パン職人の黒長さん
店内にある時計を確認すると、既に12時を回っていた。「ルジュエ」と異なり「コミーダ」ではバッサがレガロを解いてくれた為、街の安全が確認でき次第「コミーダ」を離れても良さそうだという判断を下した。
全員が簡易的な休憩を終えた為、早速隣町である頭首の街「ハルス」へ足を運ぶ事にした。
「「ハルス」に入るには、まずルヴェボスコに行く必要があるってことだよね?行けば分かるかな?」
「「ハルス」に面した場所全てがルヴェボスコならそれでも問題ないだろう。ただ、あちらから「コミーダ」へ入る為のパンパーネの区間もどこかにあるはずだ。カンを頼りに進んだ場合、目論見が外れる可能性も大いにある。そうなるとかなりの時間を要すだろう。」
「じゃあ、やっぱり近くで聞き込みした方がいいかな?丁度みんなお店に興味持ってるみたいだし。」
ヒショウの視線の先には近くのショーウィンドウを覗き楽しそうに談笑するみんなの姿があった。
覗いている店は、先程休憩したレストランに負けないくらいとても大きなパン屋だった。
「レストランでは水分補給をしただけだったからお腹も空いたんだろう。お腹を満たすついでにあの店でルヴェボスコの場所を聞いてみよう。」
「そうだね!ここまでパンのいい匂いが漂っててお腹が空いてきてたから、凄く楽しみだな〜!」
ヒショウと共に店に入る事を伝えに行くと、全員の表情が一段と明るくなった。
早速先導する吉歌に続いて入店すると、店員さん達が声を揃えて「いらっしゃいませ」と迎え入れてくれた。
「⋯⋯凄い⋯⋯。」
「こういう店は初めてか?」
「うん。」
キョロキョロと辺りを見渡すホワリ。
その姿からパン屋というものに興味津々なのが伺えた。
「食べたい種類はもう決まってるのか?」
「⋯⋯え?」
「ここは種類が豊富だから迷うかもしれないが、好きな物がいくつもあるなら全部選んで構わないからな。」
「⋯⋯でも⋯⋯。」
うつむき加減のホワリは小さな声で呟いた。
「さっきのお店も、ホテルも⋯⋯ずっとビアがお金を払ってくれてるのに、また払ってもらうのは⋯⋯。」
なるほど。そんな心配をしていたのか。
俺は今まで訪れたお店の代金を全て支払ってきた。
自分で貯めてきたお金とファニアス様から直接受け取った資金を用途に応じて使い分けていた。
「お金に関しては気にする必要ない。食事や寝床といった生活に必要な物に対しては、ファニアス様の善意を受け取り支払いを行っている。その証拠がこれだ。」
簡易魔法で異空間に保管している1枚のカードを取り出した。
カードの表面には、ファニアス様の直筆サインが記入されていた。
「好きに使っていいと言われている。まぁ、魔道具店では自分のカードを使ったが、こういったお店ではファニアス様のご好意に甘えるつもりだ。」
「じゃあ、ずっとビアのお金を使ってる訳じゃないって事?」
「そうだな。俺の所持金には制限があるからな。支えてもらってるからこそ、初めにお金の心配はしなくていいって伝えたんだ。」
「そっか⋯⋯。戦いが終わったら、ビアにはもちろんだけど、ファニアス様にもこの恩返しをしないと。」
そこまで気にする事はないが⋯⋯
きっとリズさんの教育がとても素晴らしいものだったのだろう。
自分に言い聞かせながら納得したように頷くホワリ。
「それじゃあ⋯⋯パン、選んでもいいかな?」
「もちろんだ。こういう時にしか気持ちを落ち着かせられないだろう。遠慮せずに好きなものを選ぶといい。」
改めて許可を得たからか、ホワリはほんの少し口角を上げるとシュロとメロウの元へと足早に向かって行った。
「ビア、見て見て!!」
満面の笑みで手招くヒショウの背後では、一面ガラス張りの調理場で多くのブーランジェがパンを製造していた。
「見るのは初めてか?」
「うん。こういうのもまだ見た事なくて⋯⋯あんな風に作るんだね。いいな〜、楽しそうだな〜。」
「パン作りにご興味が?」
「ひぃ!!!」
突然背後から声を掛けられると、ヒショウは振り返ること無く俺の後ろへと隠れた。
「失礼いたしました!驚かせてしまいすみません!」
ヒショウの背後に現れたのは、コック帽を被った女性だった。
「えっと⋯⋯大丈夫ですか?」
隠れてから全く顔を見せる様子のないヒショウに、女性は不安そうに俺の背後を覗いた。
何となく気配を感じたのだろう。
ヒショウはジリジリと移動をして女性の対角線を維持し続けていた。
「すみません。彼は女性と話すのに緊張してしまうんです。少し距離を取って頂ければ、彼も心が落ち着くと思います。」
「そうでしたか!失礼しました!」
ささっと離れる女性。
離れた気配を察知したようで、ヒショウがほんの少しだけ顔を覗かせた。
「あ!やっとお顔を見れましたね!良かったです!いやー、配慮ができずすみません!パンに興味を持ってる方を見ると嬉しくてついつい声を掛けちゃうんですよー!でも本当に良かったです!私のような顔を見なれてない方だと怖がられてしまうことが多いので、また怖がらせたかなと反省していた所でした!」
休むことなく言葉を紡ぎ笑顔を見せる女性の種族はきっと口裂け女だろう。
素敵な表情で一際目立つ口は、パン一斤を丸呑みしてしまうのではと錯覚する程大きく開かれていた。
表向きは笑顔を見せたが、言葉の節々に感じた女性の心の底から生まれたであろう悲しみの音。
百目であり、他者の気持ちの変化を敏感に感じ取るのが得意な鴇鮫は、やはり悲しみの音に乗った言葉を聞き逃さなかった。
「初めまして、お姉さん。」
「初めまして!貴方もパンにご興味が!?」
「そうですね。ここのパンはとても魅力的な物ばかりですから興味が湧きます。」
「そうでしょう、そうでしょう!!ここのパンは私と仲間達で1つ1つ心を込めて作っていますから!分かっていただけて嬉しい限りです!」
口角を上げてニカッと笑った女性。
心の底から喜びが溢れ出したのが伝わってきた。
「お姉さんはこの店のオーナーさんの黒長舞宵さんですよね。」
「はい!よくご存知ですね!」
「あちらに飾られている写真と表彰状を拝見しました。とても素晴らしい実績をお持ちなんですね。それに、写真に写る貴方の笑顔がとても素敵で、パン作りを楽しんでいるのがとても伝わってきます。今の貴方の笑顔も、とても素敵です。」
「そうですか?私の笑顔は怖がられることばかりですから、褒められると照れますねぇ!」
先程までと比べ物にならないくらい柔らかな表情で笑った黒長さん。
鴇鮫と会話をしていくうちに、業務的な笑顔から自然な笑顔に変化したように感じた。
やっぱり鴇鮫の発する言葉は魔法のようだな。
「オーナー!新商品に関してお聞きしたい事があるのですが、今お時間よろしいでしょうか?」
「分かった。今行く。すみません!呼ばれてしまいました!みなさん、ゆっくりじっくりお好きなパンを見つけてくださいませ!何かあったらいつでもお声がけください!」
黒長さんは呼びに来たブーランジェに続いて調理場へと戻って行った。
調理場で仕事をする様子は、先程までのハツラツとした黒長さんとは別人のように見えた。
「あー⋯⋯、緊張した⋯⋯。」
「黒長さん、凄く明るい方だったな。」
「そうだね⋯⋯。それと、踏み込みすぎずに理解してくれる良い人で良かった⋯⋯。」
かなり気を張り巡らせていたのだろう。ホッと胸を撫で下ろしているヒショウの表情が穏やかになっていた。
「せっかく黒長さんが直々にお話してくれた事だから、良いパンを見つけようか。」
「うん!お腹すいちゃった!」
「鴇鮫はもう買いたいパンは決まったのか?」
「そうだね。いくつか目星は付いてるよ。」
「え、どれどれ〜?」
鴇鮫が選んだパンが気になるようで、ヒショウはパンの並ぶ陳列棚へ鴇鮫を引っ張っていった。
みんなも決まり出しているようだし、待たせる訳にはいかない。
俺も早く選ばないと。
全員が選び終わったのを確認し声をかけると、それぞれがトレーに乗せたパンをレジまで運んできてくれた。
無事会計を済ませ店を後にしようとした際、丁度作業を終えた黒長さんと目が合った為会釈をした。
黒長さんも会釈をしたと思いきや、爆速で調理場から顔を出した。
「お好きなパンは見つかりました?」
「はい。各々が好きな物を好きなだけ選んだので、かなりの数になってしまいました。すみません、買いすぎてしまったかもしれません。」
「そんな事ありませんよ!みなさんに購入して頂けてパン達も喜んでますよ!」
近くまで来た黒長さんは袋を覗き中のパンを見ると微笑んだ。
その時だった。
「やっぱりそうだー!」
「声でかいんだよ!」
突然黒長さんを指さした和倉と、店内に響き渡るような声を出した和倉の背中を片手で叩きながらもう片方の手で指を下げさせた椰鶴。
椰鶴に叩かれしょんぼりしている和倉に店内にいた人達の視線が集まった。
「そちらのお兄さん!元気でいいですね!それで、私の事ご存知なんですか?」
店内の空気に全く飲まれず笑顔を崩さない黒長さんに、和倉はパアッと表情を明るくした。
「優しい!流石14石!」
14石。
それは、炎を宿す14種類の石に選ばれた者にのみ与えられる称号のことだ。
14種類の石それぞれが、ハロウィンに住む者の中から所持するに値する者を選定し、直接その者の元へ現れるらしい。
話を聞いたことがあるだけで、実際に14石の称号を持つ者と出会ったことはない。それか、本人から言われない限り誰が14石かを知ることが出来ない為、実際は出会った事があるかもしれないが、知らずに過ごしていた可能性もある。
黒長さんは俺達が店内に入ってから1度も自分が14石だというような言葉は発していない。
店内に飾られている表彰状などに記載があったのかとも思ったが、鴇鮫も初めて知ったという表情を浮かべている為それはなさそうだ。
では、どうして和倉は黒長さんを14石と呼んだんだ?
様々な感情がひしめき合っている俺とは反対に、黒長さんは14石という単語を聞いてすぐに驚きに満ちた表情を浮かべた。
「⋯⋯どうして違う街からいらした貴方がそれをご存知で?まさか⋯⋯私のファンですか!?」
表情の変化から初めは地雷を踏んだかと思ったが、一瞬で喜びに溢れた表情を見せた為予想が外れた事に気がついた。
「あんたのピアス、それトパーズだろ。それに加え飾ってある表彰状とトロフィーの量。ただセンスがいいだけかもしんねーとも思ったが、釜の中の炎がオレンジに輝いてた。トパーズで炎がオレンジなら、14石じゃねーかってコイツが。」
コイツと椰鶴に示されたのは和倉だ。
黒長さんは感心したのか大きく頷いた。
「数少ない情報でよく14石が出てきましたね!凄いです!」
「実は〜!」
満面の笑みで黒長さんに指輪を見せる和倉。
初めはキョトンとしていた黒長さんも、すぐに何かを察したようだった。
「ま、まさか!貴方も14石ですか!?」
「いかにも!何なら椰鶴もなんだ〜!」
「お兄さんもですか!?」
「ほらほら、指輪見せてあげないと〜!」
渋々指輪が見えるように手を顔の位置へ挙げた椰鶴。
2人の指輪を目にした黒長さんは、更に顔を明るくさせた。
「凄い!凄いです!まさか14石の方に生きている間にお会い出来るなんて!しかも、ブルーサファイアとルビーじゃないですか!」
「その2つだと何かあるの?」
歓喜する黒長さんに対して冷静に質問を投げかけたのはミオラだ。
「ブルーサファイアとルビーだけは、必ず戦闘に優れた者に受け継がれると14石の中では言われているんです!ですから、お兄さん達が石に認められる程の実力を持った強い方々って事になります!」
「そういう事なのね。教えてくれてありがとう。それより⋯⋯貴方達14石だったの?」
「本当にゃよ!知らなかったにゃ!」
そう。俺達は今の今まで2人が14石だったなんて知らなかった。
だからこそ、目の前に14石が3人いて、3人で盛り上がっている状況に置いてけぼりにされていた。
「聞かれてねーんだからわざわざ言う必要ねーだろ。」
「知りたかったにゃ!」
「そうだぞ!言ってくれたって良かったじゃねーか!」
椰鶴なら間違いなくそう答えると思っていた。
鴇鮫も「彼ならそう言うと思った」と笑っていた。
それに対し誰よりも驚きを示したのは黒長さんだった。
「え!?お姉さん達一緒にいたのに知らなかったんですか!?」
「えぇ。」
「2人が戦ってる所とかまだ見た事ないんですか!?」
「何回か見てるわ。」
「炎使ってませんでした!?めちゃくちゃ強くなかったですか!?」
信じられないと言った表情で畳み掛けるように問い掛ける黒長さん。
改めて思い返すと、ガーディアンと言えど戦いに慣れた様子の2人の動き⋯⋯特にHDFと戦う姿は目を見張るものがあった。
ミオラは少し考える様子を見せると「そうね」と呟いた。
「確かにそれぞれ赤い炎と青い炎のレガロを放っているのは見たわ。ただ、だからといって14石には結びつかなかったわね。実力があるのも、14石だからという考えよりも先に、ガーディアンだからという考えが先行していたもの。」
「ガーディアン⋯⋯え!?お兄さん達ガーディアンもやってるんですか!?」
繰り返し驚きを表しながらも2人の凄さや素晴らしさを語り続けている黒長さん。
視界に入った和倉は顔を赤く染め一目で分かるくらい照れていた。隣の椰鶴は⋯⋯
「あー⋯⋯。」
「どうしたの?ビア。」
今まで黙っていた俺が突然声を出したからかヒショウが顔を覗き込んできた。
「大したことじゃないんだが⋯⋯。」
「うん?」
⋯⋯ここは⋯⋯
「和倉が黒長さんの褒め言葉に物凄く照れてるんだが、茹でダコみたいになってるから大丈夫かと思って。」
「わぁ!!本当だ!!」
「そろそろ黒長さんを止めた方が良さそうだな。」
「そうだね。このままじゃ和倉が爆発しちゃいそうだもんね。」
勢いの止まる様子を微塵も見せない黒長さんに和倉の状態を伝えると、「失礼しました!かなり珍しい出会いだったもので、嬉しくて⋯⋯お恥ずかしい限りです!」と笑っていた。
頬を少し赤らめ顔を逸らしていた椰鶴の表情が、何となく落ち着いたように見えた。
店を出ようとした時、後ろから椰鶴が周囲に聞こえないよう「ビア、ありがとう。」と小さな声で呟くと、横を何事も無かったかのように過ぎ去って行った。
「本日はご来店頂き誠にありがとうございました!みなさんと出会えてたくさん元気を貰えました!今よりももっと最高に良いパンが作れちゃいそうです!」
「そう言って頂けて良かったです。長居してしまってすみませんでした。ただ、じっくり選ぶことができたので、全員、好きなパンを見つけられたようです。」
買ったパンの袋を黒長さんに見せるように各々が掲げた。
袋に視線を移した黒長さんは、一段と目を輝かせていた。
「パンを買ってくださったみなさんの素敵な笑顔が見られて、私も満足です!!この後の旅が良い物になるよう、私もパンも心から応援してます!」
「ありがとうございます。黒長さんもお仕事頑張ってください。」
「はい!みなさんが戻って来た時には更に良いパン職人になっているよう、日々励みます!パン作りは私の生き甲斐ですので!」
「パンを作りながらみなさんとまた会える日が来るのを楽しみにしています」とニカッと笑う黒長さんの笑顔に見送られながら、俺達は「ハルス」へと歩みを進めた。