魔法の授業 その3
魔法陣は、本を読む事で大方記憶した。
他の魔法も、イメージすれば問題無く使う事が出来た。
「怪我はしていないから〈治癒〉の練習は出来ないし、〈植物〉もこの部屋にはないのよね…」
基礎課程を教えるつもりでいたマクシーネは、当然ながら植物の準備はしていなかったし、都合良く怪我もしていなかった。
残るのは〈精霊〉と〈系統外〉だが、後者に関してはどうしようもない。
「〈精霊〉はどうするんですか?」
「…それは、」
レイナからすれば当然の質問だった。だが、その質問を向けられたマクシーネは、珍しく躊躇いを見せた。
「…本当に、覚えてないのね…知らないままの方がいいのに、知らせるしかない、か…」
ぽそ、と自分自身に向けられた様な小さい呟きは、レイナの耳には入って来なかった。
「…聞いて、後悔しないでね」
「え?はい」
悲壮感を漂わせて、マクシーネが顔を上げる。生徒に必要な知識を身に付けさせるのは教師の役目だという決意が半分。もう半分は、いずれ知る事になるのだという諦めだった。
「この学園を中心とした街は、結界と塀で覆われている。理由は簡単、外からの侵入を防ぐ為よ」
―“戦闘訓練って…何と戦うんだろ…?”
―“一体、外に何があるのか”
こちらの世界では昨日―主観では数日前―に浮かんだ疑問が再燃する。
「外には、何があるんですか…?」
外に出る事を禁じ、学生にまで戦闘訓練を施す程の脅威。
「人間に敵対する生物。正式名称も、詳しい生態もわかっていないけど…一般的には魔獣と呼ばれている存在」
―魔獣…?
聞き慣れない言葉だった。
「魔獣単体では結界を通れないけど、数で押されたら持たないかもしれない。その前に、近付いて来た魔獣を討伐するのが私達―魔法使いの使命なの」
現実味のない話の中で、1つの言葉がレイナの耳に残った。
「討伐って…まさか、殺すんですか?近付いただけなのに?」
「魔獣相手に情けは不要よ。結界が破られたら、私達は生きていけない」
「でも…」
放っておいたら襲われる。だから、先に手を出す。やられる前に、やるしかない。
その理屈は理解出来る。だが、生き死にとは無縁の世界で育ってきたレイナにとっては、到底受け入れられる物ではなかった。
黙りこくってしまったレイナを、聞き分けのない幼子に対する様な目付きで見ながら、マクシーネが諭す。
「言葉が通じない。理性があるのかどうかも定かではない。そんな相手と、和解なんて無理よ?ここを守る為に、何人もの魔法使い達が犠牲になった…」
遠い目。マクシーネは、決して安全な結界の中でぬくぬくと過ごしていた訳ではない。むしろ、実力が認められ最前線で戦う立場だった。
「貴女もいずれ、戦う事になる…それは、どうしようもない事なの。拒否は許されない。1人の要望と全人類の命の、どちらを優先するべきかなんて一目瞭然でしょう?」
「…はい」
戦うのは怖くない。
レイナは夢を見ているだけで、服装等が反映されない事から、肉体はカサティリアのベッドに置いて行っていると考えている。
もし仮に傷を負っても、夢から覚めればいい話なのだ、と。
怖いのは、生き物の命を奪う事だ。
だが、ここで言った所で何も変わらない。
「…魔獣の話は、わかりました。それと精霊に、何の関係があるんですか?」
「魔獣には、レベルがあるの。低レベルの魔獣を倒した後、特別な魔法を使って魔獣の存在を忠実な僕に作り変えたもの。それが〈精霊〉よ」
は、と言葉にならなかった吐息の断片が口から漏れた。
「これは〈精霊〉に適性が無い人には知らせてはいけない、極秘情報だから気を付けてね」
―精霊というのはもっと、こう…清らかなものではないのか。
人類の敵と言った魔獣の命を奪い、使役する。ぞっとする話だが、マクシーネの表情から不快感は読み取れない。それを当然の事として認識しているのだ。
「明日、F組の実習があるの。急だけど貴女も同行する事になるわ」
「えっ!?じ、実習って…」
「外に出るのよ。数人の教師が引率するから、安心して。危険は無いわ」
私もついて行くし、と安心させる様に微笑むが、突拍子もない話にレイナは混乱していた。
「な、何で外に行くんですか?」
「精霊の性質上、行くしかないでしょう?入学して早々だけど、月に数回しか行けないから、経験を積んでおく必要があるのよ」
確かに、精霊は魔獣を元としているので、練習するには外に出るしかないのだろう。未熟な生徒の安全を確保する為にも、頻繁に行く事が出来ないというのも理解出来る。
「…わかりました。準備はどうすればいいですか?」
「特に必要無いわ。渡した教科書に目を通しておく事と、手袋の様な物を用意する事くらいね」
「手袋、ですか?」
怪我をした時用の包帯だとか、昼食用の弁当だとか、そういったものを予想していたレイナは首を傾げた。
「他人の適性を詮索するのはマナー違反だけど、指輪を見られたらわかってしまうから…極力隠した方がいいわ」
そういう事かと納得したが、手袋はおろか制服以外の衣類は一切持っていない。
―んー、指輪が見えなくなればいいんだよね…?
「おっ…」
指輪の宝石が、ぼんやりとした靄に覆われた。存在感が異様に薄くなり、意識しなければ指輪があるのかどうかもわからなくなる。
「先生、これでいいですか?」
何かの魔法を使ったのだろうが、レイナ自身もよくわかっていない。だが、目的通りではある。
「…もう、何も言わないわ。問題は無いから、お昼にしましょう」




