Mission6 情報を支部へ送り届けよ
私は身支度を調えると、泣き腫らして真っ赤になった目を鏡越しに覗き込んだ。ぼうっとした顔の自分が目と鼻の先にいる。大きく見開かれているのは存外鮮やかな色をしている青い目である。家族の中では、私だけが目の色が違っていた。
(……お父さんは、死んでいたのか)
思わぬ形でその真実を知ってしまった私は、未だにその衝撃を飲み込めずにいた。
(エリクスさんは、私がエリクスさんに憧れていることを、きっと知っていたんだろう。だから私を遮ってまであんな話をしたんだ)
彼の紡いだ数々の言葉が忘れられない。『幻滅してくれて構わない』と、エリクスさんはそう言ったのだ。
もはや誰もいない部屋をぐるりと見回しながら、私は息を吐く。
(『どうしてお父さんを助けてくれなかったの』? ……その答えは、たぶん、分かる)
目の前で、私のお父さんが撃たれる現場を目の当たりにしたという、私とほぼ同じ年だった頃のエリクスさん。あれが初任務だったのだという。
(すごく年上のお兄さんだと思っていたけど、あのときのエリクスさんも、今の私と同じだったんだ)
答えはきっと単純だ。未熟だったから。怖かったから。緊張していたから。
玄関に向かって歩く。ぼんやりとした思考を持て余しながら、私は玄関の扉に手をかけた。
頭では分かっている。エリクスさんはちっとも悪くない。ただ、――間に合わなかった。それだけのことだ。……それでも!
「……お父さん、最期まで私たちを探して、……心配してくれていたんだ、」
生きてくれていると、信じていたのに。こうして頑張っていれば、またいつか家族と一緒に暮らせる日が来ると思っていたのに。私は深く項垂れる。
「生きていて、ほしかったな……」
その願いは、巡り巡って、エリクスさんへの非難に繋がってしまう。違う、違う……!エリクスさんを責めたいんじゃない、でも、上手く言い表すことができない。感情がぐしゃぐしゃだ。
「そ……そうしたことは、あとで考えよう」
わざわざそう口にして、私は気合いを入れて頬を軽く叩いた。任務は帰るまでが任務です。つまり、今はまだ任務中である。
(帰ってからでも、いくらでも考える時間はあるからね)
そうだそうだ、と首を上下させて、私は玄関の扉を開けた。そこには、嫌になってしまうくらいの晴天が広がっていた。
***
駅までの道のりを辿りながら、私はぐるぐると纏まらない思考をなおも回し続ける。
(それにしても、エリクスさんの言っていたことが気にかかる。……ユティニア人は、異能を持つ純系の血筋? そんな話、今まで一度だって……)
足音は私のものだけである。規則正しい歩調。踵が小気味よい音を立てる。
(少なくとも私は異能者ではない……と、思う。私の家族にも異能者なんていなかったはず)
こつ、こつ、と、足音が響く。
(でも、エリクスさんがそんな嘘をつく必要なんてあるだろうか?)
私は思考に没頭していた。エリクスさんの言葉の断片を思い浮かべては黙考する。足音は続く。
広い公園の中を突っ切る、並木道の端を歩きながら、私はのどかな風景を睨みつけた。頭上では青々とした葉が茂り、木漏れ日は絶え間なく揺れ動きながら爽やかな風に吹かれている。
こつ、とん、……こつ、とん。
(……本部に戻ってこの件について調べなければいけない。今私にできることはいち早く本部に向かうことだけだ)
そう胸の内で結論づけた、直後、私は無言のうちに瞠目した。
(――足音が、多い、)
私の足音のみが響いていた小径に、気づけば別の音が加わっている。それは私のものよりも控えめな足音であり、そして――妙に近い。
それに気づいた瞬間、私は慄然と背筋を凍らせた。すぐ背後で気配がし、息を飲んだ私の耳元で、ねっとりとした囁き声が告げる。
「――お前の愛しの旦那様は預かった。そのまま振り返らず、言う通りに歩け」
私は大きく目を見開いた。私の『夫』、それが誰のことを指すかなんて、考えなくたって分かる。
「くすんだ金髪の優男。首筋に二連のほくろがある。……違うか?」
(エリクスさんだ、)
私は確信した。……いや、首のほくろは知らんけど……多分エリクスさんのことを言っているはずだ。
「……違わないわ」
唸るようにそう答えながらも、一気に心拍数が跳ね上がる。私は自分が窮地に立たされているのを一瞬で理解した。
――エリクスさんが捕まったのか? しかし、それでどうして私のところに来る。そもそも私に声をかけてきたのは一体何者だ。
「あなたは誰、」
「それに答える義理はない。我々はお前がスパイであると分かっている」
「…………夫は無事なんでしょうね」
親子連れとすれ違うのを見送ってから、私は低めた声で吐き捨てた。このように他の市民もいる場で声をかけてくるなど……。
「お前が大人しくついてくるのなら、命くらいは助けてやっても良いだろう。しかし、少しでも怪しい動きを見せたら、どうなるか分からない」
私は歩調を緩めないまま、背後に立つ男を横目で睨みつけた。その顔を見ることはできず、しかし背後にぴったりとつけたその肩を窺い知ることはできる。
それはごく普通の午前のように見えた。祝祭を明日に控え、僅かに浮き立ちつつも、未だ平穏を保った穏やかな街並みでのことである。私はぎり、と奥歯を噛みしめる。
「…………良いでしょう。案内しなさい」
ごくごく潜めた声でそう告げると、背後の男は「聞き分けがよいのは良いことだ」と頬を吊り上げたようだった。
***
どんと背を押されてつんのめるように入った部屋の中には、煙臭さが満ちていた。空気も心なしか白み、薄暗いこともあって視界が悪い。……それでも、部屋の中央に、見慣れた人影が転がされていることは分かる。
「……ヘンリー、」
(エリクスさん)
私は呆然と呟いた。エリクスさんが捕まったのは本当だったらしい。彼は応えず、しかし僅かに頭を浮かせてこちらを窺ったことは分かった。
ややあって目が慣れた頃、私はエリクスさんが猿ぐつわを噛まされ、手足を縛られていることを認識した。そればかりか、頬には酷い殴打の痕が見える。
(何てこと……)
私が息を飲んで駆け寄った直後、背後の扉からゆったりとひとつの人影が姿を現した。
「こんにちは、奥さん。愛されていますね。あなたを捕まえたと言ったら、旦那さん、すぐについてきてくれましたよ」
その声音は、この任務の中で何度も聞いてきたそれである。私はエリクスさんの肩に手を添えたまま振り返り、歯を剥き出しにして唸った。
「ライデリー・センタルラス……!」
「きちんとフルネームで覚えていてくださってどうも」
ひょいと片手を挙げ、小馬鹿にしたように肩を竦めた男を、私はあらん限りの眼光で睨みつける。
「まあ、それはあなたも同じか。旦那さんが捕まっていると聞いて、こうして同行してくださったんだから」
ライデリーはくいと頬を吊り上げた。私はその言葉に取り合わず、エリクスさんが噛まされている布をいち早く取り払う。はあ、と荒い息を吐いたエリクスさんが、「どうしてここに来た」と低い声で囁く。私は同じく潜めた声で「だってエリクスさんが捕まっているって言うから」と眉根を寄せた。乱れた衣服の襟元から、首に並んだ二つのほくろを見つける。
「馬鹿なことを。僕一人なら何とかなったのに、君まで来てしまったら逃げ出せないじゃないか」
「そんなこと言って、現に『何とかなっ』てないじゃないですか。少しでも早く報告に行かなきゃなんでしょう」
言いながら、私はエリクスさんの足を縛る縄に手をかけようとした。しかし「おっと、そこまでですよ」という声を合図に、私は腕を掴まれてエリクスさんから引き剥がされた。
後ろから両腕を取られたまま拘束される私に、ライデリーは実によい笑顔で告げる。
「どうも旦那さんは『何も知らない』の一点張りでね。らちが明かないのであなたにも来てもらった次第です」
じり、と男が一歩前に出る。
「あなたたちがスパイだということは分かっているんだ。それでは、一体、どこの手のものなのか気になるのが人間ってものですよ。とりわけ、大事な祝祭の直前とあってはね」
「……何故私がスパイだと?」
「一番最初に怪しいと思ったのは、ごみ袋がいやに軽かったことですかね」
(……初っ端だよ!)
私は思わず頭を抱えた。やたら軽いごみ袋、という言葉には思い当たる節がある。それは、ごみを出しに来るターゲットと接近するためにエリクスさんが作ってくれた、中身スッカスカのごみ袋である。ちなみに任務が本格的に始まって初日の朝だ。
『原因はごみ袋ですって』
『………………。』
ちら、とエリクスさんを見ると、露骨に目を逸らされる。知らない、と言わんばかりの表情に私は半目になった。
私は素早く思案する。私たちが諜報員であることは初めからバレていた、となると、これまでのやり取りも全て怪しまれていたと思って良いだろう。
(……今までの猿芝居が何だか恥ずかしくなってくるわ)
遠い目をしながら、私はライデリーの言葉を反芻する。
――今ここでやるべきことは何か? 私にできることは何か?
(エリクスさんは恐らく支部に報告に行く途中で捕まった。つまりまだ支部には私たちが掴んだ情報は届いていない。明日が決行の日である以上、最優先すべきは情報を届けることだ)
後ろ手に両手をひねり上げられながら、私は鋭い眼光でライデリーを睨みつけた。
(……エリクスさんを、ここから逃がさなければならない)
私の任務は昨日で満了したのである。私は囮にでも人質にでも何とでもなって良い。でもエリクスさんは、無事に支部まで到着させねばならない。そうでなくては奴らの企みをくじくことなどできまい、――罪のない人々が傷つけられる。
くす、と息を漏らして、私は顔を上げた。背後から拘束されてもなお、背筋を伸ばしてライデリーに対峙する。
「……バレてしまったら仕方ないわね」
「えっ」
床に転がったまま目を見開いたエリクスさんを無視して、私はぞんざいな仕草で肩を竦めた。
「確かに私はスパイよ。あなたたちの企みを見破るために派遣されてきた諜報員」
「口が軽いのは良いことだ。旦那さんとは大違いですね」
「あら、それは当然よ」
私は冷然とした眼差しで、足下で愕然とするエリクスさんを一瞥した。そうして、ごく普通の口調で告げる。
「――だってこの人はスパイなんかじゃないんですもの」
その一言で、エリクスさんは私の言わんとしていることを全て了承したらしい。「さっきから何を言っているんだ」と呟いて、困惑を深めたような表情をする。ライデリーは懐疑的に腕を組んだ。
「……そのような、杜撰な言い逃れが通用するとでも?」
「本当のことよ。この男は私がその辺で適当に見繕った一般人。ちょっと粉をかけてやったらすぐになびいたから、せっかくだし利用しておこうと思って」
そう言って冷笑する私は、その実、足が震えるのを必死に堪えているような有様だった。
「私は別に、この男のことなんてちっとも興味はないのよ。『こっち』は私にお熱みたいだったけれど」と、私は足先でエリクスさんを小突いてみせる。エリクスさんは迫真の表情で「どういうことだ……」と愕然としている様子である。否、そこには若干本心からの驚きも含まれているかもしれなかった。
「むしろ、この機会に始末しておいて欲しいくらいだわ。こういう手合いって、縁を切ろうとするとズルズルとごねて骨が折れるのよね」
そうまで言ったところで、ライデリーが私に近づき、片手で顔を上向けさせた。「作り話はいい加減にしなさい」と、ずいと顔が近づき、至近距離で目の奥を覗き込まれる。
「……せっかくだから教えて差し上げましょうか。私の異能に関して」
「あら、やっぱり異能持ちだったの」
努めて平然と、そう返した。足下でエリクスさんが体を強ばらせたのが分かる。貴重な情報を自ら喋ろうとしている男を前に、私はごくりと唾を飲んだ。
「――『対象の心を読む』。それが、私の持つ異能です。心を揺らがせずに嘘をつける人間などいない。嘘をついても無駄だということを理解しておきなさい」
(精神作用系の異能、)
それは、私が所持していた加護の石から検出された異能と一致するものである。しかし、あの石からは、他の異能も一緒に確認されていた。……正体不明の異能である。
警戒を解くことはできない。……が、ライデリーが自ら手の内を明かしてくれたのはありがたかった。私は動揺を見せることなく、好戦的に目を眇める。
「好都合よ。厄介な問答なしに、私の言葉を信じてもらえるのなら、話も短く済むわ」
(『心を揺らがせずに嘘をつける人間などいない』? ……上等じゃない)
ライデリーの目を、逸らさずに受け止めた。私はくっと唇を噛み、それから頬を吊り上げる。
(私は周囲の人間を騙して誑かして利用するハニトラ女スパイよ。――恋心を隠すなんて訳もないわ)




