結界の外へ
「ふぅ〜終わったぁ…!」
「何とか、日没までに間に合ったね」
ずっと屈んでいたせいで腰が痛いし、濡れ雑巾を握っていたせいで指先はふやけている。
「控室とかすごい綺麗で、掃除する必要がなかったのが大きいよね」
「そこは私達が頑張ったから、にしておこうよ」
笑いながら講堂を出て、家までの道を歩く。今は橙色の光が辺りを照らしているが、数分もすれば真っ暗になるだろう。
「明日の卒業式が終わったら、6年生はいなくなるんだよね」
「そうそう。私達が最高学年…時間が経つのは早いねぇ」
「おばあちゃんみたいな事言わないでよ」
きゃっきゃとはしゃいでいる内に、互いの家に到着する。少し残念そうに、それでも今日は疲労が勝って―手を振って別れた。
「またね!」
「うん、今日はお疲れ様」
* * *
「ただいま」
「お帰りなさいませ。ティナお嬢様、随分と遅いご帰宅ですが…何かございましたか?」
まだ3年生のマリは担当がないので先に帰宅しているが、それと比較しなくても卒業式の準備にしては遅過ぎる。ティナは寄り道をする様な性格でもないので、リーゼは気を揉んでいた。
「…その事なんだけど」
はぁ、と何度目かわからない溜息が口から漏れる。
「お父様に報告書を送るわ。準備して頂戴」
* * *
「つ、か、れ、たぁー!」
ぽいっと荷物を放り出してベッドへダイブ。制服に皺が付いてしまった事に気が付き、慌てて起き上がった。
「うぅぅ…あんな命令無いでしょ…滅茶苦茶だぁ権力の横暴だぁ…!」
ぼやきながら部屋着に着替え、ぽい捨てした鞄を回収する。
「明日の卒業式、5年生だから出席しなきゃいけないのか…」
正直な所、1つ上の先輩なんて顔も知らないので、涙のお別れ等は無く、ただ座っているだけの式になる。「あぁ、来年はあっち側かぁ」と思う程度だ。
「疲れたけど…寝たら、朝ご飯食べて、魔獣討伐か」
余計に疲れが溜まりそうである。
「迷惑をかけないよう、隅っこで大人しくしてる…よし、お休みなさい」
夕食を食べる事無く、レイナはそのまま眠りに落ちた。アトフィリオでいくら食べてもカサティリアでの空腹は満たされないし、その逆も同じだ。
だが、お腹一杯食べた感覚と記憶は引き継がれるので、向こうで朝食を食べれば良いや、と考えたのだ。
◇ ◇ ◇
目を開ける。窓から朝の光が差し込んでいる。
「うん、問題は無いね」
予想通りの状況に1人頷き、食堂に向かおうと部屋から出た。ラウラを誘うべきか一瞬悩み―ドアの下にメモ書きを挟む事にする。
「ラウラへ もし来てくれたらごめんなさい。今日は急ぎで呼ばれているので、朝は先に行くねっと…」
…ペンを持つ手が小刻みに震えていたのは、きっと空腹で力が入らないからだ。
* * *
それから食堂に行って、美味しい朝食を食べた…はずなのだが全く記憶に無い。
気が付けば、マクシーネの部屋の前に立ち、扉を叩いていた。
「おはようございます、先生」
「おはよう、レイナ。ちゃんと眠れた?」
1番答え難い質問に、曖昧に笑って誤魔化す。
「今日は何があっても離れちゃ駄目よ。無理はしなくて良いから、安全第一で行きましょう」
「はい」
* * *
「それでは〈精霊〉の実習を始めます。向かうのは―」
F組の担当教師が指揮を取り、生徒を振り分けていく。レイナとは色違いの青色の制服に、同じ黒ローブを着た少女達が組になっていくのをマクシーネの隣でぼんやりと眺めていた。
「それでは、移動します。《空間接続 学園正門―東門》!」
別の教師が進み出て、手を伸ばした。ぐにゃり、と手の向こう側の空間が歪む。ヴィン、と空気を震わせて巨大な穴が空いた。
「全員、ついて来て下さい」
躊躇う事無く、全員が穴に足を踏み入れていく。言葉の通り、別の場所に繋がっているのだろう。穴に入った人の姿は見当たらない。
「レイナ、行くわよ」
「は、はい」
近付いてみると、穴はかなり迫力があった。そのまま吸い込まれてしまいそうな、通った先には何も無いのではないかと思わせる様な、言葉にし難い感覚にレイナの足が竦む。
立ち止まってしまったレイナの手を、マクシーネがそっと握り―軽く力を込めて引く。
「わっ」
結界を通った時と同じ、僅かな空気の抵抗と違和感を感じた時にはもう、穴を通り抜けていた。
身長の何倍もある大きな門と、高い塀が目の前に現れる。レイナがこの世界で最初に目にした物とは別だが、造りは全く同じだ。
―〈空間〉で、瞬間移動みたいな感じかな?
「それでは全員の移動が完了しましたので、結界の外に出ます。皆、気を引き締めて下さい」
先生と生徒が組になって、魔法で風を起こす。ふわりとローブの裾をはためかせながら、次々と塀を越えて行った。
「レイナ、やってみる?」
「あ、わかりました」
2人を浮かせられる程の風をイメージして、魔力を集める。それ程難しい事ではない。
「だいぶ慣れたわね。成長が早いわ」
マクシーネの感心した呟きを残して、2人の身体は高く高く上がり―塀を越えて地面に着地した。




