルを木刀に合わせてボタンを押していた。
……だからどうして俺は張り合ってるんだ!?
木刀というのは、『伍剣』における最弱武器と呼ばれている。
攻撃力がとにかく低く、一撃一撃が軽い。他の武器なら仰け反らせ攻撃になる技がこの武器では違い、同じ感覚で戦っていると反撃をもらうということもままある。そのせいでコンボに仕える技が少なく、その始動技のバリエーションも大してないためワンパターンな攻め方になりがちで、すぐに対応されてしまう。
取り柄は木刀は持ったままでもほぼ素手と同じ速さで行動できるというものだが、欠点があまりにも致命的すぎて、ほとんど使われることはない。
「大丈夫なのだ? 他の武器にした方がいいと思うぞ?」
……猫を被るつもりだった。だがしかし、そういう言い方をされては、引き下がれぬのがゲーマー魂というものである。
「いいえ、このままで結構です」
「ふっふっふ、後悔しても知らないのだ」
不敵に笑って、セリカは完了のボタンを押す。
ステージセレクトの画面に切り替わり、愛衣はすぐさま巌流島にカーソルを合わせる。
「ここでいいのだ?」
「はい、いいですよ」
決定ボタンを押すやいなや、画面が暗転して『読み込み中』の文字が表示される。
俺にとっては緊張の、愛衣にとってはワクワクと期待の沈黙が生まれる。
暗転が解かれたそこは、波打ち寄せる島。
現代の自然に包まれた穏やかな景観とは異なり、ゴツゴツした岩肌がむき出しの厳めしい様の巌流島。
上空から映し出される武蔵と小次郎の姿は豆のように小さい。
しかし彼等の戦いによって、すぐさま彼の島は激しく荒れ狂うのである。
その前兆を予見してか、天は一面黒い雲で覆いつくされており、今にも嵐となりそうな気配を発していた。
二人の姿がアップで映される。
小次郎は戦意をむき出しつつも笑みを浮かべており、武蔵は感情を押し殺したような神妙な面持ちをしていた。それは奇しくも俺達の心情を暗に表しているかのようだった。
ふっと空気の薄くなるような間隙があった。
始まる――。
なぜか俺の胸の内では、プロゲーマーの時の感覚が蘇りつつあった。
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【次回予告!】
魔光「目覚めよ、己の真なる姿よ! はぁあああああッ!!」
生流「……自分の真なる姿、か」
魔光「むっ、そなたにもあるのか? イデア・ソウルが」
生流「いやまあ、そういう中二は置いておいて」
魔光「中二言うな!」
生流「でもたまにあるだろ? 今こうして存在してる自分は仮初の存在で、本当の自分はこの世界とは異なる場所にいるんじゃないかって思うことがさ」
魔光「……そなたも十分に中二ではないか?」
生流「え、ま、マジか!?」
魔光「次回、『5章 妹の家で一夜過ごします、女装姿で その10』 であるぞ!」




