第2話
私は転がるようにバスから降りた方向と反対の茂みの方へと走った。
こっち…!きっとこっちにまだバスがある!!…あのバスが私を連れてきたんだ!!見つけなきゃ、帰れない!!見つけなきゃ…!
ただただそんな想いだけが私の重力の定まっていない足を動かした。転び過ぎて血だらけだが、そんな事は気にしていられない。だって、早くしないと、置いて行かれる…!帰れなくなる!!
走って、走って。そしたら限界が来た。当たり前だ。だって私はただの人間だから。
ヒュウヒュウという呼吸音が、仄暗い森に1人響く。当然だがバスの音は聞こえない。
「ヒュウ、ヒュウ……は、はは……ははは!置いてっ、置いて行かれ、ちゃった!ははは…っ!ごっほっ!?…っ…ハァ…ハァ……お、お母さん……っ…」
肺の痛さに蹲る。痛い。怖い。助けて。
絶対に聞こえないと分かっていても、私は大事な人の名を呼んだ。
お母さん、お父さん、お兄ちゃん、沙織、結菜……。
そして私は理解した。もう二度と、あの場所に帰れないのだと……
「……どうしよう…これから……」
私は独り言を呟きながらキノコの生えた所を歩いている。とりあえずキノコが生息しているという事は何処か近くに水があるはずだ。何よりも今は飲み水を確保しなくてはならない。
ぐぅぅぅ……
「…………お腹、すいたな……」
そう自分の悲しい声を聞いて思い出す。そうだ、お弁当があったじゃないか。
思い出してすぐ肩に掛けたバッグからお弁当を取り出す。まともな神経をしていたら私は絶対に食べないだろうが、背に腹は代えられない。
パンドラの箱を開けるような気持ちで私は恐る恐る蓋を開けた。
「……あ……」
中には…ありふれた玉子焼き、私の好きなチーズウインナー、昨日のハンバーグの残り、ふりかけご飯、ほうれん草のおひたし……
『あんたほんとにチーズウインナー好きねぇ』
『だってお母さん、チーズが入ってるんだよ?最高じゃん!』
『お前ほんとチーズばっかだな。お前のせいで俺のもチーズウインナーなんだぞ』
『まぁまぁ、いいだろう隆志。お前だって昔はタコさんウインナーが好きだっただろう?おあいこだよ』
「……やだぁ…っ…!……会いたいよおっ!!お母さんっ、お父さんっ、お兄ちゃんっ…っく、うう…」
お弁当を開けた瞬間、先日の我が家の会話が流れるように聞こえてきた。
いつもは聞き流している会話も、ここまで覚えていたのかと自分でも驚くほど鮮明に思い出せた。
酸っぱい匂いがするお弁当の奥に、確かに我が家の匂いがした。それが私の涙腺をさらに刺激し、食事どころではなくなってしまった。
「……ごちそうさま…」
ゆっくりと食べ進めていたお弁当は、意外にも呆気なく食べ終わってしまった。もう食べられないかも知れないお弁当を、今…食べ終わってしまった。
考えるとまた鼻がツンと沁みた。正直お弁当は鼻が詰まって味がしなかったが、懐かしい味がした気がする。…しかし勿体ない事をしてしまった。
お弁当箱を再び包んで鞄に仕舞う。お弁当箱の中に私の郷愁の念を押し込めて封印するように厳重に包み、私は頬を叩いた。いつまでもうじうじ泣いてはいられない。
「でも、どこに行けばいいんだろう…」
この世界の知識が私には無い。一体ここがどの辺りで、この世界で生物上でのトップは人間なのかも分からない。……そもそも…もしかしたら、私以外…人間も存在、していないのかも…
考えたら頭の熱がさあっと引いた。そんな世界で生きられる訳がない。
…いや、仮定の話だ。まだそうだと決まったわけではない。落ち着け。
言い聞かせ、ゆっくりと深呼吸した。…幸い森なので空気が良く、すぐに私は落ち着きを取り戻した。
落ち着いた頭で現状を再度確認してみる。…今はどうやら夜のようだ。うっすらと星が見える。ここが夜しかない世界でない限りはあまり夜の視界が悪い時間に行動しない方が良いだろう。
一応気になってスマホで時間を見てみたが、やはりもう使い物にはならなそうだ。棒線になって時間が表示されなくなっている。…やはりあのバスを降りる瞬間が運命の分かれ道だったのか。
次に私は持ち物を確認した。えっと…ノート4冊と教科書3冊…筆記用具と洗濯しようと持って帰ってきたジャージ…あとこの間結菜から貰ったクッキー…あと財布か。
碌な物が無い。そりゃあいつサバイバルになるか分からないからってナイフとか持ってたら親呼ばれる処の騒ぎじゃない。でも言うなら火打石ぐらいは欲しかった…今めっちゃ寒いし…
「…あ!そう言えば何かのテレビでこの前ウールで火を点けれるってやってたじゃん!!」
そうだ!確か小さな電気でウール生地は発火するから気をつけようってやってたんだ!ありがとう、現代科学!!
私は震える体でそこらに落ちている木材を拾い集め木を組んだ。キャンプファイヤーの時に覚えた技だ。
枝はまぁ…少々湿っているけど無いよりはいいだろう。多少は仕方がない。…にしてもえらい太い枝だな…軽く丸太だ。
汗水垂らして私の頭ぐらいまで積み上げた木を前に私は1人達成感に包まれた。やれば出来る子だよ、私は!!
1人用にしては大きすぎるキャンプファイヤーの前に屈んで準備に取り掛かる。確か静電気でウール生地は火が点くんだったか?
曖昧な記憶を頼りに私は持てばたちまち静電気に襲われることで有名なキーホルダーを装備した。友人達には嫌われたが、お兄ちゃんが中学の入学式に初めてくれたプレゼントだから外せなかったのが功を成した!
私はキーホルダーを拝んだ。いてっ!?気が早いぞ、キーホルダー!お前の出番はまだだ!!
先走って私の指先に小さな雷をおとしたキーホルダーを爪でピン、と弾く。なんて攻撃的なキーホルダーだ…
「えっと、あとはウールだけだ!確かこの下着ウールなんだよね。頼んだぞ!私のパンツ!!」
私は己のパンツに手を掛けた。パンツの地を削るのは流石にあれなので、表面を削った。
思いのほか禿げたが…まあ問題ない。今は何より暖をとりたい。
私はそれを指先で持ち、思いっきり擦る。精度をあげるのだ。そして怖がると電気が逃げるので、思いっきりキーホルダーに近付けた!
「いけぇ!!…ぎょああ!?……………あれ?」
かなりの電撃を食らい大ダメージを負った私だったが、それとは対照的にウール生地は涼し気だ。焦げ一つ無い…えぇ?
…何?どういう事?テレビでは勢い良く燃えてたじゃん。なに、ヤラセだったの?
……………………
1つ予感が私の中で生まれた。…いやいや……そんな…。
否定しながらも私は手探りでパンツのタグを探した。そして洗濯表記の裏にあったその表記に我が目を疑った。
“ポリエステル100%”
「はああああぁぁ!!!??ふざけんなっっ!!ウールじゃないとかっ、ば、馬鹿じゃないのっっ!?ほんと、えっ、はああぁ!?」
私は頭を抱えて背中から雑草に倒れこんだ。嘘でしょ…あんだけ頑張ったのに…!
そもそも私がこのパンツをウールだと思ったのは、この見た目だ。
完全に羊をモチーフにしている。クリーム色のモコモコなんて羊以外に居ない。
しかもこの下着のキャッチコピーが“モコモコ下着で気分もふんわり。かわいくって彼氏からも愛されるキュートな子羊で、もこかわアニマルに大変身!”とかいう完全にウールで出来てそうな紹介文だったのも悪質だ。
余談だが私には彼氏は居ない。この下着はもしもの為に買った勝負下着だ。
私は泣いた。何やってんだ、私…そんな事してる暇あるならジャージにくるまって寝てろよ……
他に火を点ける方法も浮かばなかったので、私は組み立てたキャンプファイヤーのファイヤー無しバージョンを無かったことにしてジャージを肩にかけて眠った。
私はこの時の事を後に思い出す。……現代科学など、何も持っていない女子高生が手を出せる代物ではないと私が知るまでもう少し。
所詮流し見していただけの情報。その愚かさにも気付かず、私はずっとポリエステルへの怒りで体を震わせ夜の寒さに凍えて眠った…