第6話
振り返った私。その目の前には確かに妖精が居た。
…しかし妖精はネットのような細かい網目状の葉っぱに包まれ藻掻いていた。
地面に倒れこんで藻掻く妖精を見る。今もギラギラと獲物を狙う目をして私を見つめている。
私はそれを見て悲鳴を上げた。まだ私を狙っているのだ!!
「………………う?ぐぁ?」
「………は?」
突如変な鳴き声のようなものが聞こえ一瞬目が点になった。
え、何?妖精が何か聞いてきたの?
もう一度妖精を見るとキャラキャラと高めの声で鳴いている。…違う、この声じゃない。
まさかまだ何かいるのかと辺りを見渡す。……しかし何も見つからない、気のせいだったのだろうか。
「ぎゃお!ぐぁがあぁ!!」
「え?っひ!ひいいやああぁぁぁっ!?」
また謎の鳴き声が聞こえ、上の方から聞こえたと思い上を見上げると何かが大木の枝から落ちてきた!!
私は咄嗟に顔を手で覆い、その生き物を見ないようにした。え!?何!!第三勢力!?
見なかった私と違い、見えていた妖精は先程の可愛らしい声から一転、地獄のようにビービーと不快な声で鳴き始めた!
何!?妖精より上の生き物なの!?やだ…っ!っに、逃げなきゃ!!
ガタガタと大きく痙攣する足で立とうにも、地面から手を離した瞬間立てずに転倒し逃げるどころではなくなった。
―その瞬間、何かが私の腕に当たった―
「!!?あぎゃああああぁぁぁっっ!!!やだあああぁぁっ!!お兄ちゃあああっっ助けてえええぇっ!!」
力の限り叫ぶ。当たった物から離れる為に大きく捩った体は、足の踏ん張りが利かない為仰向けに転倒した。
その瞬間体を守ろうと目を覆っていた手を剥がした事で、事態の全貌が明らかになった。
「ぎゃああああああぁぁ……あぁ………………え…?」
私の目の前に立っていたのは…………一糸纏わぬ生まれたままの姿で、私の前で不思議そうに肩を叩く14歳くらいの少年だった……
「え?」
「がう?」
声変わりしたてのような掠れた声が森に響く。あ……この声、さっきのやつだ…
妖精に目をやると、さっきとは一転逃げようとするかのようにブンブンと草のネットを飛び回る。どうやらこの少年が怖いらしい。
………え、た…助けてくれたの?……もしかして……
私が聞こうと口を開けた瞬間、思い出したように少年は妖精の傍で屈んだ。
するとさらに煩く鳴き出した妖精に一瞬眉間に皴を寄せたが、少年は慣れた手つきで妖精を大きな木の実を空洞にして干したもののような入れ物に押し込む。
さらに同じ木の実のヘタの部分で蓋をして蔓でしっかり密閉して、そのまま手に持ち歩き出した。
……って!!行っちゃう!!この世界で初めて見た人間がどっかに行っちゃう!!待って!裸族の君!!
私は急いで立ち上がった。しかしまだ震えが収まっていなかったのか、ガクガクしたまま走ったので3歩目ですぐに転んだ。
「ぎゃあっ!!……………ありがとう」
「がぉう」
私が転んですぐ、少年は引き返して私を助け起こしてくれた。やだ、優しい。
この世界の言葉だからか、少年の言っている事が理解は出来ないが、少年の行動に対する優しさで私はこの日初めて泣いた。
「うう………ぐずっ……っくう……」
「う?…ぐぁお?がぁ」
少年はよく分かっていないようで、私の流す涙を指先で掬って舐めている。
しかししょっぱかったのか舌を出して顔を顰めた。
それを見て私は面白くて少し笑ってしまった。……ああ、ここに来て…私、初めて笑ったなぁ……
そうこうしているうちに私に飽きたのか、少年は一度空を仰いでから私に背を向けて再び歩き出した。
……え!待って!!こんな森に1人にしないで!!
助けてもらった恩を仇で返すようで悪いが、私には頼れる人間がこの少年しか居ないのだ。何とか人里への道だけでも聞かなければ!!
私はようやくまともに動けるようになった足で少年の前に躍り出た。
「あの!ちょっと待ってっ!人が住んでる所って知らない!?」
「………が?ぎぃあ、ぐるるがう」
ごめん、私から聞いててなんだけど全然何言ってるか分からない。
でもそれは少年も同じだったようで、私と同じく首をひねっている。……どうしよう…
『でも結菜。異世界だと言葉は通じないんじゃないの?』
『通じるのぉ~!そういう風に出来てるの~』
『現実感がないわね。普通は通じなくて身振りで相手に分かってもらう所から始めるんでしょう?』
『沙織は頭硬すぎ~!そんなのいつまで経っても恋に発展しないじゃない!好きって言ったらすぐ通じなきゃあ~』
アホな会話を思い出す。まさに今その状態だ。
そして結菜の言う異世界がこの世界はことごとく外れている。もう結菜を信用しない。
それより沙織だ。我らの知恵担当沙織様は身振りで相手に伝えろと仰っていた。
つまり身振りで人は何処に居るのか聞けば良いという事だろう。
私は必死に人間のジェスチャーを頭の中で検索した…………ダメだ!一体人間をどうやって身振りで伝えれば良い!?私を使えばそのジェスチャーは人間ではなく私となる!何という難易度!!
少年の前でずっとパントマイマーのように手を広げてムダに手を動かすと、少年も何が言いたいのかさっぱりといった様子だ。
うう…困った…いいか、もう私で人間という事にしよう…
「えっと…人間!人間ね、コレ!」
私は何度も自分を指差し人間を連呼する。すると少年はより首をひねり、私の口元を見ながら復唱してくれた。
「いう、えん?」
おしい!ちょっと違う!でもこの際何でもいいか!
「そう!人間、えっとー…」
住んでるってどうやればいいの…?
あああ!難易度が半端ない!!英語の教科書の役立たず!!教科書ならもし外国で言葉が通じなかった時の為の全人類共通のジェスチャー覧でも載っけとけ!!
ええと…住む…えー…寝たり…!!そうだ!寝るのポーズだ!!
「人間!寝る!!分かる!?」
私は手と手を合わせて頬に当てて眠りのポーズをとって目を閉じた。そうだよ!寝たり食べたりで生活しているのを表現すればいいんだ!!
しかし少年はボーっと私を見たまま一言「える」と言ったまま動こうとしない。
えー…まだ足りない?伝わらないの?ど、どうしよう…あ!食のジェスチャーだ!!
「食べる、食べる!寝て…食べる!人間!!」
パクパクと手掴みで物を食べるモーションを取ると全てのモーションを繋げた。
するとやっと少年は分かってくれたのか、「ぐぅお」と言って森の奥を指差し歩き出した!
やった!!通じた!!ありがとう沙織様!!
「こっち!?こっちに人間?寝る?食べる?」
「ぐぅお!」
再度確認すると人間にしては発達した牙のような歯を見せて年相応の笑みでまた森の奥を指差した。どうやら案内してくれるようだ。
「ありがとう少年!!」
「あいおと?おーえん?」
聞いた感じで私と同じ言葉を話そうとしてくれているのか、何度も私の真似をして言葉を喋ってくれる少年に自然と母性が湧いた。まるで赤ん坊のようで、私はこの世界で初めて癒しを感じた。
その後も集落に着くまでの道すがら、私は少年に言葉を教えてみた。と言っても私の名前なのだが。
流石にこのまま誰にも名前を呼ばれずにいるのは寂しいので、異世界の言葉を吸収しようという意欲に溢れたこの少年ならばきっと私の名前を正確に言えるようになるのではと思ったのだ。
「叶!か、な、え!!」
「いんえん?」
「いやいや、人間だけど叶!」
「いんえん」
ほらー!!私いんえんって名前になっちゃってるよー!!
そして私は到着するまで延々といんえんと呼ばれ続けた。