お母様のように
病院の入口を入った所で少し遠くから息を切らして駆けてくるお母様の姿が見えた。
「はぁ、はぁ⋯⋯ホワリ、探したわよ。」
ニコニコと笑うお母様だが、額に汗が滲んでいる。
お母様は運動が苦手だ。わたしを探して走り回っていた事が簡単に想像出来た。
「ごめんなさい、お母様。」
「い、いいのよ⋯⋯きっとどこかにいるって思ってたから⋯⋯ただ、少し走りすぎたわ⋯⋯。」
立ち止まると胸に手を当てて呼吸を整えている。
「⋯⋯そうそう!私の事なんてどうだっていいのよ!これを見て。」
片手に持っていた診断結果の入ったファイルをわたしに差し出す。
それを受け取ると中の用紙を取りだした。
そこには一際大きな文字でこう記されていた。
『快復見込みあり。』
「っ!お母様!!」
「えぇ。おめでとう、ホワリ。貴方の努力が実ったわね。でも喜ぶのはまだ早いわ。もう1枚診断書が入っているでしょう?」
お母様に言われて気がついた。確かにファイルにはもう1枚紙が入っていた。
これは⋯⋯薬の診断書⋯⋯
細かく書かれた小さな文字列に目を通す。
そこには信じ難い内容が記されていた。
【『難病:トリパスジハイン 』の治療薬として『治療薬:Tz2026』の使用を認める】
「これって⋯⋯。」
「えぇ。そうよ。」
この診断書は、治療薬が医者団に認められた際に発行される書類だ。
「診断結果が良かったから、結果と共に薬を医師団へ提出したの。そしたらすぐに上部から使用許可がおりたわ。今まで治療薬のない難病だったからこそ決定が早かったのね。これからこの難病にはホワリの作った薬が使われるのよ。」
微笑むお母様の顔を見て、わたしは涙が溢れた。
些細な夢だった。
自分で作った治療薬で難病を治すこと、その治療薬を公式的に使えるように認めてもらうこと。
まさか叶うなんて思わなかった。
「よかったわね、ホワリ。」
「⋯⋯うん⋯⋯うん。」
お母様はわたしの頭を撫でた。
わたしももう15歳。小さな子どもじゃないけど⋯⋯忙しいお母様に頭を撫でてもらうことなんてほとんどなかったわたしにとって、凄く心が暖かくなるものに感じた。
「ホワリ。今から診断結果を伝えに行こうと思うんだけど、ホワリも出掛ける前にもう1度会ってみたらどうかしら?」
「⋯⋯うん。」
直接様態を確認したかったわたしは、お母様に促されて病室まで向かった。
向かう途中にお母様から詳しく話を聞くことができた。
おじいさんの診断を1時間前に行ったところ、内臓結合が止まっているだけでなく、少しずつだが内臓がそれぞれの元の形に分離し始めていることが分かったらしい。
「心臓も半分侵食されていた今、完治までは数ヶ月かかると思うわ。でも、確実に快復するからもう安心ね。ありがとう、ホワリ。貴方が長期間必死に頑張ってくれたおかげよ。」
大好きなお母様から⋯⋯尊敬していたお母様から褒められたわたしは涙を止めることが出来なかった。
普段泣かないわたしがこんなにも繰り返し涙を流したからだろう。
お母様はわたしを優しく抱きしめた。
あぁ、ここまで諦めず頑張り続けてよかった。
心からそう思えた瞬間だった。
病室へ着くと、おじいさんは目を閉じていた。
疲れて眠ってしまったのだろうか。
「あら、起きてらっしゃったのですね。」
「え?」
お母様が声をかけるとゆっくりと目を開けこちらに視線を動かした。
「けっかがきになってね。ずっとおきていたよ。それに、いつもよりきぶんがいいきがしたんだ。」
「そうでしたか。」
「⋯⋯お母様。おじいさん、起きてたの?」
「えぇ。寝る時は必ず奥様の写真を枕元に飾っているのよ。奥様と会えない日が続いているから、夢の中で会いたいって仰ってたの。それがまだ出ていなかったから、きっと起きていらっしゃると思ったのよ。」
「はっはっは。さすがせんせい。としよりのつまらないはなしをおぼえててくれてありがとう。」
お母様は微笑むおじいさんのいるベッドの真横に立つと、診断結果を伝えた。
それを聞いたおじいさんはとても嬉しそうに声を出して笑った。
「そうかいそうかい。まだこのせかいでいきることができるのかい。それはうれしいねぇ。おじょうさんに、かんしゃしなければならないねぇ。」
「わたしは⋯⋯おじいさんが元気に退院できればそれでいいんです。」
「すてきなおじょうさんだ。ありがとうねぇ。」
わたしに対して何度もお辞儀をするおじいさん。そんなに感謝された事なんてなかったからどうしたら良いか分からず狼狽えてしまった。
そんなわたしの様子をお母様とおじいさんは笑って見ていた。
「ホワリ。伝えることがあるんでしょう?」
お母様の一言でハッとした。
そう。わたしはおじいさんに伝えなければならない事があった。
「おじいさん。お話があって⋯⋯。」
これから街を離れいつ戻って来れるか分からないため、おじいさんの退院を見届けられないかもしれないことを伝えた。
「そうか⋯⋯きみがこのまちのがーでぃあんだったのか。すごいねぇ。くすりもつくれるようなばんのうなおじょうさんががーでぃあんとしてたたかうなんて。」
おじいさんはわたしの手をそっと握った。
「がんばっておいで。おじょうさんにならくにをまもることもできるさ。だって、わたしのびょうきをなおしてくれたんだからね。」
やっと止まったと思った涙がおじいさんの優しさに触れてまた溢れ出した。
「わたし⋯⋯がんばります。おじいさんが楽しく安心して過ごせるような国を⋯⋯取り戻します⋯⋯。」
おじいさんはニコッと微笑んだ。
「あぁ。たのしみにしているよ。けがのないようがんばっておいで。もしたいいんしても、ここにおじょうさんがかえってきたときには、またあいにくるからね。」
「⋯⋯はい⋯⋯!」
涙を拭うわたしを横で見守っていたお母様。
「ホワリ。」とお母様の優しい声で名前が呼ばれるとすぐに手を引かれ抱きしめられた。
「ホワリ。貴方のような頑張り屋で決して諦めない素敵な女の子の母になれて私はとても幸せよ。貴方なら絶対に国を守ることができるから。絶対大丈夫だから、だから⋯⋯。」
「⋯⋯お母様?」
顔を上げると同時に私の額に冷たい何かが当たった。
お母様の涙だった。
「必ず生きて帰ってくるのよ。」
「⋯⋯っ!うん、絶対、絶対帰ってくるからっ⋯⋯!」
お母様は今までにないくらいキツくわたしを抱きしめた。
お母様の涙を見たのは初めてだった。
微笑むおじいさんと涙をハンカチで拭いながらも笑顔を見せるお母様。
「いってらっしゃい」という2人の暖かい言葉に背中を押されながら、わたしは病室を後にした。
わたしがみんなの元へ戻ると、もうそこにHDFはいなかった。
ビアから、すぐに到着したポリシアンに引き渡しを無事行う事が出来たという話を聞いた。予想通り時間は10分程度かかったそうだ。
みんなに感謝を告げると、華紫亜からおじいさんの体調について質問された。
おじいさんは「快復見込みあり」という診断だったこと、治療薬が医師団に認められ、今後難病の治療薬として使用されることになった事実を伝えると、ビアと華紫亜だけでなく、その場にいた全員が驚きの表情を浮かべていた。
「ホワリさんなら、必ず素晴らしいお医者様になれますよ。」
お母様のような医者になりたいという夢を抱くわたしにとって、華紫亜のその言葉は世界一嬉しい言葉だった。