第3話
「フゥフゥフゥ、フォーフォフォフォ!!」
「!?」
聞いた事もない音が聞こえ飛び起きた。…ああ、そうだった。異世界に来たんだったっけ…?
私はイマイチ覚醒しきっていない頭で声の正体を探す。化け物だったら早く逃げないと…
その瞬間、急に空が暗くなった。先程まで朝日が差していたのか、眩い光が空から降り注いでいた。それが一瞬にして暗闇に変わり、私は怖くなって空を見上げた。
「え…………なに、ど…どうなってるの…?」
見上げると、何かが通過している最中だった。でもそれは間違いなく飛行機などではない。質感が生き物のように生々しい皮膚のような表面のそれは、言うなれば人の肉体で出来た龍のようだった。
表面が人間の皮膚のようでクリーム色。形は龍のように細長い。私はアレを一体何と呼べばいいのだろうか…
ただの通行だったのか、はたまた私に気付かなかっただけなのか、その生き物は私に目もくれず飛び去って行った。
「……………人間、絶滅してんじゃない…?」
へなへなと座り込みそう呟く。いや、本当に。
だってアレは勝てないよ…デカさがヤバかったよ…マンモス学校の校舎1つ分ぐらいあったもん。人間が束になったって勝てっこないよ……
『でね!私が目覚めた力で竜王を倒すの!そしたら竜王が私に惚れて擬人化して求婚してきて!それで勇者が一方的に私をライバル視してきて、私は別に好きに生きたいだけだから、どっちが上とかいいんだけど~勇者が私と競い合ううちに私に惚れてね~!竜王と三角関係になるの~!!きゃあぁぁ!!』
馬鹿な妄想を垂れ流す結菜の言葉を思い出した。目をハートにしながら語る結菜の妄想は、日によってさまざまだ。
この会話は剣と魔法の世界に行ったら結菜はどうなるか?という妄想の時の言葉だ。どうやら結菜は先程の龍のような生き物を瞬殺出来る気でいるようだ。
…でも結菜。絶対無理。まずアレの首を貫通出来る剣がそもそも無いと思う。
あと風圧で吹き飛ばされそうになったから近付けないよ。
結菜の妄想に頭の中で突っ込みを入れていくと不思議と冷静になれた。多分、不可解な事ではなく、現実的に考えれば理解出来る事があるという事に気付いたからだろう。ありがとう、結菜。
でもそれなら結菜がこの世界に行けば良かったと思う。イケメンどころか人間がいるかも怪しいけど……
…さて、と。さっきの生き物ももうどこかに行って戻って来なそうだし、そろそろ飲み水を探しに行こう。流石に今日は飲まないと命的にも危険だ。
まだ喉が渇いていないから比較的余裕な内に探そうと、嫌がる足を無理やり動かし、キノコが多く群生している方向へ私は再び歩き出した。
「は……はぁ、はぁ、や……やっと、見つけた……!!」
満身創痍。ズタボロの私は這うように透き通る湖に近づいた。一体ここまで来るのに何時間かかっただろうか。
しかし日が傾く前に見つけられたのは本当にラッキーだ!こんな透き通った水だったなら暗闇ではきっと見つからなかっただろう。
近付き水面を覗き込む。……うん、変な物は泳いでない。微生物はこの透明度ならほぼ居ないだろう。
私はそっと掌でその水を掬った。
「~!!っはあぁぁ~!生き返るっ!!」
どうやら私は相当喉が渇いていたらしい。混乱していて自分でも喉の渇きに気付かなかったのだろう。
私は頭を湖に浸けがぶがぶと水を飲めるだけ飲んだ。
「…ああ…良かった…水があって……そうだ、此処を拠点にしよう!」
正直水すら存在しない世界かと思ってこの数時間叫び出しそうだった。でも水があって本当に良かった。植物からしか水分を取る方法がないかと思って一応木の実も探したが、普通に食用だけで済みそうだ。
……でもこの辺りを散策して数時間経ったが、あの生き物以外の生物を一度も見ていない事に一抹の不安を覚える。
…こんなに自然豊かな地に虫すらいないのは、どう考えてもおかしい。日本だって山に行けば虫が大量なのに、こんな人工物もない所に何も生息していないなんて事はないだろう。
…考えられる可能性があるとすれば……そもそも虫がいないとか……あとは……何か、やばい生き物の縄張り…………とか……
その瞬間首が捥げる程ぶんぶんと左右に振り、辺りを見渡した。
……居ない!!大丈夫!縄張りじゃない!!
確認すると私は大きく息を吐いた。どうやら無意識に息を止めていたようだ。
…でも、本当にやばい何かの縄張りだったとして…そこから出るのと、ずっとそれから逃げてここに居るのと、どっちが良いんだろう?
……あああ!!分かんない!教えて!私達の頭脳担当、沙織!!
私は頭を掻きむしり絶対に答えてはくれない沙織に縋った。間違えても結菜には縋らない。
「……!?いっ…いててててて!!やだ痛い―っ!!」
急にお腹が裂けるような痛みに襲われ、私は体を丸め蹲る。
何だ!?水か?…いや違う!弁当だ!!やっぱり腐ってたか!!
朦朧とする意識で犯人を特定するも、気付いた所でもう手遅れ。私は目も見えない程の痛みに、ただただ藻掻き苦しんだ。
痛い…!と、トイレ!!…って野糞しか出来ないじゃんっ!?ヤダよ!!誰かいたらどうするの!?
理性がここでしてはならぬと便意を止める。しかしお腹はこの異物を出して幸せになれと腹痛を強める。
同調するように尿意までもよおす。だがその瞬間、私の中である悟りが開かれた。
―そうだよ。ずっとここにいるなら、いつか通る道だったんだよ。それが今になっただけだよ。叶。
悪魔の囁きか天使の囁きか…腹痛で理性を失っていた私は、それにそうだそうだと同調すると、走って茂みに身を隠した。
…この時、私は現代人としての常識を1つ失った。
「……………もう誰にも会いたくない……」
私は便に砂をかけ証拠を隠滅する。気分は変な所に粗相をしてしまい飼い主に怒られた猫だ。
…やだもう。別の意味で皆に会えないよ……私、あのグループの中では常識人枠だったのに……
子供の頃のそれとは訳が違う。もう既に善悪の違いだってつく高校生だ。
正直こんな物が近くに埋まっている湖の水なんてもう飲みたくない。…いや、私のだけどさ……
「…でも慣れるしか、ないのかぁ……あぁ……帰りたい」
結菜には悪いけれど、やっぱり異世界なんて碌なもんじゃない。結菜にも一度野糞を体験して欲しい。それでも居たいなら私は止めない。
だがそんなに悲しんでいても人間とは単純なもので、出したなら食え!とでも言うように今度はお腹が食べ物を催促しだした。
……ご飯は食べたい。だけど…先程の後に食べるのは……やっぱり嫌だ。
私は腹の減りを無視してトイレ制作に取り掛かった。せめて野糞が義務となるなら、周りから見えないように工夫しなければ……あと、臭い対策も……
そうやってトイレを制作してしばらく。やっとそれらしい形になった穴が完成した。
そう、穴である。
……いやいや、だって考えてよ。女子高生の鞄にシャベルは入っていますか?いないでしょう?
つまり私は素手で穴を掘った。指先が全て血だらけだ。
本当は洋式は無理でも和式ぐらいは作る予定だったのだ。しかしこの血だらけの手で和式を作る気力が無かった。
土の質なのか、一生懸命掌で水を掬って土にかけて泥にして形を成型する、という作業を一応最初やってみたのだが、まず……崩れた。固まらない。引っ付かない。
何度やってもそうなるので、私はこれはもう土の質だと判断した。知らないけど。
そして出来上がった素敵な穴。周りにはかける用の砂山と、周りが死角になるように茂みの一角を引き抜いた所に穴を作り、完全な個室を作り上げた。
ついでに水に近いとアレなのでかなり離れた所に作った。流石にね……
だが、思いのほか時間がかかってしまい、今日ももう夜になってしまった。
今日は何も食べていないのでお腹がにわかに騒がしいが、胸と違ってお腹には結菜程ではないが少々栄養が蓄えられているので、1日食べなかったぐらいどうって事はないだろう。
私は鳴るお腹から目を背けるようにジャージを肩まで掛け、この日を終えた。