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Mission1 パートナーと合流せよ





 私の生まれ育った村は、今や銃声の鳴り響く戦場と化していた。両親とははぐれ、弟も見失ってしまった。ほとんど崩れ落ちそうな家屋の壁に身を寄せ、私は必死に頭を抱えて縮こまっていた。


(誰か、助けて……!)

 火薬の匂いは消えない。悲鳴は止まない。光は降り注がない。至る所で火の手が上がっていた。力一杯に握りしめる両手の平では、皮に爪が食い込んで血が滲んでいる。


 早く終われ。早くどこかへ行ってくれ。銃声が止むのをひたすらに待ち続けていた、そのときだった。

「見ろよ、ユティニアのガキがこんなところに隠れていやがったぜ」


 そんな声がしたと思って顔を上げると、私の眼前には黒光りする銃口が突きつけられていたのだ。声もなく凍り付いた私を前に、早口の会話が交わされる。

「おい、目を直視するんじゃないぞ。異能持ちかもしれん」

「大丈夫だろ、目が青い。覚醒しなかったらしい」

「そうか、なら生かしておく必要はないな。始末しておくか?」

「ああ」

 何を言われているのか分からず、私は身動き一つできずに固まる。ごり、と冷たい銃口が額に押し当てられた。私を振り返って見下ろした男は、頬を吊り上げて酷薄に告げる。


「悪いな。これもお前のところの領主がお前たちを売ったからだ。恨むなら、その血筋を恨むんだな」

「ひ、」

 その指が引き金にかけられるのを、私は息もできずに見つめていた。


「――助けて、」


 震える声で呟いた。無駄だ、と嘲笑される。指先に力が込められる。私は首を竦め、強く目をつぶった。

 ――しかしいつまで立っても、私の頭が撃ち抜かれることはなかった。



「うわ、何をする、……この野郎!」

 罵声が一瞬だけ飛んだかと思うと、すぐに消える。私は恐る恐る目を開け、様子を窺った。

 私に向けられた銃は、なくなっている。目の前にいた男たちは何故か離れた地面で仰向けに倒れていた。


「え……?」

 私は頭を抱えていた手をそっと下ろし、周囲を見回す。何が起こったのか、と戸惑う私に、頭上から声がかけられた。

「大丈夫かい?」

「あ……」

 首を反らして声の主を見上げる。遠くで伸びている男から奪ったと思しき銃をぽいと窓の外に投げ捨て、その人は目を細めて笑った。壁際に座り込む私と視線を合わせるように床に片膝をつくと、片方の手袋を外して私の頬を拭う。


「もう怖くないよ。女王陛下が君たちを守ると決めたんだ。……遅くなってごめん」

 次から次へと頬を伝う涙を根気強く親指で払いながら、その人は私に微笑んでみせた。私は呆然と呟く。

「あなたは……?」

「――僕はエリクス。女王陛下直属の特別部隊員だ」


 幼い私はその名前を、心に深く刻みつけた。きっといくつも年上のお兄さんだ。住む世界だって違う。もう二度と会えないかも知れない。

 それでもエリクスさんは、私の命の恩人で、救世主で、私の光なのだ。



 しゃくり上げる私にエリクスさんは問うた。

「君の名前を聞かせてもらってもいいかな?」

 私は必死に呼吸を整えながら応じた。


「私は――――」



 ***


「――過激派の異能集団に加担している疑いのある、要注意人物への接近……ですか?」

 私は直属の上司の言葉をオウム返しに繰り返した。上司は「その通り」と頷く。私は頬を掻きながらぶつくさと呟いた。

「ええと……初任務にしては……結構難しそうな……。私ってハニトラ要員の諜報員だと思っていたのですが、それって要するに……その人に近づいて色仕掛けしろってことですよね……? ちょっといきなりにしては」

「つべこべ言うんじゃない。出来るのか出来ないのかはっきり言いなさい」

「で、できます!」

 慌てて大きく頷くと、上司は満足げに目を細めた。


「もちろん、一人で任務を遂行しろとは言わない。協力者はこちらで用意しておいたから、現場の最寄り駅で落ち合うように」

「わ……かりました」

 私は頷くと、手渡された資料の表紙を見下ろした。なるほど、ここから汽車で四半日ほどの街が現場らしい。

「健闘を祈る」

「必ずや結果を残して無事に帰還します」

 私は力強く頷き、そして現場へと向かったのだった。



 汽車に揺られながら、私はこれまでのことを思い返していた。

 ユティニア人――国の一部地域で細々と暮らしていた少数民族であるところの私たちは、悪徳領主によってこれまた悪徳商人に売られ、ほとんど荒くれ者のような傭兵に村を襲撃された。

 財産が全て強奪され、跡形もなく村が破壊されただけではない。

 住民たちの三割程度、特に老人や子どもは無残にも殺害され、半数以上は未だに行方が知れず、人買いによってどこかに連れて行かれたとされている。残った少数も故郷を失い、いつしか散り散りになって、今はいずこへいるのやら知れなかった。

 私の家族も恐らくは人買いに売り飛ばされた口で、遺体は見つからないが行方も知れない、そんな状況だった。


 それでも被害が『その程度』で済んだのは、かねてから当該の領地に目を光らせていた女王陛下が自身の特別部隊を使わしたからだ。私が間一髪で生き延びたのもそのおかげ。


 ――そして何の因果か、先日私も、その特別部隊の諜報員として、名を連ねることになった。



 女王陛下が保持するこの部隊は、既存の権力からの干渉を受けることなく様々な捜査を行う組織である。もちろんその特異性から、権限は限られている。容疑者を逮捕することはできるが、司法から引き渡すようにと命じられれば、理由がない限りそれを拒否することはできない。一般の警察なら違法とされるような捜査も行うことから、決して国民からも好意的に受け止められているとは言えない。


 しかし、領主や高位貴族、議会員といった権力者におもねることなく、どこよりも素早く、社会の敵に切り込むことができるのは、この特別部隊の他にはないと言ってよかった。


 そんな特別部隊に入るため、私はこれまでの数年間必死に厳しい訓練をこなし、様々な技術を身につけ、そしてついに――入隊することになったのである!



(……で、これが初任務というわけですよ)

 私は流れる景色を眺めながら、窓枠に頬杖をつく。窓の外を見れば、大きく弧を描いた線路の上をゆったりと汽車が流れてゆく様子が目に映った。煙が空に向かってたなびくのを見るともなく見ながら、私は胸中で不謹慎な呟きを漏らす。

(部隊に入ったからといって、エリクスさんに会えるってわけじゃないんだなぁ……いや、別にそれが目的という訳でもないんだけれど……)


 ……もちろん、私が女王陛下直属の部隊に入ったのは、そんな不純な動機ではない。かつての自分のように、無力な人間が強者によって蹂躙されるのを見過ごしてはおけないと強く思ったからである。その為に、議会や特権階級から一線を引いたところに確立する女王陛下の権威に下ることにしたのであって、別にそんな……別に……憧れの人に近づきたいとか、そんな動機なんて全然ない。本当にないもん。ないんだからね。


 とはいえ、もしかして一目くらいは見ることができるんじゃないかとは思っていたのだ……あわよくば、程度に。会って、直接お礼を言いたいと思っていた。きっとエリクスさんは私のことなんて覚えていないだろうけれど、それでも、だ。


 ところがどっこい。全然会わない。姿を見ることもない。だって私は諜報員。向こうは戦闘員。それぞれの戦場は別のところにあるのだ。

(まあ、現実はそんなもんだよね……)

 車窓で切り取られた空が徐々に暗く曇ってゆくのを眺めながら、私はゆっくりと目を閉じた。やがて雨が車体を叩く音を聞きながら、私は微睡みに落ちたのだった。



 ***


 目的の駅に降り立った頃には、雨脚は随分と強まっていた。私は改札を出たところで、さりげない動きで周囲を見回す。この駅で任務の協力者と落ち合う手筈だった。

(目印は赤色の傘……)

 私は柱の側に寄ると、人の行き交う駅構内に目を走らせ、赤い傘を持っている人を探した。……が。


(あ……赤ってどういう赤?)

 奇しくも今日は雨だった。駅には傘を持った人があふれかえっており、当然、その中には赤に近い色をした傘を持っている人だってたくさんいる。私は心臓がやにわに早鐘を打つのを感じた。背中に汗が滲む。


 しばらく待っても、それらしき人影を見つけることはできない。

(もしかして、協力者の方に何かがあったんだろうか)

 私は軽く袖を上げ、自分の目印として指定されていた赤色の腕時計を見えやすくする。けれど誰も私に目を留める人はいない。

(どうしよう……)

 赤色の傘を持っている人を順に見る。誰も私に目もくれずに歩き去って行く。私は無言で唇を噛んだ。駅の入り口の方に顔を向け、胸の前で拳を握りしめた。



 そのときである。

「――おかえり。時計新しくした? 可愛いね」

 唐突に背後から声をかけられて、私は飛び上がるようにして振り返った。咄嗟に視界に入ったのは、目に鮮やかな赤い傘。息を飲んで顔を上げた私を、その人は笑顔で見返した。


「新居は既に用意してあるよ。案内するからついておいで、奥さん」


 その瞬間、私は目を見張ったまま、凍りついたように動きを止めた。ぱちぱちと瞬きを繰り返し、愕然と立ち尽くす。

「ひえ……」

 ややあって、私は放心したまま声を漏らした。今にもその場で仰向けに倒れてしまいそうだ。だって、だって……!


 畳んだ赤い傘を片手に、目の前で佇んでいる男性。その顔を見て卒倒しそうになる。


 柔らかく微笑む容貌は、記憶にある命の恩人の面影をはっきりと残していた。

「え、エリクスさん……!?」


 呆然と呟く私の唇に人差し指を当て、彼は一瞬だけ鋭い目をする。言葉にしなくても叱りつけられたのが分かった。咄嗟に口を噤むと、エリクスさんは小さく頷く。

「ここではヘンリーだ」

「分かりました」

 小声で囁き合い、そうして私たちは何事もなかったかのように連れ立って歩き始めた。私は動揺を抑えるように両手でばちんと頬を叩き、深呼吸で心を落ち着かせる。


(う……嘘でしょ)

 暴れる鼓動は先程までの比ではなかった。

(私の協力者が……エリクスさんってこと!?)

 差し出された傘の半分に身を寄せながら、私は現実味のない展開に目を回していた。

(奥さんってどういうこと? 新居って……どういう……こと……!?)




 雨の降りしきる住宅地を並んで歩いた。曇天に似つかわしくない赤い傘の下はやや狭い。石畳に響く二人分の足音は、小気味よい規則を保って続いていた。

「話はどの程度聞いている?」

 偽名ヘンリーさんのエリクスさんは、ごくごく潜めた声で私に問うた。私は気を引き締め、道中で読んだ資料を思い返す。


「……ターゲットはライデリー・センタルラスという男。異能者が集まる過激派組織の一員であるとされており、来週この街で催される祝祭で何らかの行動を起こす可能性が危惧されている。目的はその企ての防除であり、私たちの任務は計画の把握と証拠の確保。可能ならば捕縛も行いたいですが、私は非戦闘員なのでそちらは目的に入れていません」

 私は一旦息を吸ってから、言葉を続けた。なおのこと声を潜める。

「本人が異能持ちであるという情報はありませんが、異能者ではないと決めつけることもできない状況。もしも異能者であった場合、それがどのようなものであるか分からないため要注意――と聞いています」


「なるほど。必要な情報は頭に入れているね」

「こ、これでも一応、諜報員ですから」

 私はどぎまぎしながら頷いた。エリクスさんは特に反応を示すでもなく、私をちらと横目で見た。

「捕縛に関しては心配しなくて良い。それは僕の仕事だし、もしも荒事になったらすぐに撤退するのが君の仕事だ。異能封じの石は身につけているね?」

「は、はい」

 私は慌てて胸元に手をやった。服の下、鎖骨の間で、素肌に触れる金属の感触を確かめる。大丈夫、ちゃんと忘れずにつけていた。些細なことにほっと胸を撫で下ろしつつ、私は足下に目を落とした。



(……異能、か)

 胸から手を下ろしながら、私は小さく息をついた。

 ――この数年、女王陛下は異能者に関する問題に力を入れている。

 昔から、異能者と呼ばれる人種は社会に一定数存在していた。一般人の持たざる力をそれぞれ持つ人間、すなわち異能者。しかし彼らは、それらの能力を表に出すことなく生きてきた。だから一般人にとって、異能者たちは『いるらしいが見たことがない』、そんな存在であった。


 それがここ数年になって、状況を変えているらしい。

 ――自ら異能者を名乗り、街を襲撃する過激派組織の台頭である。


「これまで、国内各地で異能を用いたテロが相次いでいる。被害は甚大で、様々な文化的建造物や市民の生活空間が破壊されてきた。まだ死者が出ていないのが不幸中の幸いだが、それも時間の問題だろう。今のところ、一般市民には異能に対する防御の手段がない」

 エリクスさんは私が指し示した辺りに目をやった。

「異能封じはペンダントだね?」

「はい」

 私がこくこくと頷くと、エリクスさんは傘を持たない手を軽く挙げて私に見せる。やや童顔とも言える相貌とは咄嗟に結びつかない、無骨な手である。その中指には透明な石のついた指輪が嵌まっていた。私のペンダントにあるものと同じ石である。

「僕のはこれだ、覚えておいて欲しい。――良いかい、異能封じの加護は、僕たちが異能者に渡り合うための唯一の手段だ。絶対に外さないように」

「わ……わかりました」



 エリクスさんは厳しい表情で告げる。

「ライデリー・センタルラス自身が異能者である可能性もだが、周囲の協力者に異能者がいることも十分に考えておいた方が良い。例の組織の構成員は、八割以上が異能持ちであると言われている」

「なるほど」

 などと言って神妙な顔で頷いてはいるが、私が浮かれていないわけではない。私の目はエリクスさんから一瞬たりとも剥がれようとしなかった。

(エリクスさん、こなれている……)

 きりっとした顔で語る横顔を見ながら、これが経験の差、と私は目を輝かせる。そんな私をよそに、エリクスさんは「それで」と話を続けた。



「今回僕たちが住むのは、ライデリー・センタルラスの屋敷がある向かいの集合住宅だ。三階建ての最上階で、ターゲットの屋敷がよく見える」

「あの、そのことなんですけど」

 おずおずと片手を上げると、エリクスさんは「ん?」と私を振り返った。


「先程から、新居だとか、奥さんだとか、『僕たちが住むのは』とか……。一体どういうことなんでしょう」

 私が緊張気味に切り出すと、エリクスさんは数秒の間目を瞬き、それから「そこまでは聞いていないのか」と呟いた。


「そうだな……。どこから話そうか」

 エリクスさんは傘を持っていない方の手で顎を支えた。考えこんでいる横顔を思わずガン見してしまってから、流石にマズいと私は何とか視線を正面に戻す。ややあって、エリクスさんはごくあっさりとした口調で告げた。



「端的に言おうか。ターゲットであるライデリー・センタルラスは人妻が趣味だ。それも若いの」

「は?」



 ……反応を一文字に留めた私を褒めて欲しい。そのまま絶句して口を開いたまま見上げる私に対して、エリクスさんは当然のことのように続ける。

「若くて社会経験の少ない人妻を食い物にして、金品を巻き上げる様子がこれまでに複数回確認されている。近隣に新婚夫婦が越してきたとなれば手を出さないはずがない」

「えと、食い物にするっていうのは……その……」

「色んな意味でだね」

「うう……」

 私は頭痛がするようだった。あの上司、絶対分かっていて伝えなかったに違いない。


(初任務にしては重くない!?)

 しかし私が抜擢された理由はこれで分かった。異性を誑かしてその懐に潜り込む術を学んだ女性諜報員の中で、確実に若いと言えるような年齢は私しかいない。というか未成年だよ。上司の野郎、私が渋らないようにと、ろくに説明もせずに放り込んだのだろう。

(あのクソ上司……!)


 胸中で呪詛を並べ立てながらも、私は「なるほど、分かりました」と平静を装って頷いてみせた。

(……お?)

 と、そこで私はとんでもない結論に着地して、そこで思わず足を止めてしまった。気づかずに数歩進んだエリクスさんが傘を持って戻ってくる。

「どうした?」

「それってつまり、……私の夫って」

 赤い傘を私の上に差し出したエリクスさんが「ん?」と首を傾げた。自らを指し示し、彼は当然のような顔で告げる。


「僕だよ」


(………………?)

 ばらばら、と雨粒が、布の張った傘に跳ねては流れて雫となる。重い雨雲の下で、私たちの上だけに鮮やかな色彩があった。

「えと、………………え?」

 私は唖然としたまま立ち尽くす。全くもって思考が停止していた。何かを言おうとした口だけが、言葉を伴わずにぱくぱくと動く。



 エリクスさんはしばらく身を屈めて私の顔を覗き込んでいたが、ややあって眦を下げた。

「……ごめん、不満だった? 確かに君にとってみたら僕はおじさんかな」

「っいいえ!」

 その瞬間、私は尋常ではない勢いで首を振っていた。



 不満なんてあるはずがない。あ、いや、あるといえばある。だって、

(初恋の人と夫婦役だなんて、心臓がもつはずない――!)


 ……ああ、神様。私、今にも倒れてしまいそうです。








全21話です。よろしくお願いします。

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