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イデアの肖像 The Portrait of Idea

イデアの肖像 The Portrait of Idea : 金曜日 / 約束

閲覧ありがとうございます。モリでございます。連載中小説『イデアの肖像』の短編小説となっております。前回の『日曜日 / 礼拝』とは異なり、本編を読まれていない方には少しわかりにくい内容となってしまっておりますため、どうぞご了承ください。

 アレスとイディにはあまり友人がいない。アレスにかけては仕事上の付き合いということもあるし、寄宿学校時代にも(表面上は)仲良くしていた人間がいるが、ことイディに関しては交友関係がない。それでいて、アレスとイディに共通する唯一のまともな友人がオットー・ノイマンであり、オットー側もそれを自負しているところがあった。何もアレスとイディの間に割って入ろうとか、アレスとイディと今以上に仲良くなろうとか、そういう魂胆はまったくなかったが、なんとなく誘い合わせて三人で会うことが三、四ヶ月に一回くらいはあった。言い出しっぺはいつもオットーである。オットー自身は友人と呼べる人間が多数いたし、親友と思える男すらいた上、恋人もいたが、仕事の悩みを聞いてもらうにはアレスが適任で、アレスを呼べばイディが来ないわけがない、という顛末であった。アレスが酒場などの人の多い場所を苦手としていたので、大抵はオットーがアレスとイディが生活を共にしている軍の住居に出向くことが多く、とりあえずビールを引っ提げて、今日もオットーはアレスとイディの住まいの戸を叩いていた。寮のような場所で、どの部屋も等しい大きさの部屋にトイレとシャワーだけのバスルームがついており、キッチンは共用になっている。アレスほどの地位となればそのような場所に住んでいる意味もなかったが、軍部が限りなく近く、衣食住のうち住のみを目的としていたアレスにしてみれば、住みやすいところだったらしい。


 戸を叩くと、ほどなくして私服姿のアレスが現れた。シャツにズボンを履いて、タイはしておらず、あくまでもくつろいでいたらしい。


「おばんです」

「お入りよ」


 大きく開かれた扉の中にオットーが入ると、イディはベッドの上で何やら新聞と睨めっこしており、オットーはビールの入った紙袋をアレスに手渡しながら、イディに近づいて新聞を見た。クロスワードのようである。


「お前、そんなことできるのか」

「できるわけないだろ」


 テーブルの上にビールを並べて始めたアレスが即座に言う。イディはうんうん唸っていたが、クロスワードは一単語として埋まっておらず、オットーは仕方なくその場を離れて小さく簡素なダイニングテーブルにある椅子に座った。椅子は二つしかなかったが、イディは自分の席がないことを気にするような男ではなかった。


「なんでまたあんなことになったんだ」

「僕がやっているのを見て真似したくなったらしい。解けたらご褒美でもやろうと言ったら、あれだ」

「やめさせてやりなよ。知恵熱が出るぞ」


 言いながら、持ってきた栓抜きでビールの栓を二本分抜く。アレスがイディ、と声をかけたが、イディは完全に解けないクロスワードに没入していて、何の返事もなかった。アレスがイディにつかつかと歩みより、新聞を奪い取って頭を叩く。アレスは昔からイディに対してはやけに暴力的だった、とオットーは思う。どんなに怒っても人に手を上げることのない男が、イディに対してだけは手癖も足癖も悪かった。単純に、アレスは頭が良すぎて、イディの頭が悪すぎるから、ああいうことになってしまうのだと思った。怒られたイディはようやくオットーの存在に気づいて、にっこりと屈託なく笑った。


「オットーじゃないか。どうしたの」

「どうしたもこうしたもないよ。遊びに来たんだよ」

「遊びに来たとはいい言い訳だな。どうせ、何か悩みでもあるんだろう? それで僕の意見を聞きたいとかじゃないのか」


 アレスはもう一本分ビールの栓を開けると、イディに渡した。イディはなるべくダイニングテーブルに近いほうのベッドの縁に座り直す。アレスの言葉は図星だったが、今回はいつもと違うんだ、とオットーはビールを飲みながら眉をしかめた。


「事実、君たちの話にはあまり期待していないんだよ」

「どういうことだい」


 アレスも同じようにビールに口をつけて、心外だとばかりに言った。オットーはため息をついて、果たしてここに来るという決断がほんとうに良かったものかどうか、しばし迷う。実を言うと、とオットーは言い訳がましく話を始めた。


「いろんな奴に声をかけたんだが、誰一人として捕まらなくてね。だからといってこのままじゃ夜も眠れやしない。君たちは暇だときた。そういうことさ」

「誰かの代わりにされるのは良い気分ではないな。とすると、仕事の話じゃないってことだね」

「そうなんだ」


 オットーは肩をすくめて小さくなった。


「エマのことは知っているだろう」


 エマというのは、オットーの恋人の名前である。オットーが通っていた酒場の店主の娘で、オットー同様取り立てて特徴のあるような顔ではなかったが、どこか愛嬌のある女性だった。アレスもイディも一度だけ会ったことがあったが、イディはともかく、アレスにしてみればオットーの相手には悪くないように見えた。オットーと同じように実直だったが、オットーより少し気が強い。商売人の娘であるところもあって、口が上手く、話が得意だった。アレスはビールを傾けながら、エマがどうしたってんだい、と聞いた。


「…婚約しようと思うんだよ」


 オットーが真剣な面持ちでそう言っても、アレスもイディもろくな反応をしなかった。アレスはといえばビールをテーブルに置いてへえ、と興味のなさそうな声を出したし、イディに関しては『婚約』という単語を脳内で検索しっぱなし、といった調子で目を白黒させていた。オットーは頭を抱える。


「やっぱり君たちに言うんじゃなかった」

「何を悩む必要があるのかさっぱりわからないよ。そうしたいんだったらすればいいじゃないか」

「アレス、こんやくってなんだ?」

「男女が結婚の約束をすることだよ」


 アレスはやれやれとばかりに凝り固まっている首を音を立てて回すと、それでも真剣な顔でビールのラベルを眺めているオットーのほうに乗り出すと、だからさ、と言った。


「何を悩む必要があるんだい? エマが君に好意を抱いているのは明白じゃないか。ましてや、君たちはもう三年近く恋人じゃなかったか? 君だって良い歳だし、地位だって年齢に見合ってるよ。身を固めたいと思っても不思議ではないんじゃないか」

「あんまりそう論理的に分析しないでくれよ。アレス、これが君の話だったとして、緊張とか、しないのかい」

「僕は女性にあんまり興味がないからね」


 アレスはさっぱりと言ってのけると、イディを見る。


「僕はあれの世話で忙しいんだよ。結婚なんかしてる場合じゃないだろ」

「君たちは本当にそれでいいのかよ」


 今度はオットーが呆れる番だった。アレスの恋愛事情は聞いたことがないわけではない。寄宿学校時代、アレスはとにかく女性に好評だった。取り入れば玉の輿であるし、そうでなくとも容姿が良く、頭も良い。オットーが当時恋焦がれていた少女すら、アレスのことを熱心に崇拝していた。アレス自身も女性と付き合ったことは何度もあるはずだが、大抵アレスが恋人よりもイディを優先するところで終わる。その第一関門を潜り抜けても、アレスのそばには常にイディがいたし、アレスの優先順位の中で、女性がイディより上に躍り出ることは絶対になかった。


「で、話っていうのはそれだけかい」

「それだけだよ、悪かったね。ただ俺は、エマと婚約をしたいけれども、なんというか、いつどこでどのようにするのが最適なのか、ということについて悩んでいるんだ」


 オットーは出来る限りアレスに分かるように説明した。それでもアレスは鼻を鳴らすばかりで、イディはすでにビールを一本飲み干してしまって、テーブルまで来ると栓抜きを使わず、器用にテーブルの縁で栓を抜く。


「婚約をしたいって、一体どういうことなんだい? ずっと一緒にいるだけならいくらでもできるじゃないか」

「イディ、お前には分からないよ」

「わからないから聞いてるんじゃないか」


 イディは口を尖らせる。


「結婚っていうのは、なにがそんなに面白いんだい」

「面白いとか面白くないとかじゃあないんだよ、イディ。普通の男性と女性の間ではとても重要なことなんだよ。夫婦になるというのは、家族になるということで、それから夫婦になるということは、お互いがお互いのために生きるということだね」


 オットーが説明すると、イディは困惑のあまりしかめっ面になった。


「夫婦とか家族とか、どうしてそういうことにこだわるのかな。大したことじゃないじゃないか。お互いのために生きようと思うなら、思うだけで充分だとぼくは思うよ」


 イディがそう言うと、オットーは返答に詰まった。事実、イディには父親も母親も、ましてや家族もいなかった。アレスは助け舟を出すつもりなのか、ちらりとオットーを見やって、まあ、とまとめるようにオットーの肩を叩いた。


「仕方がないからまっとうな返事をしてやるよ。そうだね、エマは誕生日が近いんじゃなかったかな? 決行するならその日が最適かもしれないね。元々エマも気分が高揚しているはずだし、そういうときは判断力も鈍りやすいから」

「待ってくれ、アレス、それは全然まっとうな答えになってないぞ」

「最後まで聞けよ。君みたいな口下手は手紙をしたためることをお勧めするね。言いたいことを書いておいて、朗読しなよ。それで、上手くいったら夕食でもともに食べればいいのさ。万が一にも上手くいかなかったら——この点は、僕はあり得ないとおもっているけれども――ここに逃げ帰ってくればいいさ。笑ってやるよ」

「言いたいことはたくさんあるけれど、プランとしては確かに素晴らしいな」


 オットーはビールのラベルを剥がしながらつまらなそうに言った。イディはといえば、まだ少し前の会話内容の中に囚われていて、ずっと顔がしかめられたままだった。


「よくわからないなあ。だったらなんだい、アレス、ぼくたちも結婚したらお互いのためになるのかい?」

「なるんだったら僕はとっくに君に婚約を申し出ているね。だから心配しなくていい」

「何度も言うけれど、君たちは本当にそれでいいのかい」


 オットーはもはや来訪の目的を見失っていた。アレスはオットーを見て、イディを見、さらにまたオットーを見た。


「僕たちは一切構わないんだがね。大体にして、恋愛でもなんでもないんだよ、こんなの。僕がこれの面倒を見ているだけで、これは僕に尽くしたいと言ってるだけなんだから」

「それを世間では夫婦と呼ぶんじゃないかな」

「話は済んだんだろ。僕らのことをからかってる暇があったら、具体的なことを考えろよ」


 アレスは突き放すように言いながら、ビールが空になっているオットーのためにもう一本開けると、そちらに差し出した。イディは釈然としない顔のままだったが、すごすごとベッドの縁まで引き下がる。オットーは改めてアレスとイディの二人を見比べると、心の底から大きなため息をついた。なんにせよ、羨ましい気持ちがないわけでもない。それからエマを想い、果たして自分はエマをそれほどまでに愛しているのだろうか、と一人考える。


「でも、オットー」


 さんざん考えた末に、といった様子でイディが声を上げた。


「エマさんは、そう思ってくれる君がいることが幸せだと思うよ。現に、ぼくはそう思ってもらうことが一番の幸せだから」


 そう言って笑うと、イディは満足そうにビールの残りを楽しむ。オットーはつられて苦笑して、ダイニングテーブルから見えるリューゲの夜を見た。確かに自分はエマのことを大切に思っていたし、それはアレスのイディに対する思いには適わないかもしれないけれど、同じ種類のものだ、と確信できたからだ。ならば、この二人が上手くいくように、自分たちも上手くいくのかもしれない、と思って、オットーは何を言うでもなく自分に向かって頷いた。


 絶対にエマにプロポーズをしよう、と思った。

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